【第2.5部】寒い夏2
雨の音が強くなった。クラフチェンコは机の上に置かれた経済指標の束を引き寄せた。
工業生産の折れ線は独立の年から一度も上を向いていない。カルボヴァネツの為替の欄は桁が増えるたびに書式を作り直していた。国際価格近くに引き上げられたロシアのガス代の未払いは、四半期ごとに一行ずつ長くなっていく。
彼はその数字をしばらく眺めていた。
1991年の冬。ソ連が崩れていく中で、彼は新しい共同体の発起人に名を連ねることを考えた。ベラルーシと、ロシアと。3つのスラヴの国で古い家を畳んで新しい家を建てる。そういう道も確かにあった。
だが彼は署名しなかった。
あの秋に受けた屈辱がまだ喉の奥に焼き付いていたからだ。あの男はこの国をルーブルの財布から締め出し、借金を押し付け、軍の飯代まで打ち切った。その男の国と同じ食卓につけるはずがなかった。
そして計算もあった。ウクライナなくしてロシアは立てない。
穀物や石炭、鉄、ミサイルや造船所すら。ソ連という巨大な機械の部品の多くはこの国にあった。部品を失った機械は動かない。ならば1年、1年だけ待てばいい。モスクワの連中は必ず頭を下げてくる。その時にこちらの条件で席につけばいい。
それがどれだけ甘い考えだったか。この部屋そのものが答えを示していた。
ソビエトの経済は共和国同士の網の目でできていた。ドンバスの石炭はロシアの製鉄所へ流れ、ロシアのガスはウクライナの化学工場へ流れた。ハリコフの戦車工場はロシアの部品なしでは組み上がらず、ロシアのヘリコプターはザポロージエのエンジンなしでは飛ばなかった。
網を断ち切れば困窮するのはロシアだけではない。こちらも同じだった。
そしてロシアは頭を下げなかった。
代わりに他の扉を叩いた。カザフの草原に、ノルウェーの海に、西側の自動車会社に。痛みに耐えながら失った部品の代わりを網の外から探し出してきた。
この国には最後までそれができなかった。
クラフチェンコは指標の束の一番下から別の紙を抜き出した。
外貨準備高の推移。
ソ連から受け取った3割は、独立の年にはまだこの国の通貨を支える柱に見えた。今その柱は四半期ごとに細くなっていく。ガスやディーゼル燃料の輸入、借金の利払い。アメリカとIMFの支援が入るたびに一瞬だけ持ち直し、また次の四半期には削られる。
彼はよどんだ目でその数字を眺めた。数か月ごとに監査の名目でIMFの官僚団がやってくる。彼らはこの大統領府の一室を半ば常設の事務所として使っていた。
そう、あの部屋にだけは予算が行き届いていた。
新しい絨毯。切れることのない電球。唸りを上げる空調と夜通し紙を吐き出すファクシミリ。輸入物のコーヒーの匂いが雨漏りの廊下にまで漂ってくる。彼らは流暢な英語で改革の手順を説き、報告書を本国へ送り、次の融資の条件を並べる。
まるで肥えた豚のような……。
クラフチェンコは頭を振った。いや、この考えは危険だ。彼らの金がなければこの国は明日から立ち行かない。それを誰よりも分かっているのは自分だった。
だが! あの部屋に出入りする顔ぶれを、彼は知っている。
ガスの仲介を始めた若い商人たち。ロシアからコネで安く仕入れたガスを国営の工場に高く売りつけて、差額を懐に入れる連中。国営企業の払い下げの話が出るたびに真っ先に名前が挙がる男たち。彼らは大統領の執務室より、あのコーヒーの匂いのする部屋の扉をずっと頻繁に叩いていた。
西側から送り込まれた官僚たちは、IMFの名前を借りてこの国の新しい金持ちたちと結びついている。
それは推測ではなかった。
机の引き出しの奥に保安庁の報告書がある。支援団に同行してきたアメリカの経済顧問の一人が、妻の名義でガスの仲介会社の株を買っていた。払い下げの手順を指導しながら、その払い下げで太る会社に自分の金を入れていたのだ。
報告書を読んだ時、クラフチェンコは笑ってしまった。怒りではなく、あまりの露骨さに。
しかしそれを表に出すことはできなかった。
この顧問を追い出せば支援団ごと帰っていく。支援団が帰れば次の融資は議会を通らない。明日からこの国は飢える。
支援の金は借金として国の名義で入ってくる。そしてガス代や輸入の支払いとして、あの商人たちの手を経て国の外へ流れていく。通り過ぎるたびにどこかで少しずつ削り取られながら。
最後に残るのは国の名義の借金だけだった。
クラフチェンコは独立広場で揺れていた旗を思い出した。同じ長さに切り揃えられた旗竿。あの旗を刷る金を出したのは誰だったか。
彼は外貨準備高の紙をそっと裏返した。
あの男は最初から分かっていたのだ。ロシアが痛むことを。それでも腐りかけた手足を自分の手で切り落とすことを選んだ。胴体は血を流しても、止血さえすれば生き延びられる。
だが切り落とされた手足の側は、自分で血を止めることができない。
窓の外で雨はまだ降り続いている。
クラフチェンコは裏返した紙の下から最後の一冊を引き出した。
解体委託契約の更新書類。ロシア国防省の印とハリコフの工場の印が並んでいる。
彼はこの春その工場を訪れたことがあった。
ハリコフの戦車工場の構内には、線路の引き込み線に沿って灰緑色の車体が果てしなく並んでいた。T-64、T-72、T-80。旧東ドイツの演習場の土をまだ履帯にこびりつかせたままの戦車たちが、貨車から降ろされる順番を待っていた。
ジュネーブの合意でロシアは欧州に大幅な武装解除を約束した。だがあまりに量が多すぎた。ロシアの工場だけでは何年かけても捌ききれない。だからその一部がこの国に回ってきたのだ。解体の請負として。
構内には火花が絶えなかった。砲塔を切り離すガスバーナーの青い炎。車体を裁断する鋸の悲鳴。作業着の工員たちが黙々と鉄を切り分けていく。
案内役の職長が、自嘲とも落胆ともつかない顔で恥じ入るように彼に説明した。
「大統領。我々は戦車を作る腕で戦車を壊しているんです。でもおかげで給料が出るんですから。しかしこのラインは10年前なら新型戦車を組み立てたものですが」
切り分けられた部品のうちエンジンや変速機の一部は木箱に詰められ、別の貨車でロシアへ送り返されていた。
欧州はそれを許していた。厳密に解釈するならばそれは違反だった。だが部品の一部を回収する程度ならば、通常戦力条約の上限を大きく下回る武装解除の代価として目をつぶる。そしてウクライナには代わりに解体の費用が支払われる。口止めの代金のように。
クラフチェンコは書類の数字を眺めた。
この契約がこの国の軍需産業を生かしている。ソビエトが総力戦のために積み上げた膨大な鉄の山をひとつずつ分解することで。
そのおかげで工員たちの給料が払われ、技術者たちが国の外へ逃げずに済んでいる。代わりの産業を国の中で育て直すまでの数年分の命綱だった。
彼は髪をかきむしった。ロシアはこれで欧州に速やかな武装解除を示したのだ。自分たちは身軽になり、使える部品だけは手元に取り戻した。そして捌ききれない残りをウクライナに回したのだ。
気づいていなかったわけではない。契約を初めて見た時からクラフチェンコには分かっていた。これはロシアの後始末の下請けだ。あの男が3年前に押し付けた負債と同じ形をした、もう一つの負債だった。それでも彼は署名した。せざるをえなかった。外貨を前に首を横に振るなど想像もできない。
屈辱はもはや湧かなかった。代わりに胸を満たしたのは奇妙な哀愁だった。
クラフチェンコは書類を閉じた。目を閉じる。計算はあるのだ。
軍需産業が生き残れば技術も人も残る。10年もすれば欧州は変わる。もしNATOがこの国境まで来る日が来たならば、この国は容易に迎え入れられるだろう。ロシアへの盾として。そう、盾には腕のいい鍛冶屋が要る。その鍛冶屋を今はロシアの鉄屑で食わせておけばいい。
それは妥当な計算だった。だが甘かった。
彼が閉じた書類の最後の頁には、保安庁の短い付記が一枚挟み込まれていた。
一部不穏分子を追跡中。委託機材のうち解体後の処理が追えない事例が複数。行き先は現在調査中。
クラフチェンコはその頁を開こうとしなかった。
雨の音だけが天井の染みを少しずつ広げていった。




