128.人の刃で同族を殺し、禍を転じて援軍を得る
「安心しぃ。お前の環階は二環やろ。そこにつけ込むような真似はせえへん。同じ二環まで抑えるさかい、ほんまに公平な勝負といこか!」
シオンは狂ったように笑いながら叫んだ。
その顔を、ラインは平静に見つめていた。
「私を殺したいなら、来い」
言い終わると、ラインは小さく一歩、前へ踏み出した。
身体が桜吹雪のように、高みからふわりと落ちていく。
シオンの笑い声が途切れ、怒りが湧き上がった。
「逃げんなや!」
すぐに走り出し、後を追った。
ラインは声もなく冷笑し、谷へ向かう。
二人が前後して戦場へ飛び込むと、狼の群れが騒ぎ立ち、一斉に襲いかかった。
谷底へ追い詰められた精霊使いたちは、すでに一人を失っていた。
残る四人は狼の異変に気づき、顔に喜びを浮かべる。
「皆、持ちこたえろ!援軍が来たぞ!」
一人が大声で叫んだ。
だが、狼の間に見える二つの人影を確かめると、疑問が生まれた。
「どうして二人だけなんだ?」
「あいつは!」
距離が縮まると、ガルド・ローデンの顔色が変わった。
ラインだと分かったのだ。
人前で、自分を打ち負かした相手だった。
あの瞳は心の奥底に潜む悪夢まで呼び起こし、二度と忘れられないものとなっていた。
必ず鍛え直し、いつか雪辱を果たす。
そう誓った相手が、今は自ら「救い」に来ている。
ガルドの胸に、複雑な思いが湧いた。
「待て、もう一人は……」
ほどなく、皆がシオンにも気づいた。
驚きが顔に浮かぶ。
「シオン、シオン・ベル!」
ガルドは目を見開いた。
こんな状況で、再びシオンと会うなど、思ってもいなかった。
……
「このアホ、止まらんかい!」
背後からシオンの叫びが聞こえた。
ラインは耳を貸さず、狼の間を縫って突き進む。
全身に白玉の光を纏い、雷狼の牙と爪を防いでいた。
その一方で、空界の精神力は急速に減っていく。
少し後ろでは、シオンが追いすがっていた。
鼻から絶えず水蒸気を吐き、球状の水の盾を作って全身を包んでいる。
雷狼が次々とぶつかるが、衝撃は表面を巡る水流に受け流された。
身体も横へ逸らされ、そのまま弾き飛ばされる。
シオンは、すでに三環に達している。
それにしては、今の動きは際立っていなかった。
宣言した通り、本当に自ら環階を抑え、二環の力だけでラインを相手にしているようだ。
それでも、足はラインよりわずかに速く、精神力にも余裕があった。
ところが、狼の群れを進むうち、かえって距離は開いていく。
差を生んでいるのは、肉体の力だった。
ラインには、イノシシ二頭の力がある。
シオンの力は、それよりいくらか劣っていた。
ラインは狼の突進を力で押し返し、そのまま進める。
シオンの水の盾は衝撃の一部を受け流せても、ラインのように、力ずくで道をこじ開けることはできなかった。
巨雷狼も、二人へ注意を向けた。
長く吠えると、周囲の雷狼たちが潮のように左右へ割れ、道を空ける。
次の瞬間、巨雷狼は四肢で地を蹴り、ラインへ真っすぐ突進した。
谷底の四人は、揃って不安そうな顔になった。
だが、ラインの後ろにいるシオンは、面白そうに声を上げて笑う。
その直後、ラインの身体に水面の波紋のような光が広がり、姿が消えた。
シオンの笑い声が、また途切れた。
谷底の精霊使いたちも騒然となる。
標的を失った巨雷狼は怒りの咆哮を上げたが、速度は緩めなかった。
そのままシオンへ狙いを変え、突っ込んでくる。
シオンの顔に、再び笑みが浮かんだ。
「ははは、おもろい、おもろい!やっぱりお前はおもろいわ!ほな、こいつらはメインの前の前菜といこか!」
黒い瞳が、突然、晴れた空のような青へ変わった。
シオンは片足を軸に立ち、氷刃を水平に伸ばして身体を回す。
長い氷刃が、幾重にも白く鋭い閃きを描いた。
それらは竜巻のような氷刃の嵐となり、狼の群れを蹂躙する。
飛び込んだ雷狼は、次々と肉片に切り刻まれた。
だが、血はあまり飛び散らない。
冷気が、すでに凍らせていたのだ。
巨雷狼が咆哮した。
凶暴さを剥き出しにし、身体に宿る精霊も力を発揮する。
金色の電流が全身を巡り、毛が逆立った。
電流は鎖のように胴と四肢へ絡み、粗雑な鎖帷子を形作る。
巨雷狼は四肢で地を蹴り、金色の流星のように、氷刃の嵐へ激突した。
雷鳴のような轟音が響く。
氷刃の嵐が、ぴたりと止まった。
折れた切っ先が宙を舞い、岩へ突き刺さった。
白い冷気が、周囲へ広がっていく。
巨雷狼は地面に倒れ、心臓に氷刃を突き立てられたまま、すでに息絶えていた。
シオンは笑いながら、ゆっくりと刃を引き抜いた。
刀身は途中で折れ、残った刃にも無数の欠けと亀裂が走っている。
だが、気にした様子はなかった。
左手を伸ばし、刃に沿って軽く撫でる。
掌から冷気が溢れ、柄から刃へと広がっていった。
触れたところから欠けや亀裂が消え、鋭さが戻る。
折れた先にも、再び新しい切っ先が凝り始めた。
巨雷狼が死ぬと、狼の群れは崩れ、四散した。
だが、ラインの姿は見えないままだった。
「命を救ってくださったご恩、決して忘れません!」
三人の精霊使いが自ら進み出て、シオンに礼を述べた。
ガルドだけはその場に残り、複雑に表情を変えていた。
かつてシオンに敗れたときは、どうしても納得できなかった。
命を見逃され、ようやく生きて帰ったのだ。
今はついにストーンズスキンを煉成した。
それでも、再びシオンを前にして、挑む自信は少しも湧かなかった。
シオンは鼻を鳴らした。
ふいに腕を振ると、氷刃が幾筋もの白い光を描く。
「な……」
「ぐっ!」
三人は、不意を突かれた。
まさか、シオンが突然殺しにかかるなど、考えてもいなかった。
信じられないという顔で地面へ倒れ、二度と起き上がらなかった。
「シオン、何をする!」
ガルドは驚きと怒りに駆られ、声を張り上げた。
シオンは肩をすくめ、冷笑する。
「人を殺してるんや。頭、どうなっとんのや?見たら分かるやろ」
「この、くそ野郎!」
ガルドは両の拳を握り締めた。
怒りは頂点に達し、歯を食いしばって叫ぶ。
「三家は盟約を結んだんだぞ!それなのにローデン一族の者を殺すとは、盟約違反だ!何かあるなら、俺を相手にしろ!全部受けて立ってやる!いいだろう、昔の因縁を片づけるときが来たってことだ!」
咆哮し、大股で何歩も踏み込み、シオンへ突進した。
ストーンズスキンを限界まで使う。
全身の筋肉が盛り上がり、分厚い石皮が身体を覆った。
ガルドは、動く石像と化した。
「自分から死にに来るんか」
シオンは冷ややかに笑い、刃を振り下ろした。
鋭い氷刃が頭頂から入り、眉間、鼻梁、唇、喉を通って、胸まで斬り裂く。
石の破片が飛び散った。
下腹まで達したところで、氷刃は再び折れた。
だが、冷気はすでに、ガルドの体内の生命力を残らず凍てつかせていた。
ガルドは地面へ倒れ、その場で死んだ。
盛り上がった石皮が少しずつ消え、元の姿が現れる。
「どっかで見たような……」
シオンは、衝撃で痛む手首を振った。
かつてガルドの命を見逃したことなど、ほとんど忘れていた。
軽く首を振り、人気のない谷へ向き直って叫ぶ。
「出てきいや!お前が殺したかった精霊使いは、代わりに殺しといたで。さあ、来いや!命を懸けて勝負しよか!」
言い終わると同時に、少し離れた場所でラインが姿を現した。
白髪の少年の目が、たちまち熱を帯びる。
氷刃を掲げ、斬りかかっていった。
ラインは声もなく冷笑し、背を向けて走り出す。
シオンは悪態をつき、追いかけた。
ラインはその追跡を誘導し、最も近い別の戦場へ向かった。
そこでは、バルガスチームが、巨雷狼に率いられた群れと激しく戦っていた。
もちろん、この狼の群れも、ラインがわざと誘い込んだものだった。
「皆、もうひと踏ん張りだ!狼どもは限界だぞ。南東で合図玉が上がってから、もうしばらく経つ。向こうは助けを必要としている――」
仲間を鼓舞していたバルガス・ロアは、ふいに言葉を止めた。
ラインと、その後ろへ迫るシオンが見えたのだ。
ラインが自ら降参して以来、バルガスは彼を気にも留めていなかった。
そのため、視線はすぐにラインを通り過ぎ、背後の白髪の少年へ向かう。
「シオン!」
バルガスの目に、怒りの炎が燃え上がった。
つい先日、シオンは突然彼の前へ現れ、何の前置きもなく襲いかかってきた。
しかも、わざわざ環階を二環まで抑えていた。
不意を突かれたバルガスは、敗北した。
個人の勇名も、一族の栄誉も踏みにじられたのだ。
これほどの屈辱に、怒らずにいられるはずがない。
「待って、シオンはラインを殺そうとして追いかけてるみたいだよ」
傍らのトルガ・ロアが、ふいに言った。
小柄な身体に、つるりと丸い頭が光っているようだった。
ラインと同い年で、中等資質を持ち、同期のロア一族では最も優秀な新人だった少年だ。
今では環階も二環に達している。
何度も実戦を経験し、少しずつ成長していた。
バルガスは、手を出したい衝動を抑えた。
ラインはローデン一族の者で、ロア一族とは関係がない。
三族は盟約で結ばれていても、身内と他家の者とでは親しさが違う。
他人同士が争っているなら、介入せず、巻き込まれないに越したことはない。
彼らは傍観するつもりだった。
だが、ラインがそれを予想していないはずがなかった。
たった一言で、彼らの態度を一変させた。
バルガスチームへ急速に近づきながら、ラインは慌てふためいた声を作って叫んだ。
「あいつが奪霊を持っているのを見た!守ってくれ!シオンが口封じに私を殺そうとしている!」
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
新作『終わらない夏』を書きました。
行き先を選べず、どの時代へ飛ばされても夏ばかり。そんな女性と、名前を変えながら生き続ける不老不死の男のお話です。
彼女にとって二度目の出会いが、彼にとっても二度目とは限らない。
少し笑えて、少し切ない恋愛SFです。気になった方は、こちらも読んでいただけると嬉しいです!




