第8話 公園での軽食
「露店に行きましょう」
てっきり高級なレストランへ赴くのだと思っていたエレノアにとって、セドリックの提案は意外なものだった。
向かった先は、平民が行き交う帝都の大通りだ。
当然のように馬車を使うと考えていたため、そこを自らの足で歩いて進むことにも驚かされる。
「馬車だと平民を威圧してしまうこともありますから」
セドリックが穏やかな笑みを浮かべる。
歩く速度もエレノアを尊重したものだ。
皇宮前の広場は賑わっていた。いつも皇宮には貴族街の出入口を使って入っていたので、新鮮だ。
もちろん、屋台で買い食いなどしたことはない。
「私のお勧めでよろしいですか?」
そう問いかけるセドリックに、エレノアは苦笑して答えた。
「はい。よろしくお願いしますわ」
セドリックが買ったのは、串焼き肉と蒸されて膨らんだパンだった。
肉の焼ける匂いと小麦の香りが鼻腔をくすぐる。
「それでは行きましょう」
「どこに行くのですか?」
「エレノア嬢も知っている場所ですよ」
セドリックは優しく微笑むと、露店で購入した昼食を抱えて、大通りからほど近い貴族街の入り口付近へと足を向けた。
エレノアは首を傾げつつ、ゆっくり進むセドリックについていった。
◆
セドリックに連れていかれたのは、もう何度も来たことのある公園だった。
エレノアにとって、レグニスとの思い出の場所だ。
「青空の下で食事をするのが好きなのです」
「まあ、それは素敵ですわ」
エレノアが日差しになるべく晒されないよう、セドリックは木陰を選んで歩いた。
足を止めたのはガゼボだった。ここなら、肌が陽に焼けることもない。
セドリックが椅子についた埃を払い落とし、エレノアをそこに誘導した。
彼女が腰を下ろしたのを確認してから、自らも対面に座った。
「さあ、温かいうちに食べましょう」
「はい。先ほどから良い香りが漂ってきますもの」
エレノアは串に刺さった肉の食べ方など知らないが、セドリックの真似をして小さくかぶりついた。
口の中に肉汁とタレが広がる。
家や社交界で口にする、皿にきれいに盛られた料理とはまた違った美味しさがあった。
「初めて食べる味ですわ。ですが、とっても美味しいです」
エレノアが素直に感想を述べると、セドリックも嬉しそうに頷く。
「そうでしょう。私も初めて食べた時はひどく感動したものです」
蒸したパンも口の中で小麦の香りが広がり、社交界の料理より美味しいのではないかと思えたほどだ。
そのとき、不意に強い風が吹き抜けた。
「きゃっ」
「おっと」
エレノアは慌てて長い髪を押さえる。
一方、セドリックは飛ばされそうになった、串焼き肉やパンを包んでいた紙を掴んでいた。
公園の木々がざわめき、幾枚もの木の葉が舞う。
そのうちの一枚が風に流され、二人がいるガゼボまで飛んできた。
セドリックの頭にくっついた葉っぱを取ろうと、エレノアが右手を伸ばした。
そうして頭に触れるかどうかというところで、セドリックが身を反らし、エレノアの手を払う。
バシッと小気味いい音が響いた。
「痛っ……」
エレノアは思わず、反対の手で押さえ、驚いたように右手を見つめる。
そして、セドリックの頭に視線を移す。葉っぱは今の衝撃で落ちていた。
セドリックは驚いたような、申し訳ないような複雑な表情を浮かべていた。
もう一度、自分の右手とセドリックの頭に視線を行き来させてから、顔を伏せセドリックに謝る。
「申し訳ございません。余計なことをしてしまったみたいですね」
彼は慌てて、頭を振った。
「謝るのは私です。女性に手を出してしまうなんて、咄嗟のこととはいえ、大変申し訳ない」
深く頭を下げるセドリックに、エレノアがおずおずと尋ねる。
「もしかして……何かあるのですか?」
「ええ、その……あまりお話したいことではありませんが」
そう前置きをしてから、セドリックは話を続けた。
「幼少期のちょっとしたトラウマがあるのです」
「トラウマ、ですか」
セドリックは頷いてから、池に目を向ける。古い記憶を思い出すような表情だ。
「はい。お恥ずかしい限りですが、幼少期の私は礼儀作法というものが苦手でして……」
挨拶に始まり、食事の作法や茶会でのマナー、自分より身分の高いものへの対応の仕方など、覚えるべきことはたくさんある。
エレノアも苦労した記憶があった。
「今は亡き両親はとても礼儀作法に厳しい方でした。もっともそうしたものが重要であることは承知していますよ。ただ、失敗をするたびに頭を叩かれてきたのです」
エレノアは目を丸くして、両手で口を覆った。
彼女は父からも母からもそのような仕打ちを受けたことはない。病弱な母はともかく、厳格な父が暴力を振るうのも見たことがない。
それぞれの家の事情があるので、そこに口を出すことなどできない。
だから、エレノアは当たり障りのないことを言うしかなかった。
「大変な幼少期を過ごされたのですね」
「今にして思えば、そのおかげで両親亡き後もなんとか、ローゼンフェルト公爵家を切り盛りすることができました」
セドリックは何ともない、というふうに苦笑した。
「……知らなかったとはいえ、申し訳ございません」
エレノアは再度謝った。
セドリックは彼女の右手を取り、いたわるように撫でた。
「いいえ。悪いのは、いまだに完全に吹っ切れていない私です……痛かったでしょう?」
「セドリック様の事情に比べれば大したことはございませんわ。怪我もしておりませんので、大丈夫です」
エレノアは頬を緩めた。そして、思ったことを尋ねる。
「孤児院を運営されるようになったのも、そのことが関係しているのですか?」
少し思いふけってから、セドリックはそっとエレノアから手を離した。
「……それもあるかもしれませんね」
静寂が流れる。
聞こえてくるのは、木々のざわめきと鳥の鳴き声、虫の音くらいだ。
頬を撫でる風が心地よい。
同じ風なのに、その強さで不快になったり気持ちよくなったりするのだから、不思議だ。
そんな落ち着いた雰囲気を壊す音が響いた。
ボチャン、と。
何かを池に投げ入れる音だ。
初めてセドリックに会った時も、ゴミを投棄する不届き者がいたのを思い出す。
音のした方を見ると、案の定、何かを投げ捨てている男たちがいた。
この前の男たちと似ている気がする。彼らは貴族ではない。おそらくはどこかの貴族に雇われた者だ。
「セドリック様、あれ……」
「……注意してきましょう」
セドリックがガゼボから出ようとしたが、男たちはさっさと去ってしまう。
怒ったように彼は呟いた。
「まったく、けしからん連中ですね」
その意見にエレノアは同意する。
「実は以前、私の家から出た不用品を処分するよう、あのような者たちに頼んだことがあるのです。ですが、どうやらその者たちも捨てるのが面倒臭くなったのか、あろうことか池に捨ててしまったのです」
池の底には大量のごみが廃棄されていることは想像に難くない。
「厳重に注意しましたが、まだ同じことを繰り返しているのかもしれませんね」
セドリックが不快感をあらわにして池を見つめる。
エレノアもつられてそちらに目を向けた。
「水が濁っていて、底が見えませんものね……」
「ええ……屋敷までお送りしますよ」
話を切り上げ、帰路につくことにした。
エレノアはじっと池を見たあと、もう一度、セドリックにはたかれた右手とセドリックの頭に複雑な表情を向けた。
そして、この公園でのいろいろな出来事を頭の中で振り返る。
ここはいろいろな意味で思い出の場所だ。
不法投棄。
孤独になっていたエレノアに手を差し伸べたセドリック。
レグニスと魔族の女の密会。
何より、レグニスと逢瀬を重ねた場所でもある。
そこまで思い出し、いまだにレグニスに想いを寄せていることをエレノアは再確認した。
婚約破棄されてから今日まで、いろいろな気づきがあった。
そうしたものをレグニスへの手紙にしたためようと決意した。




