反動と反省と 後編
三人で部屋の中の様子を窺うと、真っ先に聞こえてきたのは何やらあざとくて可愛らしい音だった。
「──くしゅっ! くしゅん!」
「あぁ、姉さん……やっぱり、風邪ひいちゃったの?」
「ずずっ……うん。熱もないし、体は特に怠くもないんだけど……くしゃみと鼻がちょっと」
柊和は窓側にある自分のベッドで横になり、それに対し護君は廊下側にある自分のベッドに腰かけて柊和と向き合っていた。
たったそれだけのやりとりを見て、私の心は訳がわからないくらいに満たされた。
本当に護君が目を覚ましてる。
護君が柊和の声に反応して、心配して……そんな護君に柊和が返事をして。
たったそれだけのやりとりをもう一度目にすることができたことに、途方も無い安心と幸福を感じる。
もう、こんな訳のわからない覗き見はやめてとっとと部屋に飛び込んでしまいたい。
心からそう思うのに、そんな私の動きは詩葉先輩にしっかりと止められてしまう。
「そっか……今日はできるだけ布団の上に居て、あったかくしておいた方がいいね。お水も沢山飲んで、飛鳥さんに頼んで簡単に栄養が取れそうなものを……」
「……ふむ」
どうやら柊和はこんな時に風邪を引いたらしい。
護君が慣れた調子でケアを考えていると、それを横目に柊和が何やら企むような怪しい表情を見せる。
……あれは、ロクでもないことを考えている時の顔だ。
「……どうしたの姉さん? なんか企んでるような顔……?」
「いや……護には、責任を取ってもらわないといけないと思って」
「……へ、責任?」
私と同じで嫌な予感がしたらしい護君に対し、案の定柊和がまた訳のわからないことを言い出した。
「だってこの風邪、昨夜護のせいで体が冷えたから引いたんだよ? 護のせいなんだからもっとちゃんと看病しなきゃじゃない!?」
「それは……でも看病って言っても、ここは病院だよ? プロの人たちに囲まれてるんだから、僕なんかが出る幕はどこにも……」
「あ、そーいうこと言っちゃう? あーあー、誰かさんを連れ帰るために薄着で寒空の下に晒されたんだけどなぁ〜!」
「ん……それを言われると……」
「心配しなくて大丈夫! 看病って言っても、護にしてもらいたいのはお医者さんや看護師さんの代わりとかそういう感じじゃなくて、もっと近しい人にしてもらうタイプのアレだから……!」
「……? わ、わかったよ……姉さんの言うとおりにする。僕にできることがあるなら、惜しむつもりもないし……」
言葉巧みに護君を言いくるめると、柊和はによによと笑みを浮かべていた。
酷い顔だ……どう歪めようと醜くなりようがないはずの綺麗な顔が、今では欲に塗れて大変なことになっている。
いや、やっぱりそれでも見た目の感想だけなら醜いとか不細工と呼べるようなことになっていないのは安定の柊和クオリティではあるんだけど……何と言えばいいんだろう?
なんというか、表情筋が弛緩しきって汚い欲が丸出しになっているというか?
とにかく「うわぁ……」と思わず声が出てしまいそうな感じの残念な表情だった。
「それで、僕は何をすればいいの?」
「そうだな……じゃあちょっと耳貸して?」
「耳? 二人きりなのにどうして……」
「そりゃそっちの方がベッタリとくっつけるからに決まってるでしょ!」
「……姉さん、なんか目が覚めてからテンションがおかしくなってないかな?」
「昨日まで護と話せなかった分の反動だよ! いいから、ほら耳貸して……!」
「わ、わかったよ……」
そういって柊和は護君を呼び寄せると、近付いてきた護君にぴったりくっついてこそこそと内緒話を始める。
一瞬私たちの存在に気付いての対策かとも思ったけれど、本当に護君に密着するためだけの発案だったようで、柊和は何とも油断しきった表情をしていた。
「いい? じゃあ早速……ごにょごにょ……」
「うん……ん? ……ええっ!?」
「他にも──」
「な、そ、そんな恥ずかしいことできるわけ……!」
「やっぱ耐性が落ちてるなぁ……割とまだまだプラトニックなレベルだと思うんだけど」
「でも、そんなのもう看病でもなんでもないじゃないか!」
一体柊和は何を頼んだのか、護君は飛びのくようにして柊和から距離を取った。
恥ずかしそうに顔を赤くして……何を言われたのかは知らないけど、どんな感じのことを言われたのか程度は察しが付く。
まぁ、とはいえ柊和もヘタレではあるので精々イチャイチャする程度だとは思うけど……それでも一緒に聞いていた雲ちゃんには刺激が強いようで、小さく「あわあわ」言ってる声が口から漏れ出ていた。
「看病です。私の精神衛生的に大変よろしいので。病は気から」
「屁理屈! 大体、ここは家じゃなくて病院なんだよ⁉ なのにそんなこと……ん?」
その時一瞬だけ、護君が自分の背後──私たちのいるドアの方を気にしたように見えた。
まさか雲ちゃんの小さな声が聞こえた?
とはいえ相当小さな声なんだけどな……?
そんな疑問が浮かぶけれど、護君はこちらを振り向きはしないままだった。
「大丈夫! ここは二人部屋で職員さんもしばらくは来ないって確認したし!」
「……本当に?」
「もちろん! 昼食時までは自由時間だって聞いたよ!」
「……本当にいいんだね?」
「だから大丈夫だって! むしろ時間がもったいないから早く──」
「皆、見てるけど」
「──へ?」
「「「!!!」」」
護君に、あっさりと私たちの存在をバラされてしまう。
やっぱり気付かれたんだ……感覚が鋭すぎるでしょ。
突然のことに私たちが揃ってびくりと肩を震わせると、瞬間、こちらに視線を向けた柊和とバッチリドアの隙間越しに目が合ってしまう。
「…………」
「…………」
3対1。
状況を受け入れたくない柊和と、何も言えない私たち。
しばらく無言で見つめ合う時間が経過して……やがて、柊和が自分のベッドから立ち上がってこちらへとゆっくり歩き始めた。
──ぺた。
──ぺちぺちぺちぺち……。
素足で歩き、ついにドアの目前までやってくると、柊和はおもむろにドアの取っ手に手を掛け──
──パタン……っ。
強引に、けれど実に静かにドアの隙間を閉じられてしまった。




