第12話 レグニスの孤児院訪問
ローゼンフェルト公爵邸でセドリックが「レグニスを失脚させる」と宣言した数日後のことだ。
実家でゆっくり過ごしていたエレノアの元に、セドリックからの使者が訪れた。
対応したのは、ヴァルシュタイン公爵家の使用人だったが、使者はとても慌てており、早急にエレノアに伝えてほしいと言ったそうだ。
『レグニス皇太子殿下がセドリック様の孤児院に視察に来ます』
簡潔にいえば、そのような内容だった。
エレノアは何をすべきか即座に判断した。
これはまたとない機会かもしれないのだ。
自分もすぐに向かう旨を使用人を介して使者に伝えさせ、手早く外出用のドレスに着替える。
急ぎつつも公爵令嬢としての上品な振る舞いは崩さない。
そのまま屋敷を抜け出して庭園へ向かうと――
「あれは……セドリック様?」
門の向こうに既に馬車が待っているのが見えた。ローゼンフェルト公爵家の紋章が描かれている。
小走りで馬車まで行くと、セドリックが待機していた。
汗はかいていないものの、着衣が少し乱れている。よほど急いで来たのだろう。
「セドリック様!」
彼はエレノアに頭を下げた。
「このような唐突な訪問、礼を欠くことは承知していますが……状況が状況だけに――」
「ええ、急いだ方がよろしいでしょう。わたくしも同席させていただいても?」
セドリックは頷いた。
「貴女の使用人からもそう聞いています。こちらこそ、お願いしたい」
彼は頭を上げると、流れるような所作でエレノアを馬車に乗せた。
そして、馬車はすぐに動き出す。
「まさかレグニス殿下が私の孤児院を視察に来るとは思いもよりませんでした」
セドリックが着衣を整えながら、神妙な顔つきで言った。
「そうですわね……」
「ですが、エレノア嬢がともにいてくれるなら、実に心強い。それに、殿下から悪行の言質を取ることができるかもしれません」
彼は固く握っていた拳の力を抜いた。
緊急事態を前向きに捉えようとしているようだ。
さらに、セドリックは続けた。
「実は殿下の孤児売買に関する証拠が集まってきています」
「……お早いですね」
「はい。嬉しい限りですが、優秀な部下がいてくれて、私も助かっています」
話しているうちに余裕が戻ってきたようだ。
それでも彼は表情を引き締め、息を短く吐いた。
「もっとも全ての情報が正しいとは限りません」
エレノアもそれには同意だ。
その証拠とやらの内容を聞いてはいないが、確かな情報もあれば、信憑性に欠けるものもあるだろう。
「使える証拠と使えない証拠の判断、情報の裏付け、新たに見つかるかもしれない証拠の精査……それらを考慮しても、十日もあれば十分にレグニス殿下を追い詰めることができます」
セドリックは自らに言い聞かせるように、そう断言した。
「十日……それまでに、確たる証拠が見つかることを祈っております。悪事をしているのであれば、必ず止めましょう。それが、彼のためになるのですから」
話している間に、馬車は孤児院に到着した。
レグニスの馬車はまだ来ていない。
さすがに皇太子を待たせるのは不敬になりかねないので、そのことにほっと安堵した。
さっと馬車から降りた二人は孤児院に入る。庭からの子どもの声は聞こえなかった。
レグニス訪問の報せのためか、孤児院内には重苦しい空気が漂っている。
孤児たちは屋内での活動――掃除や洗濯、炊事、孤児によっては読み書き計算の勉強――に勤しんでいたが、どの子の顔にも緊張が張りついている。
これまでほとんど見なかった、成人している職員もちらほらとその姿が確認できた。
セドリックの執務室で待つことしばらく。
不意に施設内が慌ただしくなる。
ついにレグニスがやってきたようだ。
「……行きましょう」
セドリックが告げ、エレノアは静かに立ち上がった。
執務室を出ると、扉の閉まる音がやけに重く響く。
先行する彼に続いてエレノアも玄関へ向かうと、そこにはレグニスに対応する職員の姿があった。
「あとは私が」
そっと職員に声をかけるセドリック。職員は頭を下げ、自分の持ち場に去っていった。
「数日ぶりだな、ローゼンフェルト卿」
「……視察、とお聞きしていますが?」
レグニスの鋭利で冷淡な視線と、セドリックの柔和でありながら意志のこもった視線が交差する。
「そう固くなるな。別に取って食うつもりなどない。ここが使えそうだと考えて、見に来ただけだ」
「使えそう……? 一体、何のおつもりですか?」
しかし、レグニスはその問いには答えなかった。
エレノアと目が合うと、彼はふんと鼻を鳴らした。そして、再度セドリックに視線を戻す。
「いつまで、私をここに立たせておくつもりだ? 貴様が案内してくれるのだろう、ローゼンフェルト卿」
「職員には殿下の対応など無理でしょう」
「ならば、さっさとしろ」
有無を言わさぬ口調だ。
セドリックは眉を寄せつつも、孤児院の案内を始めた。
孤児たちの寝室、調理場、勉強するための部屋、入浴設備など。
子どもがいる部屋もあれば、今はいない部屋もある。
各部屋を回りながら、セドリックが説明しているが、レグニスはほとんど聞いていないようだ。
彼の視線は怯えた表情の孤児たちに向いていた。
「なるほど、よく分かった。それで、貴様は茶の一つも出さないのか?」
レグニスは不遜な態度を隠そうともしない。
だが、皇太子という立場を考えれば、彼の言葉を無下にはできない。
「……どうぞ、こちらに」
渋々といった様子で、セドリックが執務室に案内する。
部屋に入ると、レグニスはセドリックの言葉を待たずにソファに腰掛けた。
その様子を尻目に、セドリックは紅茶を淹れる。
レグニスはテーブルに置かれたカップを取り、口をつけ、眉をひそめた。
「本当にまずいな。香りも味も死んでいる。温度もまるでなっていない」
「……殿下、そのような嫌味を言いに来たのではないでしょう」
セドリックがレグニスの対面に座り、エレノアはその隣に腰を下ろした。
「まずい紅茶を味見したかったのも本当だよ。だが、そうだな。本題に入るとしよう」
紅茶の入ったカップをテーブルの隅によけ、レグニスはふんぞり返るようにソファの背もたれに身を預けた。
「侍女を欲している」
「……エマを買ったばかりではないのですか?」
「簡単な話だ。あいつだけでは満足できなくてな。どうにもエマは体力がなくて困る。ゆえに、こうして使えそうな者がいないか見に来たというわけだ」
彼は当たり前のことを話すように告げた。
その言葉にセドリックは絶句した。
代わりに、エレノアが口を挟む。
「レグニス様……使える、と申しますと?」
「私の役に立つ、便利な者はいくらいても構わぬからな」
鋭い視線がエレノアを射抜く。
彼はセドリックに向き直った。
「孤児の名簿を寄越せ。じっくりとどの孤児にするか選びたいからな」
セドリックが勢いよく立ち上がり、レグニスを睨む。
「渡せるわけないでしょう! どんな扱いを受けるかも分かったものじゃない!」
「それがどうした? 皇太子の言葉だぞ?」
「横暴だ!」
息を荒くするセドリックに対し、レグニスは氷のような表情を崩さない。
ただ無言でセドリックに圧をかけるだけだ。
エレノアがそっと手を挙げた。
「なんだ?」
「少し、セドリック様とお話しさせていただいてもよろしいですか?」
「好きにしろ」
レグニスの許可が出たので、エレノアも立ち上がり、セドリックを執務室の隅に連れていく。
そしてレグニスには聞こえない程度の小声で話す。
「今、レグニス様と敵対するのはよろしくないと存じますわ。わたくしの実家の疑惑も、その……」
「熱くなってしまい、申し訳ない。ヴァルシュタイン公爵家の疑惑……殿下が罪をなすりつけようとしていたはず。ここで私が敵対すれば、私にも謂れのない罪を着せられる可能性がありますね……」
彼の決断を待つように、エレノアは黙ってじっとセドリックの瞳を見つめた。
「……分かりました。名簿は彼に渡しましょう。孤児院に手を出される前に彼を断罪できれば問題ありません」
彼は深く息を吐いてから、レグニスに告げた。
「名簿はお渡ししましょう」
彼は壁の棚から名簿を取り出し、レグニスに手渡す。
「面倒な手間をかけさせるな」
「……けっして、良からぬことに使わないようお願いします」
レグニスが名簿を受け取るが、セドリックは手を離さずにそう厳命した。
しかし、力を込めて名簿を奪い取ったレグニスは言い捨てる。
「王侯貴族が若い女を欲しがる理由など、少し考えれば分かることだろう? さて、欲しいものは手に入れた。見送りは不要だ。では、またな」
彼はすっと立ち上がると、礼もなく勝手に退室した。
「エレノア嬢、殿下を断罪するための証拠の検分を急ぎます」
セドリックの言葉には怒りが滲んでいた。




