忘れかけていたもの 前編
「「「………………」」」
数秒、呆気に取られた私たちはそのまま廊下で固まる。
固まって、ようやく我に戻った私たちは同じ感情で悩み始める。
──き、気まずい……!
「ど、どうするんですか詩葉先輩! 覗いてたのバレちゃったじゃないですか!」
「ははは、参ったね?」
「呑気に笑ってる場合じゃありませんよ! これ絶対面倒臭いやつじゃないですか! だから私はさっさと入ろうとしたのに!」
「そんなこと言って、君も途中から夢中で見てたじゃないか」
「だってあんなスケベ親父か痴漢かってくらいに性欲丸出しのいやらしい顔ですよ‼ 私が見られたら即憤死モノの大恥晒しですよ!」
「凄い言うね、君?」
この後の柊和へのケアとか謝罪とか諸々考えると大変に胃が痛くて、つい声が大きくなってしまった。
でも実際それくらいアレな表情してたしな、柊和……言ってることは間違ってないんだよ?
私が焦って心を乱していると、何やら病室の中からバタンドタンと暴れるような音が聞こえてきた。
「──あっ姉さん‼ ダメだよ窓から飛び降りは! 今の僕等はそういうの冗談でも微妙な時期なんだから落ち着いてよ!」
……護君の必死の声が聞こえてくる。
アレは相当追い詰められてるな。
護君にも悪いことしちゃったし……。
「どうするんですか……3階から飛び降りようとしてるじゃないですか」
「さっきの君のがトドメになってるような気もするけどね」
「覗こうとしたのも、言葉の暴力をふるったのもどっちも悪いですよ!」
「霧華ちゃんだって、覗いてる時は一番興奮してたじゃないか」
「だってもうちょっとで柊和先輩の女の子の顔が見られたんですよ‼ 寸前ですらただでさえあられもない顔だったのに、あれ以上があるなんて信じられますか⁉」
「雲ちゃんも大概だと思うんだけど?」
「何なら霧華ちゃんに言われるのが一番堪えるまであるだろうね」
「ずるい! ずるいなぁ護君! あたしも柊和先輩のメス顔見たいなぁ‼」
「雲ちゃん⁉ そんな言葉遣いしちゃいけませんよ⁉」
ここ何処だと思ってんの?
なんと病院の廊下だぞ?
……このまま廊下で話し続けても埒が明かないし、最悪追い出される。
しかし今この状況で柊和のいる部屋にズカズカ押し掛ける勇気もない。
さてどうしたものかと頭を悩ませていると、なんと病室の扉が勝手に開きだすではないか。
「あの~……今の話全部姉さんに聞こえてて、そろそろ心のダメージが深刻なので……そこらへんで勘弁してあげてくれませんか?」
「ま、護君……!」
そして現れたのは護君だった。
病衣を着た彼は私たちの顔を順に見やると、少しだけ申し訳なさそうな顔で笑った。
「……お久しぶりです。色々と積もる話もあると思うんですけど……ひとまず、中へどうぞ」
「うん……でもあの、大丈夫? 柊和的にこう……せめて押さえつけておいた方がいいんじゃない?」
「多分大丈夫です。一周回ってこう……動かなくなったので」
「大丈夫って……?」
やはり雲ちゃんがトドメを刺したんだろうか。
というか、人って恥ずかしさが一周回ると動かなくなるんだ。
『亡くなりました』の隠喩じゃないといいんだけど。
「とにかく入ってもらって大丈夫なので、どうぞ」
「あ、お、お邪魔します……」
言って護君も病室の中へと引っ込んでしまうので、私たちもこれ以上臆したままではいられないと思い切って病室へと飛び込んだ。
それから恐る恐る柊和がいるであろう窓際のベッドに視線を向けて──驚きで目を剥く。
さて、柊和はどんな壮絶な表情で私たちを迎えるかと思ったら……。
ベッドの上にはなんと、薄命の美少女然とした儚い笑顔を浮かべ、窓から入ってくるそよ風に髪を揺らす絶世の美少女がいるではないか。
「あら……? 皆、こんな早い時間からどうしたの?」
「「「…………」」」
「もしかしてお見舞いに来てくれたの? うれしいわ、いらっしゃい」
それはもう、部屋に射し込む日の光が透けて見えるような驚きの透明度。
いや何だコイツ⁉
さっきまでの欲の化身はどこ行ったんだ⁉
まさか柊和、さっきまでの痴態をなかったことにしようと思ってるのか?
そのためにこの上なく清楚な美少女気取って?
「ひ、柊和……? 流石にそれは無理が……」
「コホコホ……っ‼ ご、ごめんなさい……今日は少々体調が優れなくて……」
「いやだから、無理があるって」
「風邪を移してしまうといけないし、悪いけれど今日はもう帰ってもらった方がいいかもしれないわ」
「わざとらしい咳とかいいから。くしゃみだってあざとかったし、あれもわざとで──」
「──わざとじゃないから‼ ……それに今日は平日よ? 皆学校があるでしょうに、こんな朝早くから学校を抜け出して来やがって」
「あっ! 今ちょっと素が出てた‼ ついに本性表したなこの性欲魔人が‼」
「出てない出てない。全然出てないから。『ちゃんと放課後に来いってメッセージ送っといたのに無視してきやがって』とか全然思ってないから」
「そこまで言って思ってないわけないだろ‼ 今更清楚ぶったって絶対乗ってやんないから‼ あと三年は今日のことイジり倒すつもりだから‼」
「やってみなよ! そん時はもう戦争だから‼ ネタがあるのはそっちだけだと思うなよぉ……相打ち覚悟でそっちも燃やしてやるからなぁ!」
とうとう完全に化けの皮が剥がれた柊和は敵意剥きだしで今にも噛みつかんばかりの表情。
ネタだとぉ……?
ま、マズい……一体私の何の話をするつもりだコイツぅ……。
「二人は本当に仲が良いねぇ。そんな言い合ってて疲れないの?」
「「誰のせいですか‼」」
覗きをしようと言い出したのが詩葉先輩だというのは柊和にもお見通しらしい。
まぁ、そりゃそうだよね。
「うぅ……護がようやく目を覚ましたんだから、私だってちょっとくらいはしゃぐに決まってるじゃんか……ちょっとくらいと思ったらすぐこれだよ……くそぅ」
そう言われるとちょっとかわいそうな気もしてきた。
ましてや二人は既にああいうコミュニケーションがあってしかるべき関係なのだ。
フライングして見舞いに来て覗き見てしまったのは私たちが良くなかった。
「皆も見なかったことにするくらいの優しさがあってもいいじゃんか……」
「まぁでも今更美少女ぶったって上手くいくわけなかったんだって、あんな欲に塗れた汚い顔しといて」
「欲に塗れた汚い顔!?」
とはいえ、反省するところがあってもそれはそれ。
柊和のあの顔と迫り方はちょっと……擁護できない。
「柊和先輩、全然問題なかったですよ! 先輩は汚くても可愛かったです!」
「慕ってくれる後輩にまで汚いって言われたぁぁぁ〜!」
雲ちゃんにトドメを刺されて大げさに叫ぶ柊和。
そんな柊和に呆れと憐れみと……そして忘れかけていた『いつも通り』を思い出せた嬉しさを感じて、病室にいる私たちは皆いつの間にか楽しそうな笑みを浮かべていた。




