04 実技演習さしすせそ
絶好の機会はすぐにやってきた。
それは、ある日の放課後のこと。
ここのところ、私はアル様に誘われ、図書室で一緒に課題をやってから帰ることが多くなっていた。これまでは必要最低限のかかわりしか持とうとしなかったアル様なのに、最近はなんだかんだと声をかけられることが増えた気がする。
どういう心境の変化なのかは、いまだによくわからないのだけど。
図書室の机に並んで座り(なぜかアル様は隣に座りたがる)、二人で課題に没頭していたら、絶妙のタイミングで図書室に入ってくるヴィクトル殿下が視界に入った。
……おっと。
これはひょっとしたら、いよいよ実技演習のチャンス到来なのでは……?
毎日のようにマイア様の言動を観察し、『可愛げ』の何たるかを研究し続け、侍女相手に修練を重ねた私は、そこに一つの法則というか、すこぶる高度な会話のテクニックが存在することを見出していた。
名づけて、『可愛げマスターのさしすせそ』。
そのまんまといえば、そのまんまなネーミングである。
でも、常日頃から数多くの男子生徒たちに囲まれ、ちやほやされまくっているマイア様の『可愛げ』を多角的・総合的に分析してみた結果、あの卓越した会話術が結構重要な要素ではないかと気づいたのだ。
ただし、これがどこまで通用するのか、もっといえばアル様にも可愛らしいなどと思ってもらえる可能性があるのかどうか、まったくもって予想がつかない。
だから、なんとかして実際に試してみたい、と機会を窺っていたのである。
書架の奥へと姿を消した殿下を一旦見送った私は、頃合いを見計らい、殿下を探して、すすす、と近づいてみる。
「……あの、殿下?」
いつもなら自分から近寄るようなようなことは絶対にしないのだけど、私はマイア様をイメージしつつ、これ見よがしに小首を傾げた。
もちろん、『庇護欲』とやらを誘う上目遣いも忘れない。
「……セレスか? どうした?」
「実は、ぜひとも殿下のご意見をうかがいたいことがありまして」
いつもより頼りなげな声のトーンで困りきっているふうを装いながら、私はおずおずと遠慮がちに話し出す。
「世界情勢を学ぶ授業の中で、他国について調べるという課題があるじゃないですか? 私としては、ベレガノア帝国とガーシュ王国、どちらにしようか迷っているのです……」
そう言うと、心なしか強張っていた殿下の表情がわかりやすく緩んだ。
何を聞かれるのだろうと警戒する気持ちが、一気に霧散したらしい。
「なんだ、そんなことか」
一転、妙に尊大な態度になったかと思うと、殿下は間髪を入れず饒舌になる。
「帝国ベレガノアは武力に秀でた強国だ。近年は武力だけでなく産業にも力を入れていて、その圧倒的な国力は他の追随を許さないともいわれている」
「なるほど」
「一方のガーシュ王国は繊維工業を主軸にして発展した国だ。世界有数の服飾材料生産国であり、有名なドレスショップや服飾品を扱う商会も数多く、最先端ファッションの発信地、なんて呼ばれることもある」
「お詳しいのですね、殿下。さすがです」
私の言葉に、だらしなく目尻を下げるヴィクトル殿下。
もちろん、それくらいのことは私だって知っている。本当は、わざわざ聞くまでもない知識である。
でもこれは、『可愛げ』という装備を会得するための実技演習、いわば実地訓練。
早くからしっかりとした王子教育を受けている殿下は、実は国際情勢や世界経済の分野が得意だと聞いたことがある。だから殿下の得意分野に関する話題を振りつつ、ひとまず『可愛げマスターのさしすせそ』の『さ』にあたる「さすがです」を使ってみたのだけど。
思った以上の好感触に、私も内心にんまりしてしまう。
「どちらの国を選んでも面白いとは思うが、最近ガーシュ王国では新たな絹織物が開発されたそうなんだ。従来品よりも薄くて軽いし、淡い色合いが特徴的な生地だから、今後爆発的に流行るのでは、と話題になっているらしい」
「それは、知らなかったです」
「この前ガーシュ王国の使節団が来たときに、ひとしきり宣伝していったんだ。見本品もいくつか置いていったんだが」
「すごいですね」
「母上がその生地を一目見て、いたく気に入ったらしくてな。父上も今度の夜会用にその新しい生地でドレスを作ってはどうかと提案されて、ドレスデザイナーのアウレ・ルーミルに頼むことになったんだ」
「アウレ・ルーミルって、超有名な服飾デザイナーじゃないですか。そんな方にお願いするなんて、やっぱり王家の方々のセンスは素晴らしいですね」
「そうかな? でもまあ、ガーシュ王国の新たな生地はこれから各国の注目を集めることになるだろうし、そういう意味ではベレガノア帝国よりガーシュ王国のほうが話題性が高いといえるだろうな」
「そうなのですね」
私の相槌に、殿下はこれ以上ないというくらいのドヤ顔を決めている。
……ちょっと!!
『可愛げマスターのさしすせそ』の威力、すごすぎない!?
「さすがです」に続き、「知らなかったです」「すごいですね」「センスがいい」「そうなのですね」などという言葉を次から次へと投入してみたら、殿下が思いの外得意げに、むしろニコニコと上機嫌になってしゃべり倒してくれるんだもの。
顔を合わせれば、とかく「完璧すぎるのもどうかと思うが」だの「僕より強くなるとは何事だ」だの、皮肉や嫌味ばかりを浴びせてきた人との会話とは、到底思えない。びっくりなんですけど。
思った以上の手応えを感じて、私はつい、ふふ、と小さく笑ってしまった。
「セ、セレスも意外に、というか、やっぱり可愛いところがあるよな」
「……はい?」
「いや、これからも、困ったときには何でも聞いて――」
「セレス」
突然、ぞっとするほど冷たい声が後ろから聞こえてきて、振り返るとアル様が立っていた。
しかも、どういうわけか噛みつかんばかりの殺気を宿した目をしている。
「え? あ、あの、アル様?」
「……そろそろ、帰ろうと思って」
「は、はい。わかりました」
「では、殿下。俺たちはここで失礼いたします」
平坦な声でそう言ったアル様が私の肩をふわりと優しく抱くものだから、私の心臓はまた変な具合に跳ねた。
◇・◇・◇
なぜか問答無用でロウム伯爵家の馬車に乗せられ、なぜか問答無用で伯爵邸の応接室に連れてこられた私は、なぜか問答無用でアル様の隣に座らせられている。
「あの、アル様……?」
馬車の中でも、アル様は終始無言だった。
何を聞いても恐ろしいくらいの仏頂面のまま、「家に着いたら、全部話す」としか答えてくれなかったのだ。
今までにない緊迫した空気に、私は自分が何かやらかしてしまったのだろうかと考えた。もしかして、殿下にあの『さしすせそ』を試している場面を見られたとか? それとも、私の浅はかな魂胆を見破られてしまったとか?
だとしたら、どうしよう。
そもそもあれは、『可愛げ』という装備を手に入れるための、一つの手段にすぎない。
それなのに、アル様の怒りを買ったのであれば本末転倒。
アル様に「可愛い」と認めてもらえなければ、何の意味もないのだ。
絶望的な気分で息を潜める私の手に、アル様がそっと触れる。
「セレス、ごめん」
「……え?」
「……思った以上に、俺は君を独り占めしたいみたいだ」




