第7話 不安顔の孤児
レグニスと魔族の女が密会していたのを目撃してから数日が過ぎた。
降り続いた雨がようやく上がり、エレノアは外出することにする。
用件は先日セドリックに伝えていた寄付金を持参することだ。
引き出しにしまっていた金貨袋を取り出し、テーブルに置いた。持てないほどではないが、ずっしりとした重みを両手に感じた。
寄付先について、この数日の間に父フリードリヒに既に報告は済ませている。
セドリックの孤児院と告げた時、フリードリヒは「それは良い寄付先だ」と言ってくれた。
さらにヴァルシュタイン公爵家の立ち入り監査も無事に終わっている。
役人からの疑いの目は残ったままだったが、証拠不十分ということで処理された。
「今度は必ず証拠を掴んでみせます」と役人は意気込んでいたので、まだそれで終わりではないだろう。
ともあれ、暫定無罪ということになり、屋敷の侍女や使用人たちの表情も明るくなったのは確かだ。
外出用のドレスに着替えるのも、侍女が手伝ってくれるので円滑に進む。
支度が整い出かけようとしたところに、着替えを手伝ってくれた者とは別の侍女がエレノアのもとに走ってきた。
「お嬢様、ローゼンフェルト公爵家の紋章の入った馬車が参りました」
予定通りだ。
フリードリヒに寄付先を報告してすぐにローゼンフェルト公爵家に使者を送り、寄付金を持参することを伝えた。
先方からは雨がやんだらエレノアを迎えに行く、と使者を通じて返事があったのだ。
「参りましょう」
エレノアが応接室に向かうと、侍女が金貨袋を抱えてついてくる。
重たそうにしているのは少々申し訳ないが、公爵令嬢自ら持つ方が問題だ。
侍女を気遣いゆっくりと向かった応接室には、既にセドリックが待機しており、ヴァルシュタイン公爵家の執事長が対応していた。
「ごきげんよう、セドリック様」
エレノアが軽く膝を折ると、セドリックは立ち上がって一礼した。
「おお、エレノア嬢。急がせてしまいましたか?」
「いいえ。そのようなことはございませんわ」
言いつつ、エレノアが侍女に視線を送ると、金貨袋をセドリックの使用人に渡した。
「セドリック様、どうぞお受け取りください」
「本当にありがとうございます。必ずや有効に使わせていただきます」
セドリックは真剣な面持ちで告げた。
そんな彼に、エレノアはおずおずと申し出る。
「それで、その……お願いがあるのですが……」
「どうしましたか?」
「もう一度、孤児院の見学をしたく存じます。不躾なことは重々承知しております」
目を伏せるエレノアに、セドリックは安心させるように柔和な笑みをたたえた。
「もちろん、構いませんよ」
エレノアはパッと顔を明るくさせ、セドリックを見つめた。
「ありがとうございます、セドリック様」
「さっそく参りますか?」
「ええ。よろしくお願いいたします」
エレノアは執事長に目を向けると、彼は恭しく頭を下げた。
「フリードリヒ様にはお伝えしておきます。どうぞ、お気をつけて」
「エレノア嬢の安全は私が保証します。ご安心ください」
セドリックは執事長にも丁寧にそう言った。
彼にエスコートされ、エレノアは屋敷の外に待機している馬車に向かった。
侍女や使用人は監査の残務処理でフリードリヒの手伝いをするため、エレノアの外出に付き従う余裕はなかった。
エレノアとしては、その方が身軽で動きやすいと思っているので、特に問題はない。
エレノアが馬車に乗り込み、セドリックが続く。
公爵家らしく、豪奢で凝った意匠の内装だ。座席も座り心地がいい。
やがて馬車がスッと動き出した。
「突然の申し出にご対応いただき、ありがとうございます」
馬車に軽く揺られながら、エレノアが再度礼を言う。
「とんでもない。エレノア嬢の寄付金のおかげで、子どもたちの教育にいっそう力を入れることができるのです。私の方こそ感謝しかありません」
セドリックはにこやかに微笑む。
「セドリック様は本当に、子どもたちを大切に思っていらっしゃるのですね」
「もちろんです。彼らを育てることは国の発展に不可欠ですから。そのための労力は厭いません」
その後、他愛のない話をしている内に、セドリックが運営する孤児院に到着した。
セドリックが馬車を先に降りる。彼は手を貸し、エレノアを降ろした。
孤児院の庭からは、以前同様子どもたちの声が聞こえるかと思いきや、今日は静かだった。
子どもたちは屋内で家事の訓練や読み書き計算の勉強をしているのかもしれない。
ふと、孤児院の玄関から身形のよい男性が出てきた。
エレノアも見たことがある顔なので、貴族に間違いない。レグニスに婚約破棄された、あの夜会の場にもいたと記憶している。
その男性貴族の後ろでは、使用人が孤児の少女の腕を引いていた。
少女は怯えたような表情を浮かべ、足取りは重く、貴族と使用人についていく。
何度も孤児院の方を振り返って足が止まるたびに、使用人に腕を引っ張られていた。
泣き叫ぶようなことはないが、涙を流しているように見える。
「あれは……?」
エレノアがセドリックの尋ねる。
「あの子に素晴らしい里親が見つかったのです。戦争で親を失った孤児が、ようやく慣れた私の孤児院を去るというのもいずれは必要なことです」
「……ずっと孤児院にいるわけにはいかないということでしょうか」
セドリックは頷いた。
「その通りです。私としては嬉しくもあるのです。私の孤児院で育て、教育した子どもがあのように誰かの役に立つのですから」
「……行き先がどんな場所であっても、新しい環境に不安を感じることは当然のことですものね」
エレノアは心配そうに少女の背中を見送った。
前回同様、セドリックに案内され、孤児院に入る。
玄関ホールには十数人の孤児が集まっていた。さっきの引き取られた少女を見送っていたのだろう。
皆、一様に不安そうに顔を歪めている。
そして、エレノアとセドリックを見ると、全員がその場から逃げるように去った。
「孤児院という場所はどうしても別れが多い場所です。何度経験しても、やはり子どもたちにとって別れは辛いものなのでしょう」
セドリックが声の調子を落とした。
彼の執務室に進みながら、話を続ける。
「そんなに引き取られることがあるのですか?」
「引き取った方も、すぐに使える子を欲しがります。ここではそうした教育をしっかりと施していますから、懇意にしてくださる貴族や有力な商人は多いのです」
家事や帳簿のつけ方にしろ、何にしろ、優秀な孤児はすぐに引き取り手が見つかるということなのだろう。
それでも戦争が続く限り、孤児はどんどん出てくるのかもしれない。
「大変なことをなさっているのですね、セドリック様」
「誰かがやらないといけないことです。それに、社交界や夜会に出るよりも、孤児院を運営するほうが私には向いています」
セドリックは苦笑した。
その穏やかな笑みと、公爵家という立場を考えると、社交界でも引く手数多だろうに、と思わなくもない。
だが、それよりも彼にとって、孤児を引き取り教育することのほうが、よほど重要なのだろう。
セドリックの執務室に入り、ソファに腰を下ろした。
「セドリック様の孤児院に寄付することができて良かったですわ」
「そう言っていただけると、私も嬉しいですね」
セドリックが紅茶を淹れてくれたが、相変わらず美味しくはない。
エレノアは音を立てずにカップを置くと、思いついたようにセドリックに尋ねる。
「あの、せっかく寄付するのですから、どういう子どもたちがいるのか名簿などを見せてもらうことはできますか?」
「そうですね……ええ、構いませんよ」
セドリックがソファから立ち上がり、壁の棚からファイルを一つ手に取った。
彼は中をぱらぱらとめくり、軽く目を通した。そして、エレノアに差し出した。
「これですね。どうぞ」
エレノアもファイルを確認する。
戦災孤児だけでなく、事故や病気で親を失った孤児の保護もしているようだ。場合によっては帝都に限らず、近隣の街からも受け入れている。
手広く、という表現は的確ではないだろうが、熱心に保護活動をしていることが窺える。
「これで全員分でしょうか?」
「……そうだと思いますが、何か気になることでもありましたか?」
「先ほど見た孤児の人数と合わないような気がするのです」
セドリックは少し考えてから答えた。
「……恥ずかしながら、名簿の管理は私がしているのではないのです。孤児院長として雇った者に任せているのですが、なにぶん子どもの出入りが激しく、ファイルの整理が間に合っていないのだと思います」
「それほど忙しいのですね……それと、ここを見てください」
エレノアが孤児の名前の横を指さした。
セドリックもそこを覗き込む。
「この数字は何でしょうか? 書かれている子と、そうでない子がいますわ」
「うーん……何でしょうね。孤児院長に確認しておきましょう」
彼は眉をひそめて、その数字を睨んだ。いつになく険しい顔だ。
だが、すぐいつもの穏やかな顔つきになり、ファイルを閉じてエレノアに言った。
「何か分かったらエレノア嬢にもお伝えします。それよりも、これから食事でもどうですか?」
ちょうど昼時だ。
(一緒に昼食を摂れば、彼の人となりをさらに知ることができるかもしれませんわ)
そう考えたエレノアはセドリックの申し出を受け入れた。




