第二部-3 GOサイン
ロスコスモス、設計局(KB)分室。数日後。
会議室にはヴィクトル、シェスタコフ将軍、そして若きセルゲイ・ヴォルコフが、再び顔を合わせていた。だが、そこにはもう一人、新たな男が加わっていた。
ドミトリー・コマロフ。まだ30代半ばだが、その額には深い苦渋と激務のしわが刻まれ、その目には「ブラン計画」という巨大プロジェクトを最前線で回していた男特有の、揺るぎない自信と疲労が同居していた。
「まず、資源の洗い出しからだ」
ヴィクトルは、大統領府第一副長官としての権限で取り寄せた、極秘指定のリストをテーブルに広げた。
「君の構想の最大の問題点は、シェスタコフ将軍が指摘した通り、使えるICBMの在庫に限りがあることだ。今年頭に同意したSTART I(第一次戦略兵器削減条約)で廃棄対象となった数百基。これだけでも膨大だが、商業ベースで恒久的に回すには心もとない」
彼は、そこで一度言葉を切り、全く新しいリストをテーブルに重ねた。
「だが、投射ユニットは地上のICBMだけではない。SLBM……潜水艦発射弾道ミサイルも対象とする」
ヴィクトルは、シェスタコフの驚いたような顔を一瞥した。
「ジュネーブで、エリツォン大統領はタイフーン級原潜の全廃を西側に約束した。西側への譲歩として
。彼らはあれを『冷戦の悪夢』として海底に沈めたかったのだろう。だが我々にとっては、チタンの塊と、そして何よりも、高性能な固体燃料ミサイルという名の宝の山だ」
タイフーン一隻に搭載されていた20基のR-39ミサイル。退役する全隻分を合わせれば、百本単位のブースターが手に入る。さらに、旧式化したゴルフ級やヤンキー級潜水艦から引き抜かれる液体燃料ミサイル。それらはゴミではない。西側を恐怖させた、第一級の推進装置だ。
「これら全てを、君の『計画』に使う。ヴォルコフ君」
セルゲイの目が、興奮で大きく見開かれた。
固体と液体、推力応答が根本的に異なるミサイル群を束ね、点火タイミングを同期させて制御するなど、正気の沙汰ではない。
「さて、本題だ」
ヴィクトルは、コマロフに向き直った。
「開発予算の見積もりを頼む」
コマロフは、ヴィクトルに一礼すると、分厚い計算書を広げた。その態度は、政治家への追従など一切ない、実直な技術屋のものだった。
「……無茶な話ですが」
コマロフは、忌憚なく言った。
「既存ユニットを徹底的に流用し、安全率を民間基準(有人ではなく貨物)まで下げることを前提とするならば、5億ドル。これが、試作機一機を打ち上げるまでの、最低限の数字かと」
「甘いか?」
「甘すぎます」
コマロフは断言した。
「西側なら、設計図を書くだけで消える額です。ですが、やり方次第です」
彼は指を一本立てた。
「まず、アビオニクス(電子機器)。CPUと回路基板は新規に開発しません。廃棄するICBMやSLBMの誘導装置をそのまま使います。あれは核戦争の電磁パルス(EMP)下での作動を前提とした、時代遅れだが頑丈で信頼できる電卓です」
「電卓で、宇宙へ行くと?」
コマロフは頷いた。
「ええ。我々が手を加えるのは、複数の電卓を、一つの頭脳からの指令で協調して動かすための『接続装置』の開発のみ。ハードウェアはゴミ山から拾い、ソフトウェアで無理やり統合する」
それは、かつて彼がブラン計画で、予算不足の中でロシア製の未熟なハードで性能を稼ぐために編み出した苦肉の、しかし効果的な手法だった。
「フィン制御とセンサー類も、既存ユニットの部品を可能な限り共食い整備します。コストをかけるのは、異なる径のエンジンを束ねるための新しいフレーム構造と、その『接続装置』の開発。この二点に絞ります」
「場所はどうする」
シェスタコフが、低い声で尋ねた。
「バイコヌールで、あんな継ぎ接ぎの化け物を組み立てられるのか」
「カザフスタンのナザルベフ大統領とのリース契約に、関連施設の改修と共同利用の条項を盛り込んである」
ヴィクトルは即答した。
「費用は我々持ちではあるが、彼らの協力は得られる。彼らも、バイコヌールがただの廃墟になるよりは、継ぎ接ぎだらけの工房になる方を望んでいるので」
その時、興奮を抑えきれずに話を聞いていたセルゲイが、身を乗り出した。
「コマロフ技師! ソフトウェアですが、僕に考えがあります。各ブースターに残された古いCPUを冗長系として並列接続し、多数決方式で異常値を排除しながら、より自律的な姿勢制御が……」
「黙れ、若造が」
コマロフは、セルゲイの言葉をピシャリと遮った。その声には、年長者としての威厳と、幾多の失敗を乗り越えてきた現場の男の重みがあった。
「温室育ちの繊細な理屈は、ここでは通用せん。我々が作るのは、多少の不具合は腕力でねじ伏せ、多少の振動は無視して空へ駆け上がる、無骨で頑丈な鉄の塊だ。学者の論文を書いている暇はない」
コマロフは、ヴィクトルを見た。
「成功率は五分五分。ですが、やらなければゼロです。……違いますか、副長官閣下」
「その通りだ」
ヴィクトルは、二人のやり取りを満足そうに眺めていた。
理論で空を飛ぼうとする若者と、泥にまみれて鉄を動かしてきた男。この二人が噛み合えば、面白いことになる。
彼は、立ち上がった。
「『アンガラ』……いや、もっと相応しい名前にしよう。『エニセイ』プロジェクトを正式に発足する」
ヴィクトルは宣言した。
「プロジェクト責任者は、セルゲイ・ヴォルコフ君、君だ。その柔軟な発想で、全体の概念設計を描け」
セルゲイが、信じられないという顔でヴィクトルを見る。
「そして、君の後見役として、プロジェクトの全技術監督をドミトリー・コマロフ技師に一任する。現場の指揮、予算管理、そして夢想家の手綱を引くのは君の仕事だ」
ヴィクトルは、対照的な二人を見比べた。
「互いの才能をぶつけ合っていくんだ。そして、西側が度肝を抜くような、誰も見たことのないロシアの翼を、この廃材の山から作り上げてくれ。予算は、5億ドル。期間は2年だ。……失敗は許されないと思ってくれ」
それは、国家の威信をかけたプロジェクトであると同時に、ヴィクトルが西側からかすめ取る「宇宙利権」への、最初の一手だった。
更新の励みになります。ブクマ・感想・評価いただけると嬉しいです。




