第10話 茶会
皇宮の応接室で、レグニスとセドリックが向かい合っている。
互いに相手を睨みつけているわけではない。
レグニスは鋭い視線で、口元には冷笑が浮かんでいる。
一方のセドリックは表面上は柔和な笑みをたたえている。
だが、剣呑な雰囲気が漂っていることは、誰の目にも明らかだった。
当然セドリックの隣に座るエレノアもその緊張感を肌で感じているが、顔に出すほど愚かではない。
ただ、エマが注いだ紅茶を優雅に楽しむ。その彼女は隠しきれない疲れた表情で、レグニスの後ろに控えていた。
セドリックの孤児院で出されたものより味も香りも格段に良い。
そんな紅茶も二人の男の前に置かれたものは口をつけられることなく、ただ冷めていくばかりだ。
セドリックがレグニスに面会を申し入れたのが、数日前のことだ。
婚約破棄を告げられるまで、エレノアの頼みであれば、婚約者ということもあり即日対応してくれていた。
だが、皇太子は暇ではない。
帝国法や歴史を学ぶ必要があり、皇宮や教会が執り行う儀式に参加することも少なくない。騎士との訓練に出向くこともあれば、夜会や舞踏会に顔を出すことも立派な仕事だ。
ゆえに、この場を設けるのに数日の期間を要した。
「それで、何の用だ?」
レグニスが重い空気を破って、口を開いた。
その視線はセドリックに向いていた……のだが、セドリックが答える前に、すっと彼の隣のエレノアに移った。
「と、聞きたいところだが、まずはお前の用件を聞こうか」
エレノアは上品に紅茶のカップをテーブルに置いた。
「ローゼンフェルト卿をだしにしてまで、私に話があったのだろう?」
試すような物言いに、エレノアは落ち着いて返答する。
「セドリック様をだしにした、というわけではございませんわ」
「ふん。まあ、なんでもいい。わざわざ私に直接話したいことがあるのだろう?」
さっさと話せ、と手で合図をするレグニス。
「その前に、先日エマを介してお渡しした手紙には目を通していただけましたか?」
「むろん、読んだ。婚約破棄されていながら、実に面白い内容だったな」
鼻を鳴らすレグニスに、エレノアは気にせずに話を進める。
彼女はかつてレグニスに贈られた指輪に軽く触れる。
「なんだ、その指輪、まだつけていたのか」
「もちろんです。レグニス様からいただいた、大切なものですから」
目を伏せ、指輪に視線を落とす。
そして、レグニスをまっすぐに見据えた。
「この指輪は六年前にいただいたものですわ。レグニス様は覚えておいででしょうか?」
「……六年前か。そのような細かいことなど覚えていないな」
悲しげに目を細めるが、涙をこぼすような真似はしない。
「レグニス様がお忘れになっても、わたくしの記憶には鮮明に残っております。皇帝陛下の生誕祭のとき、こっそり二人で抜け出して賑わう城下を回りました」
「そのようなことがあったか?」
興味なさそうなレグニスに、エレノアは首を縦に振った。
「ございましたわ。そして、そのとき露店でレグニス様が買ってくださったのです。指輪やアクセサリーがたくさん並んでいました」
エレノアは目を閉じ、そのときの光景を思い出す。
「レグニス様は最も高価なものをと仰ったのですよ。わたくしは恐れ多くてお断りしましたけれど……結局、レグニス様の手持ちがなくて、上から三番目に高価だったこの指輪になりました」
愛おしそうに指輪を撫でるエレノア。
だが、当のレグニスはちらりとその様子を見ただけで、冷たく言い放った。
「はぁ……言いたいことはそれだけか? ならば、ローゼンフェルト卿との本題に入るが?」
エレノアは慌てて、別の話題を探す。大事なのはレグニスとの共通の思い出だ。
「もう少し……もう少しだけ、お願いします」
「いいだろう。なんだ?」
「まさか、このようなことになるとは思ってもみませんでしたけれど……」
婚約破棄と魔族との内通疑惑のことだ。
「わたくしたちの婚約がいつだったか、覚えていらっしゃいますか?」
「……私が十の時だ」
エレノアは安堵したように息を吐いた。
「そして、わたくしが八歳の時でした」
そう言って、指輪を反対の手でそっと包んだ。
「ふん。そのくらいの年齢での婚約は珍しくもあるまい。特に私は皇家の嫡男だったからな」
「……はい。わたくしにとっては大切な思い出なのです。アウレリア皇家とヴァルシュタイン公爵家が決めた婚約でしたが、わたくしはレグニス様のことをお慕い申し上げていますから」
ふっと顔を綻ばせるエレノアに対し、レグニスはつまらなそうに吐き捨てる。
「言いたいことはそれだけか?」
「横から失礼します、レグニス殿下」
エレノアとレグニスのやり取りを黙って聞いていたセドリックが、ここにきて口を挟んだ。
「元婚約者であるエレノア嬢に対して、少々非礼が過ぎるのではありませんか?」
「今は婚約者ではないからな。貴様が口出しするようなことではあるまいよ、ローゼンフェルト卿」
レグニスが突き刺さるような視線をセドリックに向ける。
だが、セドリックは臆することなく反論する。
「だとしてもですよ。一人の臣下、それも淑女に対する礼を欠いていることに違いはありません」
「ほう? 貴様のいう『淑女に対する礼』とは、婚約破棄直後の令嬢に言い寄ることなのか?」
外聞を考えると、褒められた行為でないことは確かだ。
「エレノア嬢は聡明な方です。私は彼女を守らねば、と思っただけ。それが国のためになると判断したのです」
「なるほど。口は達者だな」
熱く語るセドリックに対し、レグニスは不遜な態度を崩さない。
「時にローゼンフェルト卿、今日の紅茶は口に合わないか?」
「……なぜ、そのようなことをお聞きになるのです?」
レグニスの唐突な質問に、セドリックは訝しむ。
「口をつけないようだからな。聞くところによると、貴様の孤児院ではまずい茶葉を使っているとか? 以前の貴様は安っぽい紅茶を好まなかったと記憶しているのでな」
自分の前にある紅茶を一口含んでから、レグニスは控えているエマに告げた。
「冷めている。卿の紅茶を淹れ直せ」
「ひ……は、はい!」
エマが震える手で、セドリックのカップを回収して、中身をボウルに捨てる。サイドボードに置いてある、保温機能付きの魔導具であるポットから温かい紅茶を注いだ。
エレノアとレグニスの紅茶も注ぎ直す。
セドリックは新しく置かれた紅茶に口をつけてから、言った。
「……紅茶よりも大事なことがありますから」
レグニスが無言で先を促す。
「ご存知でしょうが、私は孤児院を運営しています」
「そのようだな」
「だからこそ、私は殿下の孤児に対する扱いが許せません」
拳を固く握り、セドリックはレグニスを非難した。
「殿下がエマに対し、非道なことを行っていると耳にしました」
セドリックがちらりとエマに視線を向ける。
びくっとしたエマを振り返ったレグニスが、責めるような口調でエマに問う。
「お前が何か言ったのか?」
「そ、そんな! 違います! わたしはただ……」
狼狽える様子のエマを見て、レグニスが我が意を得たりという感じで頷いた。
「彼女の困惑が何よりの証拠でしょう。レグニス殿下はエマをどう思っているのですか?」
単刀直入に尋ねるセドリックに、レグニスは躊躇せずに答える。
「いろいろと使い道があって便利だ。実に教育のし甲斐がある。良い拾い物をしたと思っているよ」
悪びれない様子に、普段穏やかなセドリックが声を荒げた。
「なんと下劣な! 孤児をそのように扱うなど、許されざる行為だ!」
「貴様は何を言っている。私が手に入れた孤児に、私が何をしようが、貴様には関係あるまい」
「……話にならない。エレノア嬢、行きましょう」
立ち上がったセドリックがエレノアに手を差し出す。
レグニスの前でその手を取ることは憚られ、彼女は自分ですっと立った。
レグニスに恭しく礼を取ってから、怒ったように退室するセドリックについていく。
「あの男を皇帝にすべきではない……!」
ぼそりとセドリックが呟いたのが聞こえた。
応接室を出る際、エレノアはちらりと背後を振り返る。
酷薄めいた冷笑を浮かべたレグニスと目が合った。




