05 伯爵家のとんでもない裏事情
「ひ、ひと、独り占め……?」
思ってもみない台詞に、私はただただ目を丸くした。
驚きすぎて、言葉が全然出てこない。
「今までのことも、本当にごめん。全部ちゃんと説明するから、聞いてほしいんだ」
そうしてアル様が語ってくれたのは、俄かには信じ難い、ロウム伯爵家のとんでもない秘密だった。
「……表向き、我が家は何の取り柄も功績もない、歴史が古いだけの家門だとされている。でも実際は、建国当初から密かに『王家の影』を統括する役目を担ってきた家なんだ」
「…………えっ!?」
思わず声が出てしまったのも、仕方がないと思う。
――――『王家の影』とは。
王族の繁栄と安寧のため、ひいてはこの国のため、諜報、裏工作、暗殺といった汚れ仕事を一手に引き受ける非公認秘密組織のことである。
もちろん、噂では聞いたことがある。貴族なら、誰でもその存在は知っている。でも、どこの誰がその役割を担っているのか、これまでどんな仕事をして何人の人間を秘密裏に葬り去ってきたのか、その詳細や正体を知る者はいない。
それを知っているのは王族と宰相、そして当事者たちだけとされているのだ。
「そんな家に、何も知らない君を迎え入れていいのかどうか、俺にはずっと迷いがあった。時に卑劣で、残忍な『影』の仕事内容を知ってしまったら、君はこの婚約を後悔するんじゃないかという不安もあった。純粋な君のことを考えれば、この婚約は白紙に戻してしまったほうがいいに決まっている。それでも、こんな俺なんかのために血の滲むような努力を重ねる君がいじらしくて可愛すぎて、手を放すことができなかったんだ」
「……か、可愛い……!?」
またしても想定外の言葉が飛び出たことで、私は思わず素っ頓狂な声を上げる。
アル様はふっと笑って、私の手をぎゅっと握った。
「可愛いよ。セレスのことは、ずっと可愛いと思ってた」
「わ、私なんかの、どこが……?」
「たくさんの努力をして、あれができるようになったとか、こんな賞をもらったとか、報告してくれるたびにキラキラした笑顔を見せてくれただろう? つい抱きしめたくなるくらい、可愛かった」
「は!? 抱き――!?」
「俺のちょっとした言葉で真っ赤になったりあわあわしたり、いつもはあんなに完璧なのに、俺の前では無防備な姿を見せてくれるところも可愛かったし」
「いや、そ、それは……」
「とにかくひたむきに努力し続けるまっすぐさが可愛い。ほんと、誰よりも可愛い。セレスが世界で一番可愛い」
「も、もう、その辺で……」
これまでアル様に一度たりとも言われたことのない「可愛い」という言葉を怒涛のように浴びせられ、心臓が勝手に暴れ出して止まらない。息も絶え絶えである。
「ア、アル様は、私のことを疎ましく思っていたはずでは……?」
やっとの思いでそれだけ返すと、アル様は途端に神妙な顔つきになる。
「セレスを疎ましいと思ったことなんて、一度もないよ」
「え?」
「そもそも、セレスはこの婚約が自分のわがままで成立したと思っているだろう? 格上の公爵家からの打診を、伯爵家が断れるわけはないって。この婚約は、公爵家の権力と財力を振りかざした結果だって」
「は、はい。違うのですか?」
「表向きは、そういう側面もないわけじゃない。でも、この婚約に一番乗り気だったのは、間違いなく俺の父親、ロウム伯爵だ」
「……え?」
言われて、あの初顔合わせの日のロウム伯爵を思い出した。
確かに彼は、これ以上ないくらい上機嫌だったはずである。
「俺の父親は、『影』としての職務や任務を最優先にする人間でね。いずれ『影』を束ねるトップの座を継ぐことになる俺には、ポテンシャルが高くて将来性のある女性を娶らせたいと考えていたらしい。得意の情報収集力で俺と同年代の令嬢たちを調べ上げ、早くから目をつけていたのがセレスだったんだ」
「じゃあ、私のことはもともと知っていたということですか?」
「知っていたなんてもんじゃない。俺はあの殿下の誕生パーティーで、セレスとのつながりを作ってこいと命じられていたんだよ。でも、君を一目見た瞬間、この子をうちの事情には巻き込みたくないと思ってしまった。それなのに、君はいきなり婚約を申し込んでくるし、あっという間に全部決まっちゃうし、どうしたものかと頭を抱えたよ」
「……それは、すみません……」
「セレスが謝ることじゃない。遠ざけたほうがいいとわかっていたのにセレスを手放すことができなくて、曖昧な態度で誤魔化し続けてきた俺が悪い」
そう言って、アル様は切なげに目を伏せる。
「心の底ではセレスのことが可愛くて可愛くて仕方なかったのに、ずっと迷って踏ん切りがつかなくて、それでもいざ学園に入学したらセレスを見る令息たちの視線に我慢できなくてさ。素っ気なくて他人行儀な接し方しかしてこなかったくせに、そのせいで不仲説まで流れてたっていうのに、セレスをほかの男に盗られたくなかったから牽制するように一緒にいたりして」
「……もしかして、あれはそういう……?」
「それに、セレスとヴィクトル殿下があんなに気安い関係だなんて思わなかったから、ものすごく嫉妬したんだ」
「嫉妬……!?」
嫉妬って、やきもちとかそういうこと、よね……?
ま、まさか。
ほんとに?
アル様がそんな感情を……!?
「で、でも、殿下とはいとこ同士というだけで、別にそこまで気安い関係ではないのですよ……?」
「そうかもしれないけど、どうしようもなく焦った。今だって、ほかの男の隣に立つセレスを想像しただけで気が狂いそうになる」
「え……?」
「だからもう、迷うのはやめる。俺はセレスが好きだし、セレスを誰にも渡したくないから」
「へ……?」
自分史上、最も間抜けが声が出た。
でも、そんな私を見つめるアル様の瞳は、まるではちみつのようにとろりと甘い。
「俺が中途半端にぐずぐず迷っていたせいで、セレスにも散々つらいを思いをさせてきたと思う。無愛想なうえに冷たい態度ばかりで、ずっと傷つけてごめん。本当にごめん」
「アル様……」
「セレスが俺の家の事情を知って、『影』の仕事なんか受け入れられないと思ったとしても、もう放してあげられない。その代わり、今まで何もできなかった分、これからは誰よりも何よりも大事にするから」
低く抑えた声でそう言うと、アル様は急に余裕のない表情になる。
「だから、頼むから、俺以外にあんな可愛い顔見せないで」
……ん?
可愛い顔……? してたっけ……?
じっとアル様を見返してみても、まったくもってピンとこない。
「……あの、可愛い顔って、なんの話ですか……?」
「さっき、殿下に笑いかけていただろう? 天使みたいな可愛い笑顔で」
「天使? 私が?」
なんだそれ。
『さしすせそ』がうまくいきすぎて、ニヤニヤしていただけだと思うけど。
「ずっとひどい扱いをしてきたくせに、今更何をって思うかもしれないけどさ。俺だって、自分がここまで狭量だなんて思わなかったんだけどさ。でも、セレスの可愛らしさは俺だけが知っていたいし、特に殿下にはあんまり知られたくないんだよ」
「殿下が私のことを、可愛いだなんて思うはずないじゃないですか」
「……え? いや、そんなことは――」
「あの人は昔から、顔を合わせれば上から目線で皮肉や嫌味ばかりだったのですよ? どうせ私のことを、いけ好かないいとことしか思っていないからに決まっています。まあ、それは私も同じですけどね」
「え、そ、そうなの……?」
「はい。それに私、アル様にひどい扱いを受けてきたとか、傷つけられたとか、まったく思っていませんから」
私があっさり言い切ると、アル様は少し困ったように眉根を寄せる。
「いや、でも――」
「アル様がずっと抱えていた迷いも葛藤も、その結果としての素っ気なさも、全部仕方のないことだったと思うのです。それって裏を返せば、私のことを大切に想ってくれていたからでしょう?」
「……セレス……」
「私がひたすら努力を重ねたのは、ただただアル様に相応しい婚約者になりたかったからです。おかげでいろんなことができるようになりましたし、そもそも努力すること自体は嫌じゃなかったのですよ。むしろ、楽しかったのです。だから、アル様が謝るようなことは、一つもありません」
私の言葉に、アル様はなんだかちょっと泣きそうな顔になった。
それから私を抱き寄せ、耳元で「ありがとう、セレス」とささやく。
「それに」
抱き寄せられたまま、私はアル様の顔をまっすぐに見上げた。
「できることが増えたのは、そのまま『影』としての任務に役立ちますからね」
「……は?」
「これからは、どうぞ私も『王家の影』の一員として存分に使ってくださいませ。結構即戦力になると思いますよ?」
にっこり笑ってそう言ったら、アル様は悩ましげにため息をついた。
「……いや、セレス自身が任務にあたることは、そうそうないと思うよ……?」




