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ベルブレストの魔術紋  作者: ミロワキ
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魔術士と戦士

 ここに想像してもらいたい。多種多様な魔法を操る魔術師と力自慢の勇猛な戦士が、1人ずつ互いの拳が相手の懐に届くほどの近距離で睨み合っている。


 闘いの条件として、同年齢、魔術師は魔法を使用するには最低でも2秒の詠唱が必要である。戦士は極めて身体能力が高く並大抵の殴打ではびくともしないが、鉄斧に渾身の力を込めて一振りしなければ敵を仕留めることはできない。


 そして、この一瞬後に戦闘が始まる。はたしてどちらが勝者となるであろうか、


 勝敗は必ず3秒以内に決着するだろう。始まって2秒経過した時点で魔法使いが精神操作の魔法を唱えて勝負ありだ。つまり、戦士が勝利するには2秒以内に魔術師を倒さなければならない。念のため断っておくが、偶然に攻撃を躱すことはないものとする。


 ならば身体能力の高い戦士が人首1つ跳ね飛ばすくらい朝飯前なのだから、この勝負は戦士の圧勝となるはずだ。


 ‥‥本当に?


 魔術師は自然界にあふれる魔力を体内に吸収できるように改造された人間であり、食事や睡眠によって養う一般的な人間よりも、その活動量は確実に多いと言える。加えて、魔術師として認められるための試練は彼らの肉体と精神をより強靭なものへと変化させているに違いない。


 そんな改造人間がおよそ2秒という時の間で繰り出されるたった一振りをいなすことができないのだろうか。‥‥否、どうやら再び勝敗に変化が起こりそうだ。



 * * *



 ユウハは馬車の残骸と共に地面へ落ちたのであった。しかし、落下の衝撃も、殺気立った盗賊たちも、誰も彼の命を奪うことはできず、彼らは皆再びユウハが曲りなりにも魔術師であることを実感することとなった。


 魔術師のユウハは地面に激突する瞬間、武術家絶賛の見事な受け身で衝撃をいなすと(それでも常人は身動きできなくなる)、すぐさま起き上がり飛び散る残骸と共に街道の脇に続く林の中へと走り去った。


 獲物が落ちてきた処をゆっくりと弄ぶつもりでいた盗賊たちはユウハの異常ともいえる身体能力を目の当たりにし、数秒を呆気にとられることとなるのだった。


 ユウハは草木を押し退けるように道無き道を頼りない足で前進する。馬車から落ちた時点で街道に沿って目的地を目指すことは諦めていた。残りの距離はどれくらいか、とにかく足を止めれば捕まってしまうため、体中に引っかかった枝葉を払うことすら忘れてひたすら走るしかないのだった。


「オイオイ、いつまで追いかけっこを続けるつもりだ?」


 いくらユウハの身体能力が高いと言えど、馬車より疾くは走れない。ましてや馬車に追いつくような怪物に走り負けるのは当然のことである。すぐさま化物猪に鞭を打って後を追いかけてきた盗賊たちに、ユウハは後ろを突かれることとなった。


「クソッ!」


 駄目元で何度も目眩ましを投げつける。強烈な光が林の外まで漏れていたが、敵の目元に被せられた布のせいで効果は薄く、多少怯む様子を見せるだけで距離の差は変わらない。それでもユウハは持ち合わせの武器をひたすら投げつけるしか迎撃の手段がないのだった。


 2秒などとうに過ぎ去った。もしマレギールのような全能の魔術師であったならば、こんな敵など体に鬱陶しく引っかかる枝葉と一緒に業火で焼き払っただろう。


 そして自分は魔法で空に浮かび目下の緑が真っ黒な消し炭に変化する様子をゆっくりと眺めるのだ。


 などと物騒なことを妄想しながら、そんな魔力や度胸や残忍性がどこにもないことを、何ひとつとして持ち得ないから今のような状況になっていることを、ユウハは恨むほど分かっていた。


「‥‥あっ!」


 おもむろに盗賊の投げた短剣が足を掠め、かすり傷の痛みに足をもつらせたユウハは目前の低木を避けることができず勢いよく倒れ込んだ。そして後を追って来た盗賊たちに囲まれ、ついに彼らの手中へ捕らえられたのだった。


 盗賊の頭目であるワルツはユウハに追いつくと、猪から降りてすぐさま、抵抗するユウハの左手に容赦なく短剣を刺さした。深々と刺し込まれる刃にユウハは絶叫し、その痛々しい悲鳴は先程とはうって変わって静かになった林中に響いたのだった。


「人をおちょくるような魔法ばかり使いやがって、‥‥もういいだろ。お前1人にこうも手こずらされて、俺たちはうんざりしてるよ。終わりにしようや、」


 呆れ顔を見せるワルツだが、うんざりなのはユウハも同じであった。中途半端に魔術師としての力を得たことで周囲に不幸が訪れ、己の心身は何度も蝕まれた。絶望にしても幾度と目の当たりにしたことだろうか。


「‥‥それでも、死ぬのだけはゴメンだ。こんな不幸せな形で人生が終わるなんて嫌だ。ッ‥‥絶対に嫌だ!」


「‥‥そうかよ、」


 見苦しく暴れるユウハを盗賊たちが押さえつけ、その上からワルツが乗りかかる。地面に散らばる石や枝が肩と足の傷口を刺激し、そのたびにユウハは苦悶の表情を浮かべた。


「人ひとりの一生なんぞ、この程度のモノだろうが。大体は重なった不幸が死に直結する‥‥真に幸福のまま死ねる奴なんていないのさ。」


 この言葉を最後にワルツはもう話すことはないといったように黙り込み、ただ心内にある殺意のまま武器を構えた。もう、ユウハ1人の力では抗えないほどに死への因果は結ばれているのだった。



 魔術師と戦士の闘いは戦士の勝利に終わった。やはり身体能力が比較的高いというだけでは魔術師の勝機は薄いままなのだろう。さらにユウハは2秒経過したところで決め手となる魔術を唱えられるわけではない。


 そして、結論は『魔術師ユウハは戦士に勝てない』というものになった。ユウハひとりの力では勝利に手が届かないという考えに彼自信が辿り着いたのだった。


 だからユウハは戦士の力を借りることを選んだ。


「オイ、そこまでにしておくんだ。無益な殺生を見逃すほど私は非情ではないぞ」


 その声はユウハでなければ盗賊内の誰かのものでもなかった。場所はすでに街道から外れた森の中、普通の人間が散歩しているとは考えにくい。だからこそワルツはユウハに向けた短剣を引き、不測の事態に備えることとなった。


 その場にいた全員が声の方を向くと、そこには長剣を片手に構えた男が1人、恐れ知らずなのか堂々とした様子で立っていた。


 その男はユウハや盗賊とは違い、肌触りのよさそうな滑らかな白生地の衣服に、その上から要所にのみ銀の防具を身に付けている。しかし、身を守るには心許ない軽装とは反対に身に纏う雰囲気は他者を圧巻する重厚な存在感を放っていた。


「だれだ!?、‥‥いや、知ってるぞ。俺はお前を覚えている。そうか、すでにこの国へ来ていたのか、」


「エスセルナ・ベルクセリア、‥‥ほ、本物の『剣聖』だ。」


 誰かがその名を口にし、盗賊にどよめきが起こる。普段なら一喝し、場に平静を与えるワルツも予想を遥かに上回る大物に動揺が隠せない様子であった。


「首に飾られた神木の彫物は聖人の証、‥‥確か、剣の覇者だったか。どうしてこんな外れにお前のような奴がいるんだ?」


 エスセルナと呼ばれる男はゆっくりと歩を進めユウハに近づきながら、この場の張り詰めた空気に似合わない落ち着いた声でワルツの質問に答える。


「今し方この国に来たばかりでね。馬で王都に向かっている途中に木々の隙間から不自然な光が何度も見えた。ついでに誰かの悲鳴もだが、気になった試しに寄ってみればご覧のとおりだ。‥‥君は運が良い。」


「‥‥、」


 満身創痍のユウハは今更に運が良いといわれても素直に納得することができなかった。それでも、窮地を脱する希望が訪れたことを感じ取った体は人知れず歓喜していた。


「‥‥それで盗賊君たちよ、どうするんだい?彼を手放して大人しくこの場を去るか、それとも土に還り木々の養分になるか‥‥」


 エスセルナは携えた剣を両手に持ち換え、盗賊を脅すように迫った。すでに攻撃の範囲まで近づかれており、エスセルナの威圧的な目にうろたえる盗賊たちはワルツの選択に頼ることしかできなかった。


 エスセルナとワルツの間に緊迫感が張り詰める。


「‥‥‥‥」


「‥‥‥‥」


「‥‥‥‥」


「‥‥わかった手を引こう、お前ら撤収だ。こんなやつと争っても一銭の得も出ない、大人しく引き上げるぞ」


 多少残念な様子を見せたが、ワルツはあっさりと武器を捨て立ち上がり、空になった両手を頭の上にあげた。


「ふむ、賢明な判断だ。」


「‥‥ああ、命があってこその盗賊稼業だ。」


 解けた緊張感にワルドと仲間の盗賊たちは安堵の息を吐き、この場を去ろうとするワルツの後を怪物の手綱を強く引きながら追いかけるのだった。


「‥‥助かった、」


 去り行く盗賊団の後ろ姿を見て、ユウハは喜びの感情を声と共に吐きだした。偶然通りかかった流離の剣士に命を救われ危機を脱したなど、計り知れない幸運である。


 やがて盗賊たちの姿が見えなくなると、エスセルナは警戒心を鞘に納め、地に伏せたままのユウハへ近づきそっと手を差し伸べた。


「‥‥ずいぶんと酷い目にあったようだが、大丈夫か?」


「ああ、本当に酷かった。‥‥いっそあいつ等を逃がすことなく、全員斬り伏せてくれればよかったのに。剣聖ってのも意外と甘いのですね。」


「ハハハ、命の恩人に悪態をつく余裕があるなら問題はないな。たしかに私は殺人剣技の達者だが、あくまで聖人なのだ。殺生を好んではいない。」


「なんにせよ助けてくれてありがとう、流石にもうだめだと思ったところでした。できれば止血するものを貰えないでしょうか、結構な量の血を流した気がするので、‥‥ふらふらする。」


「‥‥すまない、今日ここで戦闘を行うつもりはなかったのだ。だから、応急用の医療道具も持ち合わせがなくてね。君は見たところ魔術師のようだが、回復の魔法を自分に使ってはどうだい?」


 エスセルナの言葉にユウハは顔をしかめてみせた。


「‥‥そんなもの使えるほど、僕は魔術の達者じゃない。」


「‥‥そうか、じゃあ街に到着するまで我慢してくれ、街道にまで戻れば私の馬が止血剤を持ってる。」


 そう言ってエスセルナは不服そうなユウハを担ぎ上げ、その肩を貸して歩き出した。街道に戻る道は猪の怪物たちが踏み荒らしたものを辿れば案外簡単に戻れるのだった。



 * * *



 王都までの道はそれほど長いものではなかった。逆に王都に近い距離まで盗賊の魔手から逃げていたことにユウハは驚いた。そしてもうひとつ驚いたことは、『剣の覇者』と呼ばれる男が意外と気さくでお喋りな奴だったことであった。


「ほぅ‥‥、じゃあ君はあの盗賊団全員を相手にこの道を奔走していたわけだ。たった1人に翻弄されてあいつらもさぞや自尊心を傷つけられたとみえる。しかし、それにしては随分と簡単に諦めていたがな。」


「‥‥そうですね。」


 街道を歩き王都に到着するまでの時間つぶしとしてユウハはエスセルナに事の経緯を説明していた。


「不思議な生き物がいるのだな、俺の生まれ育った国にそのような猪はいなかったぞ。」


「いえ、あんな化物猪は僕も初めて見ましたよ。どうして盗賊が飼いならしているのかも分かりません」


「ふむ、化物を繰る盗賊か‥‥、俺は長年修練に明け暮れた身だ。対面する相手の力量を見測るくらいできる。あの盗賊どもは相当な手練れであったぞ、魔術師1人がよく死なずに逃げ延びたものだ。」


 ‥‥それは心外だ。


 笑っている様子のエスセルナだが、反対でその言葉にユウハは感情を害されることとなった。まるで、魔術師は1人では何もできないと言われた気がしたからだ。


 そもそもユウハはエスセルナに対して友好的になることができないままでいた。

 同じように厳しい修練と弛まぬ努力を積んだ者であるはずが、そのあまりにもかけ離れた存在のエスセルナをユウハは認められず、嫉妬の思いに駆られた。


「?、どうしたのだ、傷が痛むのか、」


「え、‥‥ええまぁ、少しだけ」


 流石は聖人と呼ばれる存在である。ユウハが顔をしかめる理由はほかにあるのだが、エスセルナはいちいち怪我の具合などを心配した。


 どうやら性分にも大差あるようだ。命の恩人に対して妬みに歪んだ顔を傷の仕業と誤魔化したことを恥じらいながら、ユウハは王都へと歩みを進めるのだった。


「ユウハ、君はどうして王都に行こうとしているのだ?働くためではないのだろう、低級であろうと魔術師なら引く手は世界中にある。」


「‥‥マレギールという宮廷魔導士をご存じですか?彼は僕の友人でして。低級の中でもさらに低級の僕は今の生活が苦しくて、彼に助けてもらおうとして王都に向かっているのです。」


 エスセルナはその話を聞いて納得のいかない様子で首を傾げた。それは、けしてユウハを怪しんでの疑念ではなく、内容に自分の知っている情報と違う点があったからだった。


「?‥‥マレギールという者は知っているが、私の聞いた話では、その魔術師は数月前にこの国から失踪したらしいのだ。誰から聞いたかは話せないが、‥‥この話の信憑性は私が保証するよ。」


「失踪、‥‥‥‥え!?」


 突然として刺し込まれた剣聖の話にユウハの全身は驚いたまま硬直してしまう。

 物静かな街道の先には、すでに王都を囲む壁が遠くぼんやりと見えるのだった。

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