分かたれる道
夜半近く、アーサー・ハリントン大使との交渉を終えた後、ヴィクトルは疲れ果てて、モスクワで割り当てられた宿舎へと帰宅した。
重いコートを脱ぎ捨て、ネクタイを緩め、そのままベッドに横たわった。ただ、ぼんやりと天井を見上げる。
(『見守り人』としての立場を飲ませることはできた。そう、アメリカからの言質は取った)
全権大使の言葉だ。一度口にした以上、ワシントンがそれを覆そうとするならば、彼らの外交に致命的な瑕疵を残すことになる。まだソビエトという巨大な勢力が存在する、世界が分かたれているこの状態で、アメリカが自らの信用を損なうような選択は選べない。交渉は、第一段階をクリアした。
彼は、ゆっくりと寝返りを打った。きしむベッドのスプリングの音が、静かな部屋に響く。
(…だが、これが本当に、正しいことなのかが、分からない)
勝利の興奮はなかった。ただ、鉛のような重い疲労と、心の奥底から湧き上がってくる罪悪感だけがあった。
今、彼は、この手で、自らの祖国を切り刻もうとしていた。
ヤトフでも、エリツォンでもない。この自分が、誰よりも愛したはずの祖国に、その死を告げる役目を担っているのだ。
それは苦痛だった。誰にも打ち明けられない、筆舌に尽くしがたい苦痛だった。
遠い日の思い出が、彼の脳裏をよぎる。
スヴェルドロフスクの雨の夜。兄のユーリが語った、工場での絶望。
兄だけは。兄のような実直な男が、ささやかな幸せを享受して生きていける国でなければならない。
そして、彼が出会ってきた、名もなき人々。彼が手を取り、説得し、時には罵り合い、それでも最後には手を握ったウラルの工場長たちや職人たち。あるいは、レニングラードで彼の実験の証人となった、街角のパン屋の娘たち。
官僚となった時、職務に関しては私心を捨てたつもりだった。
全ては、彼ら人民のため。国家という巨大なシステムを、より良く機能させるため。ただ、その一心で働いてきたはずだった。
だが、この道は、未来につながるのか?。
人民を守るために、彼らが生まれ育った"国家"そのものを、この手で殺すならば。
未来にその咎にあうだけの幸福を、その補償を。
ヴィクトルはここで思考の渦を打ち切り、固く目をつむった。眠りは、まだ当分訪れそうになかった。
ソビエトは、引き裂かれつつあった。
モスクワの求心力は日に日に失われ、バルト三国は事実上の独立を宣言し、コーカサスは燻る民族紛争の火種を抱え、中央アジアは自らの生きる道を模索し始めていた。そして、各共和国は、ハイパーインフレーションと生産停止の渦に巻き込まれ、深い経済混乱に沈みつつあった。
その中でも、異彩を放っていたのは、ロシアSSR(ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国)だった。
他の共和国が狂乱と無秩序に落ち込む中、その最大勢力であるロシアだけが、奇妙な安定を保っていた。経済はヴィクトルが呼び寄せたレニングラード閥が実務を掌握し、最悪の事態を回避。政治は英雄となったエリツォン(モスクワ閥)がそのカリスマで国民をまとめ上げ、そして軍事は、自宅軟禁を解かれ、エリツォンに敬意を示したヤトフ国防大臣が、その長年の経験で規律を維持していた。
この三権分立にも似た奇妙な協力体制が、ロシアを静寂に近い動きに留めていた。それは、大混乱を予測していた西側諸国の想定を、完全に超えていた。
そして、その全てを裏で動かしていたのがヴィクトルだった。彼は表向きの役職を持たず、権限を持たない巨人として、エリツォンとヤトフに助言を与え、レニングラード閥を指揮し、そして水面下で西側との交渉を続けていた。連邦解体の条件は、詰められつつある。
問題は、それを、独立を熱望し、もはや誰の制御も効かない勢力に、どうやって飲ませるかだった。
1991年、秋。キエフ。
ヴィクトルは、ロシアからの特別使節として、ウクライナの首都を訪れていた。彼が地方政府の庁舎に入る前から、道行く人々から向けられる、じっとりとした敵意の視線を感じていた。
ロシア人、モスクワから来た男。その事実だけで、彼は石もて追われるに値する存在だった。
だが、彼の周囲には見えない壁があった。目立たない服装をした、ごく普通の男たちが、彼の前後左右を固めている。彼らは私服だったが、その身のこなしからは、常人ではないことが窺えた。
彼らは、ヤトフが直々に選抜した、国防省参謀本部情報総局(GRU)所属の特殊部隊の隊員たちだった。ヤトフは、ヴィクトルという武器の価値を理解し、その命を守るために、自らの最も信頼する駒を送り込んでいたのだ。
ヴィクトルは、ウクライナ共産党本部へと足を踏み入れた。そして、受付で告げた。
「レオニード・クラフチェンコ議長に、ロシア共和国からの緊急の伝言がある」
彼が呼び出したのは、この独立運動の実質的な指導者。仮に、そう、もし仮にヤトフがクーデターを成功させ、あるいはボリス・エリツォンがただロシアだけの権益を求めて強硬な手段に出ていたら、真っ先に武装蜂起してでもウクライナの独立を宣言したであろう、最も油断のならない現実主義者であり、同時に芯の通った民族主義者だった。
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