第16話 夜会の始まり
レグニスの主催する夜会が開かれる日になった。
「お父様、レグニス様の夜会に行ってまいりますわ」
エレノアは覚悟を決めた顔で、父フリードリヒに告げた。
彼はにっこりと微笑んでから、答える。その笑顔はエレノアに似ていた。
「気をつけて行っておいで。きっとお前の想いは届くはずだ」
「はい、そう信じておりますわ。それでは、断罪してまいります」
ふと、父の執務室の窓から外に目をやる。
そこには、ローゼンフェルト公爵家の紋章の入った馬車が停まっていた。
現状、元婚約者であるレグニスがエスコートすることなどありえない。
そこで、セドリックがその役を買って出たのだ。
エレノアは父に軽く膝を折ると、執務室を出て、セドリックが待たされている応接室に向かう。
既に夜会用の華やかな、それでいて派手過ぎないドレスに着替えていた。
あとは、セドリックとともに夜会会場である皇宮に向かうだけだ。
応接室に着くと、セドリックが侍従長との会話を打ち切り、立ち上がった。
「エレノア嬢、今日はまた一段とお美しいですね」
「ありがとうございます、セドリック様」
互いに礼を取る二人。
「覚悟は決まっていますか?」
「もちろんですわ」
当然、断罪する覚悟のことだが、わざわざそのことを口には出さない。
すっと、セドリックが手を差し出し、エレノアがその手を取る。
そうして、応接室を出て、ローゼンフェルト公爵家の馬車に向かう。
エレノアが乗り、セドリックが彼女に続く。
馬車の扉を閉めると、彼が御者に合図を送った。
すっと静かに馬車が進みだす。
◆
皇宮で馬車を降りたエレノアは、そのままセドリックにエスコートされ、夜会の会場である大広間に向かった。
高い天井から降り注ぐシャンデリアの光はキラキラと煌めき、楽団の奏でる緩やかな音楽が会場を包み込む。
壁やテーブルに添えられた花から香る、甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
だが、他の貴族令息や令嬢からの視線がエレノアに刺さる。
ここ最近、彼女が会っていた貴族はセドリックだけだった。
彼はエレノアを守ると言い、婚約破棄された彼女を冷遇したり、内通疑惑を責め立てたりすることは決してなかった。
しかし、他の貴族はそうではない。
婚約者であった皇太子に婚約破棄されただけでも、好奇と侮蔑の対象になるのだ。
ましてや、その元婚約者が主催する夜会に、別の男とのこのこ現れた。
噂話に目がない貴族たちがエレノアの動向に興味がないわけがない。
露骨に距離を取り、近寄ろうとしないのは、魔族への内通疑惑のとばっちりを受けないためか。
以前は仲良くしていた令嬢たちの姿もその中に見えた。
彼女たちは不安と恐れが混じった表情を浮かべている。好奇心よりも魔族との内通疑惑に対する恐怖が勝っているのかもしれない。
当のエレノアはそうした貴族の視線など、まったく意に介していない。
令嬢たちの反応も、事情が事情なだけに理解はできる。
内心、緊張はしているが、周囲の貴族に対するものではない。
これから、夜会で起こることを知っているからこその緊張だ。
表情にも動作にも出さない。
誰にも気づかれないように、呼吸を整えるだけだ。
「エレノア嬢、大丈夫ですよ」
さすがに、隣を歩くセドリックには気づかれていたようだ。
彼の腕に回す手に、少し力が入っていたかもしれない。
「はい。頼りにしていますわ」
「今、他の者たちがどんな目で貴女を見ていようと、今夜、その認識は変わるのですから」
優しく語りかけるセドリックに、エレノアは笑顔を返した。
彼女もこれから起こす断罪がうまく事を運べば、周囲の彼女を見る目は確実に変わると分かっている。
それに、これまで頑張って断罪の準備をしてきたのだ。
失敗するわけにはいかない。
そう考えたエレノアは、ふっと肩の力を抜いた。
失敗なんかするわけがないのだ。彼の考えた計画で、準備は万端なのだから。
「ふふ、そうですわね」
「証拠は十分揃っているのです。あとは殿下に突きつけ、彼を失脚させるだけです」
セドリックは穏やかに、しかし力を込めて続けた。
「これで我が母国は守られます。すべてうまくいきますよ。ですから、私を信じてください」
立ち止まった彼は、エレノアの瞳を優しく覗き込んだ。
彼女はしばらくセドリックの瞳を見上げる。
「……信じていますわ」
そのときだった。
ふと、緩やかな音色が止んだ。
前回、婚約破棄を告げられた夜会と同じだ。
音楽が止まってしばらくすると、皇太子レグニス=アウレリアが登場するはず。
さすがのエレノアの顔にも緊張が滲む。
そして、ほんの少しだが、身体を固くした。
「そろそろレグニス様が姿を現しますわ」
彼女は階段の上に視線を向けた。明るく照らされた階上にはまだ誰もいない。
しかし、周囲の貴族からの好奇の視線は強まっている。
レグニスが、新しい男を連れた元婚約者に対し、何をするのか、どんな言葉を投げかけるのか。
それが楽しみで仕方ない、といった雰囲気が広がっている。
中には憐憫の視線を向ける者もいる。
皇太子に婚約破棄されたエレノアを、無関係の立場から憐れんでいた。
いずれにせよ、心地の良いものではない。
そうした視線から守るように、セドリックはエレノアの前に立った。
「他の者のことなど、気にする必要はありません。エレノア嬢は私の後ろに隠れていてください」
「ですが……」
気丈にも前に出ようとするエレノアをセドリックが手で制する。
「貴女が殿下に何を言われるか分かったものではありません」
彼もレグニスが現れるであろう、階上を睨みつけた。
「セドリック様……」
「私は貴女が傷つくのを見たくはありません」
顔を伏せたエレノアを、セドリックは見下ろして言葉を重ねる。
「繰り返しになりますが、私が貴女をお守りします。レグニス殿下の悪意をくじき、貴女を守る。それは今の私の使命みたいなものです」
その言葉に、エレノアがハッと顔を上げた。
「まるで騎士様のようですわ」
「貴女の騎士になれるのであれば、嬉しい限りです」
彼女の緊張をほぐすように、軽口を挟むセドリック。
「頼もしいですわね」
「殿下の悪事を許せないだけですよ。彼の過ちを正し、貴女の名誉を挽回する。そして、彼に虐げられているエマを助け出す。それを成すためであれば、私が全ての泥を被りましょう」
セドリックが階上に視線を戻す。
「大丈夫でしょうか……?」
「はい。レグニス殿下からの悪意は全て私が引き受けます」
彼は力強く宣言した。
彼の横顔には絶対の自信が見て取れた。
「分かりました。それではセドリック様に甘えさせていただきますわ」
「ええ。ですから、エレノア嬢はどうか、私の後ろに」
エレノアは首を縦に振り、セドリックの後ろに下がった。
彼女はセドリックの背中をじっと見つめ、階段の上に視線を移した。
そんな二人の様子を窺っていた、周囲の貴族たちの声が聞こえてくる。
「久しぶりにセドリック様が夜会に顔を出したと思ったら、まさかエレノア嬢と一緒とは」
「エレノア様には魔族との内通疑惑があるのではなかったか?」
「ローゼンフェルト公爵はヴァルシュタイン公爵令嬢が無実だと思っているのやもしれんな」
「わたくしもあんな風に、殿方に守られてみたいですわ」
誰もが、自分勝手に解釈しているようだ。
しかし、セドリックの言動によって、エレノアの評価も僅かに回復したのかもしれない。
音楽が止んだにも関わらず、なかなかレグニスが現れないことに、会場にざわつきが広がり始める。
それを見計らったかのように、ようやく皇太子が姿を現したことで、場が静粛になる。
しかし――
「ん? 誰か連れているぞ? 新しい婚約者か?」
「殿下にふさわしい令嬢を見つけたのか? ……しかし、顔がよく見えんな」
再びざわめきが大きくなる。
冷ややかな表情を浮かべ、颯爽と歩むレグニスの後ろから、フードを深く被った怪しげな女がついてくる。
フードから覗く彼女の口元は、口角が持ち上がっていた。




