119.異族との手合わせ、選んだのは降参
「長らく覇者の座を占めてきたローデン一族、新たに台頭するベル一族、そして侮れないロア一族……」
ラインは人混みの中に立ち、視線を巡らせながら会場全体を見渡していた。
ローデン一族にはアオ、クル、リリアがおり、ロア一族とベル一族にも、それぞれ優れた二環精霊使いがいる。
石造りの楼台に集まる各族の族長と実権を握る長老たちも含めれば、今の会談の丘は、まさに英傑が一堂に会した場だった。
「シオンはどの人だ?ベル一族の台頭を象徴する、あの男だよ」
「シオンはもう三環だぞ。二環精霊使いの中にいるわけがないだろう。
だが、楼台にいる長老たちの中にも見当たらないな」
人々の話題は、次第にシオンへと集まっていった。
姿を見せていないにもかかわらず、その名声は、楼台の下にいるすべての精霊使いを上回っていた。
「三年前の会談の丘を覚えているか?真っ先に進み出て、皆の前で勝負を申し込んだのはシオンだった。たった三年で三環の長老になるとは、考えるだけでも恐ろしい。
二環の頃に、ロア一族の長老を倒したこともあるんだぞ。今や一気に飛躍を遂げた。先がどこまであるのか、見当もつかん」
「何より、もう十分に成長している。この勢いなら、いずれ四環になっても不思議じゃない。五環だってあり得る。六環となると……」
「五環はなお人の身、六環にして聖となる。五環でも十分たいしたものだ。六環?ふん、伝説の聖使など、本当に存在するかどうかも分からん。あまり持ち上げすぎるなよ」
……
議論が続く中、楼台の三人の族長が立ち上がり、眼下に集まる千人を超える精霊使いたちを見下ろした。
中央にはローデン一族の族長ハクが立ち、ベル一族とロア一族の族長が、その左右を占めている。
会談の丘は、次第に静まり返った。
ハクは欄干に手を置き、会場全体を見渡して、簡潔に告げた。
「三族が盟を結び、和衷共済を図る。決闘大会はあくまで手合わせ。度を越すことのないように。では、始めよ」
だが、その言葉が終わっても、楼台の下は静かなままだった。
人々は互いに顔を見合わせ、誰も進み出ようとはしない。
三族の会盟では、毎回こうした決闘大会が開かれる。
各族の実力を示すだけでなく、交流を深め、過去の遺恨をひとまず脇へ置いて、協力する意識を育むためでもあった。
この点は、地球のオリンピックにも幾分似ている。
ただ、最初に名乗りを上げるのは誰か。
真っ先に挑戦した者が皆の前で敗れれば、本人だけでなく、楼台に座る一族の上層部まで面目を失う。
前回、最初に出たのはシオンだった。だが、今回は……。
皆がためらっていると、ロア一族から、一つのチームが進み出た。
バルガスチームである。
たちまち無数の視線が、五人に集まった。
彼らはローデン一族の前を通り過ぎ、皆が見守る中、ベル一族の前で足を止めた。
「バルガス・ロアだ」
「ヴェルデン山第一力士か?」
「そうだ。つい先日も、ローデン一族のクルを皆の前で負かしたらしい。力だけなら、あいつの一位は揺るがない。シオンでも無理だろう」
「くそ、ローデン一族へ行かず、わざわざこちらへ来るとは。我が一族なら与しやすいとでも思っているのか?」
ベル一族の間に、ざわめきが広がった。
バルガス・ロアを知る者は多く、その姿を見ただけで、少なからぬ重圧を感じていた。
だが、バルガスは周囲を一巡見渡しただけで、その場に留まった。
実際に歩み出たのは、隣にいたグリム・ロアだった。
グリムは痩せており、屈強な男の多いロア一族の中では、ひときわ目立っていた。
数歩前へ出ると、ベル一族の精霊使いたちに向かって礼を取った。
「ロア一族のグリムと申す。エリアス・ベル殿、お手合わせを願いたい」
その言葉に、楼台の下から驚きの声が上がった。
エリアス・ベルは、クルやバルガスに並ぶ存在である。
ベル一族の若い精霊使いの中では、シオンに次ぐ実力者だった。
グリムが彼に挑むということは、明らかな格上への挑戦だ。
だが、それだけの実力があるのだろうか。
エリアスが、険しい顔で進み出た。
肌の白い者が多いベル一族の中でも、彼の顔色はひときわ蒼白だった。
大病からようやく回復したばかりのようで、どこか弱々しくさえ見えるが、それを理由に侮る者はいない。
「挑んできた度胸は認めよう。どういう勝負が望みだ?言ってみろ。どんな勝負でも受けて立つ」
グリムは、陰気な笑みを浮かべた。
「私は防御が得意で、エリアス殿は攻撃に長けている。ならば、私が守り、あなたが攻めるというのはどうだ?三度攻撃してもらい、その結果を見よう」
これはあくまで手合わせであり、命を懸けた決闘ではない。
だが、グリムの自信に満ちた態度からは、周到な準備をしてきたことがうかがえた。
それに気づいた者たちは、ひそかに疑念を抱いた。
エリアスは眉を上げた。
「グリム、どんな精霊を手に入れたにせよ、お前は二環初位にすぎん。環階の差は変わらない。この渦錐を、本当に防げると思っているのか?傷を負っても、恨むなよ」
「試さなければ分からないだろう。さあ、来い」
グリムは不気味に笑い、体内の精霊を発動させた。
半透明の緑色の鎧が体表に浮かび上がり、続いて体内へ溶け込んでいく。
全身の肌から血の気が失せ、乾いたくすんだ緑色へと変わった。その姿は、陰気な枯れ木を思わせた。
同時に、歯が鋭く長くなり、上下四本の犬歯が唇の外へ突き出した。
瞳も幽かな緑色に変わり、淡い光を帯びている。
二環精霊――屍人鎧。
発動すれば、使用者を屍人へと変える精霊である。
屍人は生身の人間よりも拳や蹴りに強く、傷からの回復力も高い。
炎と強い光を恐れる一方、激流や毒に対する抵抗力には優れていた。
ただし、その力は時刻にも左右される。日光の下では、夜ほどの戦闘力を発揮できない。
「それでも、恐れるほどではない」
エリアスは冷笑し、右手を上げた。
皆の見守る前で五本の指を内側へ曲げ、指先を一点に寄せるように、拳を緩く握る。
まず、一滴の水が指先に生まれた。
それはたちまち膨らんで激しい水流となり、手の周囲を旋回し始めた。
二呼吸もしないうちに、淡い青色の水流が右拳の外側で螺旋状のドリルを形作り、高速で回転した。
二環精霊――渦錐!
岩や鋼鉄さえ穿つ、極めて高い貫通力を持つ精霊だ。
正面から受け止められる防御精霊は、そう多くない。
「受けてみろ」
エリアスは軽く咳をし、右拳を鋭く突き出した。
グリムは両腕を上げ、盾のように交差させて、体の前に構えた。
回転する水のドリルが両腕にぶつかり、水しぶきが飛び散った。
数呼吸の拮抗の後、ドリルの回転が急激に増した。
グリムは弾き飛ばされ、五、六歩先へ転がった。
倒れたグリムは、動かなかった。
だが次の瞬間、腰が大きく持ち上がった。
両手と両足で地面を支え、体全体が奇妙な弧を描く。
腹を上に向けた体を、ゆっくりとひねっていく。
顔には奇怪な笑みを浮かべ、エリアスから視線を外さないまま、少しずつ身を起こした。
やがて、再び両足で地面に立った。
ただし、両腕の筋肉は水流に引き裂かれ、骨が露出していた。
ベル一族の精霊使いたちから、歓声が上がる。
ごく一部の者だけが、かえって眉を深くひそめた。
「へへへ……」
グリムは陰気に笑い、傷をまるで気にしなかった。
屍人と化した今、痛覚は完全に失われている。
ところが、その場に立っていたエリアスの蒼白な顔が、急に歪んだ。
彼は激しく血を吐いた。
歓声が、ぴたりと途絶えた。
「どうしてだ?!」
誰かが、思わず叫んだ。
「共命影だ!」
エリアスは、足元へ視線を落とした。
グリムの影が異様な形に歪んで伸び、雪の上を這って、二人をつないでいた。
「どうやら私の勝ちだ、エリアス殿。共命影によって、私が受けた傷の十分の一は、あなたにも及ぶ。私はもともと防御が得意だが、あなたは攻撃が専門で、体も丈夫ではない。たとえ十分の一でも、耐えられまい」
グリムは、淡々と告げた。
エリアスは口元の血を拭い、しばらく彼を睨んでから、歯を食いしばって言った。
「見事だな、実に見事だ。よく考えたものだ、確かに一枚上手だった。この勝負は、私の負けだ」
皆の前で、敗北を認めたのである。
「卑怯だ!」
「なんて陰険な奴だ!」
「共命影を持っていたとは。エリアス先輩は、完全に罠にはめられたんだ」
ベル一族の間から、たちまち非難の声が上がった。
グリムは礼を取った。
「恐れ入る。制限なく戦えば、最後に勝つのはエリアス殿だろう。共命影の届く範囲は狭く、接近戦で少し有利に立てる程度だ。このウルフウェーブでは、どうかよろしく頼む」
「もちろんだ」
エリアスは、幾分表情を和らげて頷いた。
ベル一族の声も、次第に静まっていった。
楼台から見守っていた三族の上層部も、それぞれ微かに頷いた。
決闘大会は手合わせであり、殺し合いではない。
グリムが自ら切り札を一つ明かしたことは、互いの理解と信頼を深める助けにもなる。
グリムもエリアスも、適切な節度を示した。
こうして収められれば、ベル一族の精霊使いたちも、口では認めずとも、グリムに幾分かの敬意を抱かずにはいられない。
強者は、やはり尊重されるものだった。
「バルガスチームは、いい口火を切ってくれたな」
ハクが、静かに称賛した。
隣に座るロア一族の族長は、低く笑った。グリムの一戦は、彼の面目を大いに施したのである。
反対側のベル一族の族長は、いささか渋い顔をしていた。
だが、バルガスチームは、そこで引き下がろうとはしなかった。
五人はベル一族の前を離れ、今度はローデン一族の前へやって来た。
「ベル一族に挑んだ後は、こちらにも挑むつもりか?」
「まずい、今度はバルガス本人が出てきたぞ!」
ローデン一族の精霊使いたちにも、緊張が走った。
多くの視線が、クル、リリア、アオへと向けられた。
ところが、バルガスが声を張り上げて呼んだのは、別の名だった。
「ライン・ローデンはどこにいる?出てきてくれ。一人で水禍蟇を追い払ったと聞いた。俺とひとつ、力比べをしてみないか!」
たちまち、どよめきが広がった。
バルガスが自ら出てきたというのに、挑んだのはアオでもクルでもリリアでもない。
名指ししたのは、まだ新人の後輩だった。
「ライン・ローデン?誰だ、それは?」
「一人で水禍蟇を追い払った?五環精霊だぞ、本当なのか?」
他の集落から来た精霊使いの中には、その名を初めて聞く者もいた。
驚きと好奇心の入り交じった視線が、次々に向けられる。
ローデン一族の精霊使いたちは、自ら左右に分かれて道を空けた。
人混みにいたラインの姿が、露わになった。
遮るものがなくなり、バルガス・ロアとラインの視線が、まっすぐに交わった。
バルガスは口元に微かな笑みを浮かべ、礼儀を保った落ち着いた声で言った。
「ライン、ぜひとも手合わせを願いたい」
「このラインって、いったい何者なんだ?見たところ、それほど頑丈そうでもないが」
「水禍蟇を追い払ったのは、たまたま条件が揃っただけだ。難しいことじゃない。へっ、バルガスの筋肉馬鹿に目をつけられたか。今度は厄介なことになったな」
「ライン、今度ばかりは避けられない。はあ、腹をくくって受けるしかないか……」
クルは、心の中でため息をついた。
「ああ、そうか……」
ラインは平然とした顔で、肩をすくめた。
「降参だ」
その一言に、誰もが呆然とした。




