第9話 手紙
エレノアは私室の机であくびを噛み殺す。
レグニスに宛てた手紙を書くのに、ほとんど寝ることができなかった。
「ふぅ……」
その溜め息には疲労が滲んでいる。
書きたいことはたくさんあった。しかし、レグニスは長い文面を好まないので、文章をなかなか決めることができなかった。
書き損じた紙は机の隅に丁寧に重ねられている。紙も無料ではないし、何かのメモには使える。
もし文面を誰かに見られたら恥ずかしいが、勝手に見るものなどこの公爵邸にはいない。
コンコン、と不意に扉がノックされた。
叩き方からして、侍女や使用人ではない。
エレノアは椅子から立ち上がり、声をかけた。
「どうぞ、お入りください」
カチャ、と小さな音を立てて扉が開く。入ってきたのは父フリードリヒだった。
「一晩中、部屋に灯りがついていたようだが、困ったことでもあるのではないか?」
どうやらエレノアの体調を心配して、様子を見に来てくれたらしい。
「いいえ、大丈夫ですわ、お父様」
「その手紙は……」
フリードリヒは目ざとく、エレノアの書いた手紙を見つけた。
「レグニス殿下に宛てたものだな」
エレノアは伏し目がちに答える。
「はい。きちんとレグニス様にお伝えしたいと思ったのです……」
「そうか。きっとお前の想いはレグニス殿下にも伝わるはずだ」
こくん、と頷いたエレノアは話題を変える。この機会に父に伝えようと思ったのだ。
「お父様からいただいた寄付金ですが、セドリック=ローゼンフェルト様の孤児院に寄付いたしました」
「ほう、ローゼンフェルト公爵家の……」
「はい。彼は孤児の教育に力を入れ、世に送り出しています。わたくしもこの目でしっかりと確認しました。ですので、わたくしの行いは正しいものだと信じています」
フリードリヒは少しの間、考え込んでから、返事をした。
「エレノアがそう思うのなら、きっとそうなのだろう……手紙を持っていくのだろう? 先触れを出しておこう」
「ありがとうございます、お父様」
「大事な娘だからな。邪魔をして悪かった」
そう言うと、フリードリヒは退室した。
彼も魔族との内通疑惑への対処で忙しい身でありながら、エレノアのことも気にかけている。
そんな父の優しさに応えるためにも、エレノアは自分のやるべきことをやる。
エレノアは一晩かけて書き上げた手紙の確認をする。
『レグニス=アウレリア様
婚約破棄を告げられ、幾日も過ぎた今でも、あなたのことをお慕いしております。
あなたのことを考えない日はありません。
ですが、もう髪に触れることもできないのですね。
我がヴァルシュタイン家が内通しているなど、未だに信じることはできません。
きっと何かの間違いだと思います。
仮に内通していたとしても、魔がさしたのでしょう。
許されないことは存じています。
未来の子どもを夢見ることもありますが、もはや希望はないのかもしれませんね。
また、お会いできる日を心待ちにしております。
エレノア=ヴァルシュタイン』
これで、想いが伝わるだろうか。
エレノアは不安に思う。手紙を渡すことは大事だが、できれば直接レグニスに会って話したい。
だから、本来であれば、手紙は使者を介して渡すものではあるが、エレノア自身の手で持っていきたかった。
夜通し考えた文面を、さらに何度も読み返し、不備がないかを確かめる。
「きっと、これで……」
エレノアは丁寧に手紙を封筒に入れ、封蝋で閉じた。
彼女の印章が入った封蝋だ。
レグニスに会うことは難しいかもしれない。なにせ、今のエレノアは魔族との内通疑惑がある家の令嬢なのだ。
先日は、婚約破棄に関する書類に署名をするためにレグニスの執務室に行ったが、今回はただ手紙を渡すだけだ。
(セドリック様についてきてもらったら、レグニス様にお会いできるかしら……? レグニス様にもセドリック様の人となりを見てほしいですわね。セドリック様さえお嫌でなければ、お誘いしてみようかしら)
セドリックもいろいろとやることはあって、忙しい身であることは承知している。
使用人に頼み、ローゼンフェルト邸への使者を出した。「突然だがこれから付き添ってもらえないか?」という旨の内容だ。
返事が返ってくるまでの間に、エレノアは外出用のドレスに着替える。
手紙をポシェットに入れ、腰帯に吊り下げた。
そうしているうちに、使者が戻ってきた。
「喜んでお供します」と返事があり、迎えに来てくれたセドリックの馬車に乗って、エレノアは皇宮へと向かった。
◆
「本当に付き添っていただきありがとうございます」
「私でよければ、いつでもお力添えしますよ」
皇宮の応接室に通されたエレノアとセドリックは、このやり取りをここに来るまでの間に何度も繰り返していた。
エレノアにとって、セドリックがついてきてくれたことは、本当に喜ばしいことだったのだ。
フリードリヒが先触れを出してくれたので、応接室まではすんなりと入ることができた。
魔族との内通疑惑があるので、数名の騎士に付き添われてではあるが。
しばらく待っていると、皇宮の執事が応接室にやってきた。
「レグニス殿下はエレノア様にお会いにならないとのことです」
開口一番、彼はそう告げた。
その言葉にエレノアは愕然とした表情になる。
「その……ヴァルシュタイン家の魔族内通疑惑は完全に晴れたわけではありませんので……」
執事は申し訳なさそうだが、彼が悪いわけではない。彼は職務を全うしているだけだ。
「お帰りの際はお声がけください。待機しておりますので」
彼はそう言うと退室した。
廊下に執事と騎士が待機しているが、応接室には二人きりになった。
「エレノア嬢」
「あ、は、はい」
「やはり、私がレグニス殿下に面会を申し出ましょう」
セドリックがそう申し出た時だった。
「ま、待ってください……ぜぇ、ぜぇ……」
応接室にぱたぱたと走ってくる足音が聞こえた。
エマだ。
以前、レグニスの執務室で見た時よりも顔色は多少良くなっているが、目の下の隈は相変わらずだ。
「ぜぇ、ぜぇ……エレ、ノア様……ご主人、様が……はぁ、はぁ……」
エマはエレノアの前で立ち止まり、肩で息をする。
「まずは息を整えて、エマ」
「はぁ、はぁ……いえ、もう、大丈夫です」
額に大粒の汗を滲ませたエマが顔を上げる。レグニスに何か言われ、ここまで走ってきたのだろう。
「無理はしないで……レグニス様から何か言われたのですか?」
「あの、はい……エレノア様に用件を聞いてこいって言われて、それで、その……急いできたんです」
直接会う代わりに、エマを寄越したということだろう。
「直接お渡ししたかったのですけれど、エマに預けますね。レグニス様へのお手紙です。必ずお渡ししてください」
エレノアはポシェットから封筒を取り出し、エマに渡した。
エマは大事そうに抱えて、首を縦に振った。
「それはそうと、エマ、体調は大丈夫ですか?」
「もしかして、貴女がレグニス殿下に酷い扱いを受けているという侍女ですか?」
はっと気づいたようにセドリックが尋ねた。
その問いに対し、エマは視線を落とした。そして消え入りそうな声で答えた。
「……ご主人様の元で働くのは、身体も心も疲れるんです」
侍女が主のことを悪く言うことなどあってはならない。
それでも彼女は小さな声を震わせた。
「昼に、夜に、ご主人様の望むことをさせられて……辛いんです」
沈痛な面持ちのエマに、セドリックが優しく声をかける。
「いったい、何をされているのですか? 今すぐには難しいですが、きっと貴女を助けます。だから、教えていただきませんか?」
「そんな……ここではとても、口に出すことはできません……」
しかし、エマは首を横に振った。そして、パッとセドリックを見上げた。
「でも……卑しい孤児のわたしですけど、本当に辛いんです……助けてください……」
その視線を受け、セドリックは笑って答えた。
「もちろんです。必ず、お助けしましょう」
エレノアもエマに優しく、微笑みかけた。
「エマ、安心してください。きっと、うまくいきますわ」
「はい……エレノア様、どうかよろしくお願いします」
エマはそう言い残して、皇宮に急いで戻っていった。
これで、エレノアの手紙はレグニスに届けられるだろう。
走っていくエマの後ろ姿を眺めながら、セドリックが言った。
「あの子を放っておくわけにはいきません。私が殿下との面会を申し込みましょう。そこで、侍女に対する真意を追及します。エレノア嬢、ぜひ貴女にも同席していただきたい」
彼は固く拳を握り、表情は険しいものだった。
そんなセドリックに、エレノアも力強く頷いた。




