第4話 孤児院の見学
孤児院の庭には子どもたちが元気に走り回っていた。
曇天の下でも、楽しそうに笑う声が響き渡っている。
無邪気に遊んでいる子どもたちに、エレノアの顔も綻んだ。
ちらりと横に立つセドリックに目を向けると、彼は子どもたちがとても大事なものであるかのように眺めていた。
その顔には柔和な笑みが浮かんでいる。
(この方はきっと子どもたちを本当に大切に思っているのでしょう)
彼はエレノアの視線に気づくと、いっそう笑みを深くした。
「さあ、どうぞ中もご覧になってください」
セドリックに案内され、孤児院内に入る。
背後で重厚な扉がガチャンと閉まった瞬間、庭で遊ぶ子どもたちの歓声がふっと途絶えた。
「外の音がまったく聞こえないですわ」
「防音には力を入れていますから。日中はともかく、夜間に子どもたちが騒いだら、近隣に迷惑がかかりますから」
内側からの音も外に漏れないように配慮しているらしい。
「そのような気遣いまでされるのですね」
「もちろんです」
話しながら廊下を進んでいく。
廊下は魔導灯で明るく照らされていた。掃除が行き届き、清潔感に溢れている。
室内で過ごす子どももいる。廊下ですれ違った際に、エレノアが挨拶をした。
「こんにちは」
すると、子どもはびくっと肩を震わせ、不安そうな表情でエレノアを見上げた。
そして、服の裾をキュッと摘み、おそるおそる返事をする。
「こ……こんにち、は」
そのまま逃げるように去ってしまった後ろ姿を、エレノアは見送った。
平民にとって貴族は恐れ多い相手だ。
まして初めて見る貴族に対し、緊張と不安が前面に出ることは仕方がないと言えよう。
怖がられたことを残念に思うエレノアだが、気を取り直して、見学を続ける。
何人かの子どもが箒とちり取りを使って掃除をしていた。雑巾で床を拭いている子もいる。
年齢的には十代前後から半ばくらいだろうか。
年長の子どもが年下の子どもに何かと指示を出しているようだ。
部屋の隅や家具の隙間など、けっこう細かいところまで掃除している。
公爵令嬢であるエレノア自身は、身の回りの世話をすべて使用人に任せているため、自ら掃除をした経験はない。
子どもたちの動きは、本職のようにテキパキとはいかないものの、道具の扱いには慣れているようだった。
中には遊んでいた子もいたが、エレノアとセドリックが見ていることに気づくと、顔を青くしてさっと作業に戻った。
(やっぱり、どの子も貴族を怖がっていますね)
孤児からすると、貴族がしている戦争の被害者なのだ。
また別の部屋では、年長の子どもたちが料理をしていた。
まだ小さい身体で包丁を扱う様子は見ていて少しハラハラするが、微笑ましくもある。
エレノアが知っているのは野菜や肉などの素材と、出来上がった料理だけだ。
その過程はすべて料理人がすることであり、それを見たことがない彼女にはなんだか新鮮な光景でもあった。
林檎の皮剥きくらいは彼女にもできるが。
こっちの子どもたちは刃物や火を扱うのに集中しているのか、エレノアたちには気づかなかった。
その後、子どもたちの寝室や入浴設備などを見た後、孤児院内にあるセドリックの執務室に通された。
ソファを勧められ、エレノアは静かに腰を下ろした。
セドリックは手際よく紅茶を淹れ、エレノアの前にそっとカップを置くと、自身も向かいのソファに座った。
「どう思われましたか?」
彼は紅茶を一口含み、単刀直入に訊いてきた。
「成人の職員は雇ってはいないのですか? お姿を見ませんでしたわ。火や刃物を子どもたちだけで扱うのは、少し心配ですけれど」
「数は少ないですが、雇っていますよ。ただ、あえて子どもたちだけで作業させる時間を作っているのです。自主性を育むための訓練の一環でしてね。もちろん、大人の職員は別の部屋から見守っております。子どもが傷つくのはよくありませんから」
子どもを放ったらかしにしているわけではなく、しっかりとした教育方針があるようだ。
「ここの掃除や料理はすべて孤児たちがしているのですか?」
セドリックは大きく頷いた。
「はい。子どもたちはいずれ、どこかの貴族に引き取られるかもしれません。私たちのような貴族にとって、侍女や使用人はなくてはならない存在ですから。そうなった時に、即戦力となるように、家事全般を身につけさせるようにしているのです」
上位貴族に仕える令嬢たちの下働きや、下位貴族の侍女など、家事ができる者の需要は確かに存在している。
単に孤児を集めるだけでなく、その先の自立の道まで見据えているということだ。
エレノアは紅茶に口をつけた。
なんというか、美味しくはなかった。香りも今一つだ。
セドリックの淹れ方に問題はなかったので、単純に低品質の茶葉を使ったのだろう。
「それだけではありません」
エレノアの茶葉への批評など知らないセドリックは指を一本立てて、続けた。
「才能のある子には別の教育も施しています」
「教育、ですか?」
エレノアが首を傾げる。
「中には賢い子もいますから、そのような子には読み書き計算を教えています。賢い子は引き取り手が付きやすいのです」
帳簿をつけるのに役立つだろう。文字が書ければ予定の管理もしやすくなる。
何より、引き取り後に一から教育する手間が省けるのは利点が大きいかもしれない。
「貴族だけではなく、商家にも需要があります」
「そうした教育には専門の方を雇っていらっしゃるのですか?」
中途半端な知識は邪魔になる。
つまり、いい加減な教育は却って害になることもあるのだ。
「もちろんです。私の伝手を使い、可能な限り高度な教育を行うようにしています」
セドリックは美味しそうに紅茶を飲んだ。
「素晴らしいお考えですわ。どうしてそこまで子どもたちに気をかけるのですか?」
「公園でお話した通りですよ。子どもたちを育てることは、子どもたちだけでなく、いずれ私たちの糧にもなると信じているのです」
孤児たちの未来を熱く語っていたセドリックが、ふと穏やかな笑みを浮かべたまま話題を変える。
「そうだ、エレノア嬢。公爵令嬢である貴女なら、騎士の巡回の時間やルートをご存知ではないですか?」
唐突な問いにエレノアは戸惑った。
当然、それを顔に出すことはないが。
「なぜそのようなことをお聞きになるのですか?」
「ああ、申し訳ない。これも子どもたちのためなのです。ここ帝都は治安が良いとはいえ、完全に犯罪がないわけではありません」
だからこそ、騎士が巡回し、犯罪を取り締まっている。
「幻魔法が使える魔族の諜報員が帝都に入り込んでいるという噂もございますわ」
「そ、そのような噂が……」
セドリックが驚いたように呟いた。
「ご存知ありませんでしたか?」
「え、ええ。社交界にはあまり興味がなく、孤児院の方に力を入れておりましたので、世事に疎いのです」
確かにいつからかセドリックを社交界で見なくなった。
エレノアが社交界で最後にセドリックを見かけたのは、かなり前だと記憶している。
人族と魔族の戦争が一時期激しくなった頃だろうか。
そこで増えた孤児の行き場を、セドリックがこうして作ったのかもしれない。
「それほどまでに、この孤児院が――孤児たちが大切なのですね」
「ええ……彼らは宝ですから。そんな彼らが安心して孤児院から出るためにも、騎士の巡回について知りたかったのですが……」
騎士の巡回など、エレノアが関与する事案ではないため知る由もない。
レグニスやフリードリヒなら把握しているかもしれないが、ここで変にセドリックへ期待を持たせるべきではないだろう。
「申し訳ございません。わたくしは存じ上げません」
「いえ、変なことをお聞きして、こちらこそ申し訳ありません」
互いに頭を下げ合うエレノアとセドリック。
どちらともなく、クスっと笑みがこぼれた。
「この孤児院に寄付をされている貴族はいらっしゃるのですか?」
「もちろんです。施設の維持に、子どもたちの食費、それに教育にもお金はかかります。私の理念に賛同していただけた皆さんの力添えなくして、孤児院を続けることは叶いません。子どもを引き取った方にも、そうでない方にも、寄付をしていただいて成り立っています」
だから、エレノアにもこの事業への参加を持ちかけたのだろう。
金はいくらあっても困ることはないのだ。
(セドリック様は当たりかもしれませんわ。お父様から預かった寄付金をセドリック様にお渡しするのも良いかもしれません)
これまでの孤児院の様子とセドリックとの会話から、エレノアはそう判断した。
今、その寄付金は手元にはないので、それはまた後日になる。
ひとまず、この後は皇宮に行かないといけない。
レグニスに会って、婚約破棄に関する書類に署名をする必要があるのだ。
その予定の時間が近づいてきている。
「セドリック様。大変勉強になりましたわ。申し訳ないのですが、この後、皇宮に行く用事がございますので……」
「これは失礼。それなら急いだ方がよろしいでしょう。私がお送りしますよ」
セドリックはスッと立ち上がると、エレノアに手を差し伸べ、優しく立たせた。
「それには及びませんわ」
「いいえ。貴女のことも守りたいと申したでしょう。私が貴女を取り巻く悪意からお守りします」
そう断言したセドリックは、実に頼りがいがありそうだった。
結局、彼に付き添われ、レグニスの待つ皇宮へ急ぐこととなった。




