146.精霊を煉って三環へ、孫を捜し疑念が芽生える
一時間ほど後、クスリの遺体は、ほとんどクロクマに食い尽くされていた。
残った腸と頭は、食べたくないらしい。
だが、ラインは好き嫌いを許すつもりなどなかった。
人獣満福の秘方では、獣に人を残さず食わせることが、煉成の成功率を最大限に高める条件だった。
人獣満福の煉成には、十種類近い素材を要する。
中でも最も重要なのが、「人」と「獣」だった。
「人」は、穢れのない少女でなければならない。
根気が強すぎず、なおかつ精霊使いの資質を備えていること。
資質は、少なくとも下等が必要だった。
中等、上等なら、なおよい。煉成の成功率が大きく高まるからだ。
ここでいう「獣」とは、野獣を強制的に操る精霊を指す。
熊枷も、当然その条件を満たしていた。
獣が人を食った後は、速やかに煉成へ取りかからなければならない。
骨肉が消化されてしまえば、成功する見込みは完全になくなる。
クロクマがそれ以上食べようとしないのを見て、ラインは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
意識を向け、その体に寄生させた熊枷を発動する。
クロクマは吠え猛った。
それでも強制されるまま、腸と頭を呑み込み、残った白い骨を噛み砕き、一本ずつ腹へ収めていった。
あまりに急いで食べたため、尖った骨片が口の中や食道に突き刺さり、痛みで涙まで流していた。
ラインは構わず熊枷を使い続けた。
その体は、もはや熊自身の意志には従わなかった。
最後に残った背骨を、一本丸ごと喉へ押し込んだところで、ラインは頃合いだと判断した。
指先で弾くと、一環の精霊、火花が、開いた熊の口へ飛び込んだ。
そのまま体の奥へ潜り込んでいく。
クロクマが、凄まじい苦痛の咆哮を上げた。
体内で火花の力が解き放たれ、内臓を焼き始めたのだ。
全身を激しく震わせ、地面へ倒れて転げ回ろうとする。
だが、熊枷に支配された体は、身動き一つ許されなかった。
七分半ほど焼き続けたところで、ラインは手を上げて指し示し、さらに三体の火油を体内へ送り込んだ。
火油は、一環の消耗型精霊だ。
自爆すると大量の燃料油へ変わり、クロクマの体内で燃え盛る炎を、さらに激しくした。
熊の喉は、すでに叫びすぎて潰れていた。
ラインは頃合いを見計らい、さらに数体の精霊を続けて投じた。
このところ、功績で少しずつ交換してきたものだった。
クロクマは地面に伏し、完全に動かなくなった。
さらにしばらくすると、目や耳、鼻、口、そして肛門から、赤い炎が噴き出した。
炎は一気に勢いを増し、全身へ燃え広がった。
熊の死骸は、巨大な松明と化した。
暗い洞窟が、炎に照らされた。
だが、その炎は普通の橙色ではない。
不気味な、血の色をしていた。
ラインは辛抱強く待ち続けた。
火勢がわずかに弱まったところで、最後の精霊を、確実に炎の中へ投じた。
強い毒を持つ、二環の精霊だった。
それが炎に落ちるや、激変が起きた。
血色の炎の中から、白い光球が生まれた。
初めは、拳ほどの大きさしかなかった。
ラインはすぐに袋から霊石を取り出し、一個ずつ光球へ投げ込んだ。
光球は霊石を呑み込み、急激に膨らんでいった。
千個を超える霊石を投じた頃には、扉ほどの大きさになっていた。
そして、突如として内側へ収縮した。
熊の死骸を包んでいた炎も消え、洞窟は再び闇に沈んだ。
一体の精霊が、ふらふらとラインへ飛んできた。
人獣満福。
三環の消耗型精霊だった。
姿はだるまに似ていたが、頭は熊のものだった。
体に刻まれた血色の模様が、一人の少女の顔を、生き写しのように描き出していた。
クスリだった。
笑っているようで笑っておらず、泣いているようで泣いていない。
その顔は、恨みと憎悪を込めて、ラインを睨んでいるようだった。
ラインは声を上げて笑い、まるで気に留めなかった。
死ねば、その者の道も終わる。
生きていたときでさえ、あの程度だった。
死んだ後で、いったい何ができるというのか。
ラインはためらわず口を開け、人獣満福を丸呑みにした。
「まさに……良薬は口に苦し、か」
強烈な苦味に、抗いがたい吐き気が込み上げた。
ラインは、全力でそれを堪えた。
口の中の精霊が、まるで手足を生やしたかのように動き出した。
ゆっくりと喉へ這い込み、食道へ潜る。
そして突然、黒と赤の入り交じる水流へ変わった。
水流は上から下へ流れ落ち、空界へ注ぎ込み、赤鉄の霊海に混ざった。
ほぼ一瞬で、霊海全体が不気味な黒赤色に染まった。
血の生臭い気配が、空界に満ちた。
ラインはすぐに黒赤色の精神力を動かした。
時間を惜しみ、空界を囲む壁へ、次々と打ちつけていく。
一割、二割、三割……。
三割八分の精神力を消費したところで、空界が激しく震えた。
包んでいた白い膜が、ガラスのように砕け散った。
代わって現れたのは、丸く整った球状の、新たな光膜だった。
この瞬間、ラインは三環へ進んだ!
だが、気を緩めることはなかった。
残った黒赤色の精神力を、直ちにすべて体外へ排出した。
この精神力で精霊を使えば、その精霊は死んでしまう。
空界へ長く留めておけば、光膜の壁を汚染し、自身の資質まで低下させてしまうのだ。
黒赤色の精神力を完全に排出してから、ようやくラインは霊石を一個握り、精神力の回復を始めた。
初めは、一筋の白銀色の霧だった。
やがて水滴となり、少しずつ溜まって、白銀色の精神力の海を形作っていく。
精霊使いの精神力は、一環では青銅、二環では赤鉄。
三環では、白銀となる。
だが、この白銀の霊海は純粋ではなかった。
その中には、なおも黒赤色の異色が混じっていた。
これが、人獣満福を使った後遺症だった。
ラインに驚きはなかった。
心を落ち着け、溜めた白銀精神力をすべて排出すると、再び回復を始めた。
二度目に生まれた霊海では、黒赤色の異色が半分以上減っていた。
それでも満足せず、再び精神力を排出し、溜め直した。
何度も繰り返すうち、残った黒赤色は、ようやくほとんど見分けられないほどに薄まった。
ここまで来ると、何度精神力を入れ替えても、それ以上減らすことはできなかった。
これが、人獣満福を使った後に避けられない残留だった。
生涯、昇環の望みがない二環頂位の精霊使いを、一挙に三環へ進ませる。
まさに天に逆らい、運命を書き換えるような力だ。
当然、何もかも望みどおりとはいかなかった。
この黒赤色を取り除く方法が、ないわけではない。
最もよく使われるのが、浄水の精霊だった。
浄水の精霊は、空界に混じった異種の精神力を洗い流せる。
商隊の樹上の店にも一体あったが、残念ながら、すでにカル派閥に買われていた。
当面、ラインには、この残留を取り除く手段がなかった。
……
「この役立たずども、何のためにいるのです!生きた人間一人、見つけ出せないのですか?!」
薬堂では、メディシンが怒りを爆発させていた。
その怒声に、窓枠が微かに震えた。
焦り、恐れ、不安、苛立ち。
それらが、胸の内を埋め尽くしていた。
三日三晩が過ぎた。
四頭の轟雷狼は次々と討ち取られ、ローデン集落は危機を脱した。
だが、実の孫娘であるクスリだけは、いまだに行方が分からなかった。
持てる人脈をすべて使い、戦場の隅々まで捜させた。
集落の周辺でも、何度となく大規模な捜索を行わせた。
それでも、新たな手がかりは見つからなかった。
最後にクスリを見たのは、戦いに加わっていた数人の精霊使いだった。
彼らによれば、当時のクスリは狼の群れに取り囲まれ、逃げ道も選べず、危うい状況に陥っていたという。
あらゆる兆候が、生存の見込みの薄さを示していた。
狼に食われてしまった可能性が、極めて高かった。
それでも、メディシンは諦められなかった。
孫娘が死んだと、認めたくなかった。
ほかの少女なら、死んでもそれまでのことだ。
だが、クスリは実の孫娘なのだ。
幼い頃から、薬堂の後継者となるよう育ててきた子なのだ!
素直で賢く、愛らしい孫娘だ。
明るく活発で、いつも人を笑顔にしてくれる。
この三日、メディシンは一睡もせず、休むこともなかった。
脳裏に浮かぶのは、孫娘の姿ばかりだった。
それまでよく若さを保っていた容貌は、急に十歳も老け込んだようだった。
黒かった髪は、すっかり白くなっていた。
心臓を抉り取られたようで、その空洞には、果てのない痛みだけが残っていた。
広間には、数十人の精霊使いが立っていた。
皆、頭を垂れ、容赦のない叱責に耐えていた。
「薬堂長老様、ご報告がございます」
一人の二環精霊使いが、足早に入ってきた。
「何ですか?クスリの消息が分かったのですか?」
メディシンの目が、にわかに輝いた。
急いで問いかける。
「三環へ進んだ者がおります。族長様が族長邸に長老方を招集し、皆様の前で認定を行っておられます」
来た者は、すぐに答えた。
メディシンの目から、光が消えた。
苛立たしげに手を振った。
「クスリの消息でないなら、わたくしを煩わせないで。待ちなさい、今、何と……三環へ進み、新しい長老になった者がいるのですか?」
言いかけたところで、はっとその意味に気づいた。
眉が、次第に寄っていった。
あまりに突然の話だった。
事前には、何の兆しもなかった。
新しい長老が現れれば、ローデン一族の政治的な勢力図が変わる。
後継者を失ったばかりの薬堂の一派にとっては、潜在的な打撃にもなり得た。
広間の精霊使いたちも、小声で話し始めた。
新しい長老は誰なのかと、口々に推測する。
メディシンは、直接尋ねた。
「誰が三環へ進んだの?」
「ライン・ローデンでございます」
「何ですって?あのラインが!」
メディシンの瞳孔が縮んだ。
彼女にとっては、まったくもって悪い知らせだった。
広間にも、驚きの声が上がった。
「何かの間違いじゃないのか?あのラインが?」
「下等資質だろう?どうしてこんなに早く、三環の精霊使いになれるんだ?」
「三環になれば長老、一族の上層部だ。これからは、見かけたらこちらから頭を下げて挨拶しなきゃならないぞ!」
「どうなっているんだ……一気に雲の上の人じゃないか!」
「死んだって話じゃなかったのか?三日三晩も行方が分からず、戦場を捜しても死体が見つからないから、雷狼に食われたのかと思っていたのに……」
皆が驚き、妬み、同時に疑問を抱いていた。
メディシンは、その言葉に耳をそばだてた。
(三日三晩も行方が分からず、戦場に死体もない……クスリと同じではありませんか?)
女の直感だった。
ラインに対し、理由のはっきりしない、強い疑いが湧き上がった。
メディシンは、急に考えを変えた。
今度の招集には、自ら族長邸へ出向く。




