第13話 最後の手紙
エレノアはバタンと閉められた扉をじっと見つめていた。
その口はキュッと固く結ばれていた。
セドリックが自分自身も苛立ちや焦燥があるだろうに、彼女に対し優しく声をかけた。
「大丈夫ですか?」
エレノアは小さく震えながらも、確かに首を縦に振った。
「ええ……きっと、何かレグニス様にもお考えがあるのです」
「先ほどの殿下の発言を聞いても、彼を信じるのですか?」
その整った顔を痛ましく歪ませるセドリック。
「……レグニス様は、魔族の女性と密会していたとしても、他人を蔑ろにするような方ではありません」
ここで床に座り込んだり、セドリックの胸に飛び込むようなはしたない真似はしない。
セドリックはエレノアの前に立ち、その両肩を支える。
そして、彼女の瞳をまっすぐに見つめる。
「エレノア嬢、貴女は殿下を信じたいだけなのではないですか?」
ハッと顔を上げるエレノア。
「そんな、ことは……ございませんわ。わたくしの知る限り、レグニス様はとても思慮深い方で……」
「貴女を騙すための演技だと考えられませんか?」
セドリックは静かに、だが核心を突くように告げた。
「貴女を利用し、全ての罪を貴女とヴァルシュタイン公爵家に押しつけ、切り捨てるための演技だったのでは?」
決して押しつけがましい口調ではない。
レグニスに向けたような激しい物言いでもなく、憐憫を含んだものでもない。
ただ、諭すかのような優しさを帯びた声音だ。
セドリックの瞳には心配や焦燥が透けて見えた。
「エレノア嬢が殿下を信じたい気持ちは分かります。元婚約者だったのですから」
彼女を傷つけないようにするためか、セドリックは言葉を選びながら話す。
「ですが……だからこそ、彼を妄信するのはやめたほうがいい」
「妄信……?」
ぽつりと繰り返したエレノアに、彼は首を縦に振った。
「そうです。殿下を信じるあまり、彼の行いから目を背けることは、妄信に他なりません」
「そのようなつもりは……」
「殿下は魔族の女と密会していました。エマのあの疲弊した様子と助けを求める声をお忘れですか? 加えて、先ほどの孤児を対等な人間だと思っていない暴言の数々」
セドリックは一つひとつレグニスの言動をあげつらう。
エレノアを動揺させないためなのか、ゆっくりと、だが確かな力を込めて声を発した。
「決定的な証拠はまだありません。ですが、状況証拠は殿下の悪行を示しているのです」
彼女は黙って、セドリックの言葉を聞く。その瞳は潤んでいた。
「愛した相手を信じたいという気持ちは私にも理解できる。ですが、現実から目を逸らすことは愛ではありません」
「そんな……」
「大丈夫。私がエレノア嬢をお守りしますから」
エレノアは顔を伏せ、肩を震わせた。
しばらくそうしてから、彼女は顔を上げた。その瞳には涙の代わりに、決意が宿っていた。
「これも、レグニス様をお助けすることに繋がるのですよね」
「ええ、そうです」
「……分かりました。ただ、最後にレグニス様への手紙を書きたく存じます。決意が揺らいではいけませんので、ここでしたためてもよろしいでしょうか?」
セドリックは一瞬難しい表情をしたが、すぐに和らげた。
「……便箋がここのものでよければ」
「もちろんです。ありがとうございます」
セドリックはすぐに書くための紙とペンを取り出す。
書きやすいよう、執務机を貸してくれた。
エレノアが文面を考えている間、セドリックは悩ましげな表情で彼女を見つめていた。
前の手紙の時もそうだったが、レグニスは長い文面を好まないため、伝えたいことを端的に記す必要がある。
頭の中で書くべきことを整理し、エレノアはそっとペンを走らせた。
『レグニス=アウレリア様
覚えておいででしょうか?
レグニス様と最後に二人だけで町を歩いた時のことです。
未だにあなたに焦がれるこの胸を、愚かだと思うこともございます。
届かない想いなど、誰の目にもとまらないよう深く沈めてしまいましょう。
次の満月までに、わたくしも心を決めます。
エレノア=ヴァルシュタイン』
たったこれだけの文章。
それでも、きっとレグニスには想いが伝わるはずだ。
机の向こうからセドリックが手紙を見ているようで、恥ずかしいやら緊張するやら複雑な心境ではある。
なんとか書き切った手紙を何度も読み返し、不備がないかを確かめる。
「セドリック様、不躾で申し訳ございませんが、封筒もお貸しいただけませんか?」
「ええ、もちろんです」
セドリックがエレノアの隣に来て、机の引き出しを開ける。中から簡素な封筒を取り出した。
「屋敷ならもっと凝ったものもあるのですが、ここにはこのような事務的なものしかありませんが」
そう言って彼は苦笑する。
エレノアにとっては十分だ。
さすがに孤児院の封蝋で閉じるわけにもいかない。彼女の紋章入りの印章も持ってきていないので、封筒に直筆の署名をしておく。
レグニスに直接渡すのは難しいかもしれないが、前回の手紙の時と同じようにエマを介してなら大丈夫だろう。
問題はどうやって渡すか、だ。
「どうしましょう……」
「今さら先触れを出したところで、拒否されるでしょうね」
「……行ってみてから考えましょう」
皇宮に忍び込むなど、愚の骨頂だ。
すぐに騎士に取り押さえられ、牢獄送りになるのは目に見えている。
かといって、ここで頭を抱えていても仕方がない。
それなら、道すがら考えれば、良い手段が思い浮かぶかもしれない。
妙案が考えつかず、とんぼ返りになる可能性もあるのだが、最後の手紙をなんとかレグニスに届けたいのだ。
セドリックが今日何度目になるか分からない溜め息をついた。
「エレノア嬢は妙なところで、行動的ですね。お一人では危険です。私もご一緒しますが、よろしいですか?」
「こちらこそお願いいたします」
馬車で向かうほどの距離ではない。そもそも馬車で向かえば、大事になりかねない。
なので、二人は歩いて皇宮に向かうことにした。
◆
皇宮の貴族街側の門に到着したエレノアだが、妙案は浮かばなかった。
「エレノア嬢。その手紙ですが、今日でなくともよいのでは?」
いまさらだが、セドリックが尋ねた。
「いえ。もしも悪事を働くのであれば、お止めしなければなりません。この手紙がその一助になるかもしれませんから、少しでも早くお渡ししないと」
エレノアの決意は揺るがなかった。
とはいえ、門を守る騎士にお願いしたところで、中には入れてもらえない。
じっと門のずっと向こうにあるレグニスの部屋を見上げた。
果たしてその想いが通じたのか、窓際に彼が立っていた。そして、再び目が合った――気がした。
「レグニス様!」
聞こえるわけがないが、思わず呼んでしまう。
「あ……レグニス様」
しかし、ふいっとレグニスは踵を返し、その姿が見えなくなった。
「エレノア嬢……」
なんとも痛ましい目を向けるセドリック。
婚約破棄されたあげく、元婚約者の裏の顔を知って尚、レグニスを慕うエレノアが居たたまれないのかもしれない。
「あ……あれは、エマ!」
エマがエレノアに気づいて、こちらに向かってきた。レグニス付きの侍女であることが周知されているのか、門の騎士も彼女を素通りさせた。
相変わらず漂う疲労感と目の下の隈がすごい。
「エレノア様……どうしたのですか?」
「実は貴女にお願いしたいことがあるのですわ」
「時間はかかりますか? 早く戻らないと、ご主人様に……」
そう言ってエマが視線を落とした。
「やはり、レグニス殿下に酷いことをされているのですか?」
眉を寄せたセドリックが騎士の視線を気にしつつ、小声で彼女に尋ねた。
「そ、そのようなことは……」
「……言えるはずがありませんよね」
誰が聞いているか分からないのに、主に対する文句などもってのほかだ。
「で、でも……わたし以外にもご主人様のお相手ができる人がいればいいな、と。体力がもたなくて……」
自らの身体を抱き、エマが震える。その声にも力がない。
そんな彼女に、エレノアが頼み事をする。
「早く戻らないといけないのでしょう、エマ? お願いです、どうかこの手紙をレグニス様にお願いします」
封蝋で閉じていない、最後の手紙をエマに託す。
受け取った彼女は、迷う素振りを見せてから、エレノアとセドリックにだけ聞こえるほどに声を落とした。
「……お二人に伝えておいたほうが良さそうなことがあります。ご主人様のことです……」
エレノアは口を上品に覆い、セドリックは目を丸くした。
エマは縋るような目をセドリックに向ける。
「……わたしを助けてくれるって言ったこと、覚えています。早く、この苦痛から解放されたいです……」
「もちろんです」
「そのために、悪事の証拠を集めているところですわ」
セドリックも首肯した。
「エマ、何か知っているのなら、是非とも教えてほしい」
彼の言葉に、エマは逡巡し、口を開いた。




