王都:リオーハベル
その国の名はアノバルレ、都の名はリオーハベルという。賢雄な王が統治する円の形をした都は、中心にそびえる雄大な王城と、国の恵み溢れる豊かな資源を流通する5本の市場通りが目立ち、世界有数の商業都市として繁栄の道を進んでいるのだった。
元々は王の臣下や兵士、またその家族の居住地として建てられたこの街であったが、いつしか商人たちも移り住み、さらに時が経つと一般国民も輪に加わり生活するようになった。
近年は特に都市の人口が増加している。それは、王都に住居を持つ人々はモノに溢れた生活を送るため、地方に住む人よりも価値観や発想が豊かになるといった考えが広く普及したからであった。
また、以前は対立関係にあった他種族との交流が徐々に回復していることも都市の賑わいに影響を与えているのだった。
都市リオーハベルに足を踏み入れたユウハとエスセルナは圧巻の繁栄を前に空いた口が塞がらないままでいた。彼らの目前に広がった王都南側の大通りは、『第3商業道路』と呼ばれる通路で、左右の脇道に延々と並び立つ出店とそれに並ぶ人の行列に埋め尽くされていた。
「うわぁ‥‥初めてきたが、ずいぶんと賑やかな街ですね。」
「俺も初めて訪れたが、これは凄いな。故郷にある都の倍くらい人が歩いている。」
隣どうしで会話をしているはずだが、お互いの声が小さく掠れて断片的になり、身体が密着するくらいに近寄らなければ聞こえない。周囲は常に新しい人混みをつくり出していた。
「ひとまず、それほどに混雑してない場所を探しましょう。ここじゃあ会話もろくにできやしない」
「‥‥そうだな。とりあえず医者でも探そうか、こう騒がしくては君の傷にも障るだろうし、」
その後、エスセルナが馬を連れているおかげで街を歩いても、それほど混雑に飲み込まれることはなかった。それでも医者を見つけることができず、一行は前進にかなりの時間を浪費することとなるのだった。
* * *
ユウハの傷が大事に至ることはなかった。盗賊の短剣によって深々と傷つけられた肩と左手の裂傷が最も酷いもので、診療所の医者は命に別状ないと言えど傷跡は残ると診断した。
医者の説明を聞いたユウハは、傷跡はマレギールに会いさえすれば彼の魔法で完全に消えてなくなるので問題ないと判断し、これ以上の治療は必要ないと医者に断りを入れて立ち上がった。
医者はそれでも手術が必要だと騒ぎたてたが、ユウハには手術を受ける金などないため、心ばかりの一礼をして診療所を後にした。
「終わったか、‥‥どうやら特に問題なかったようだな。」
「包帯グルグル巻きになったこの手足を見て、よくもそんなことが言えますね、」
外にある木陰で座して待っていたエスセルナは診療所から出てきたユウハを確認し、待ちわびて重たくなった腰をゆっくりと持ち上げた。
「それにしても、送り届けてもらうだけでよかったのに、わざわざ診察が終わるまでいてもらえるとは、ありがとうございます。」
「ああ、関わったなら最後まで付き合うのが道理だからな。だが、完全な無事を確認した以上、俺はもう往くぞ。‥‥ああ、それと盗賊が使役していた化物だが、少し気になることがあるから俺の方で調べようと思う。‥‥もし手が空いているならどうだ、魔術師が手助けしてくれると心強い、手伝ってくれないか?」
エスセルナは改まった様子でユウハに助力を求めた。
確かに、ユウハにとっても盗賊たちの動向は心のどこかで引っかかっていた。今日の一件でユウハは完全に目をつけられたことだろうし、またいつどこで襲われるか分からない。
エスセルナは強い、彼と正面切って戦える者など数えるほどだ。同行していれば命の危険が極端に減ることは間違いなく、ユウハにとって利益の方が大きい。
そして何よりも世に名高い『剣聖』が自分を必要としていることに、ユウハは何とも言えない気持ちで心を満たされていた。
「‥‥信頼してもらって悪いけど、僕には成し遂げなければならない目的があるのです。だから、その話は次会った時にまだ自分の力が必要であれば、」
誘いに悪い気はしていないが、今のユウハとエスセルナが思い描く将来像には大きな差が生じていた。その理由はユウハにだけしか分からないものなのだが、ともかくその差にエスセルナが失望することをユウハはひどく嫌った。
「そうか、残念だ。当分はこの街に滞在するつもりだから、‥‥またいつか会うことがあるかもしれない。そのときは、よしなに頼むよ。それでは、」
別れを告げたエスセルナは馬を連れて人混みの多い大通りへとその姿を消した。
その場に残ったユウハも申し訳ないと思う気持ちを切り替え、当初の目的のために今後の王都での行動を思案しようと当てもなく歩き出すのだった。
* * *
先程別れたエスセルナの話によるとマレギールはこの国を失踪したらしい。エスセルナはお喋りな奴であったが、それでも聖人である。むやみに嘘を吐くようなことはしないだろう。それが余計に話の信憑性を高めているのだった。
マレギールの失踪を耳にしてから一時の間、ユウハは様々な可能性を思考した。
しかし、たとえ失踪の理由が分かったからと言ってもマレギールがどこにいるかには繋がらないという答えに至り、結局は聞き込みを再開するしかないのだった。
「仕方ない、人に聞いてみよう。‥‥あそこでいいかな」
ユウハは市場の中でもひときわ人気の少ない出店を選び、偶然を装うように自然な雰囲気を醸し出して近づいた。
「店主、ここの『赤とう』を2つ売ってください。」
『赤とう』とは赤色をした甘い果実の名前だ。種が安価で販売され栽培が簡単なため、どの店でも多く出回っている。ユウハの故郷でも積極的に作られており、幼い頃はその甘味を好物としてよく口にしていたものだった。
「‥‥この国のマレギールという宮廷魔術師を知っていますか?彼に、」
「さぁ、知らないね。名前も聞いた事はない、」
‥‥言葉を遮られてまで即答された。それどころか、店主は出会ってから一度もユウハと目を合わせようとしない。どうやら尋ねる相手を間違えたようだ。
マレギールのことを知らないワケはない、異国の住人であるエスセルナの小指のように短い耳にまでその名前が届いているのだ。この国の住人であれば生まれたばかりの赤子だって知っている常識のはずだ。
「だとすれば非常識人か、‥‥はたまた関わりたくないがために嘘をついているか、」
ユウハに悪態をつかれたことが気に障ったらしく、店主はようやくユウハの方へと目を向けて話を始めた。
「‥‥ずいぶん失礼な客だが知らないものは知らない。‥‥というか、この国に魔術師の仕官はいなかったと思うけどな。むしろ今は魔術への規制やらがいっそう厳しくなって、この国から魔術師が極端に減っているぞ。」
「‥‥‥‥え?」
店主の話が真実なら失踪どころの話ではない。もしマレギールが最初からここにいないとなると、ユウハの人生救済計画は大きく狂うことになってしまう。
「はい、2個で銅貨貨3枚だ。」
「じゃあ‥‥、もう1つ聞いてもいいですか、街で人を探しているのですが、どうやらつい最近失踪したみたいで。数日の間、身を隠すとしたらどこにいると思います?」
目線を下げて選んだ品物と銅貨4枚を受け渡しながら、ユウハは店主にだけ聞こえるように小声で質問をした。
人の少ない店を訪れたあまりにも不自然な様子の客に店主は一瞬|怪訝な様子を見せるも、何かに納得したようで営業の面構えに戻すのだった。
「‥‥お客さん、アンタこの街の人間じゃないね。お伽本の見過ぎだ。そういうのはそこらを歩いてる人に聞けば、普通にみんな教えてくれるんだよ。これだけデカくて広い街にこれだけ多くの人がいたら、隠し事なんて馬鹿らしくなっちまうさ。やかまし過ぎてどうせ誰にも聞こえやしない」
失笑する店主からはじき返された銅貨1枚をユウハは恥ずかしそうに手に取った。
「まぁそうだな‥‥もしこの街にいるとしたら、北側の居住区あたりを探すといいだろう。あそこは市場から離れているためか、警備もそれほど厳しくない。身を隠すなら北にいるはずだ。」
「‥‥なるほど、街の北か。さしずめ思い当たる場所もないし、ちょっと行ってみるとするか。街の地図があれば便利なんだが、まぁ歩いて覚えるしかないか。」
ユウハの腰についているやけに軽い小銭入れが風で揺れる。無駄なものを買う金など当然入っていない。
「‥‥それは結構だが、隠れやすい分に悪党や嫌われ者が多い場所でもある。狙われたくなかったら目立つ格好は避けろ、何が目的かは知らないが気を付けてな。」
「ええ、教えてくれてありがとうございます。それでは、」
顔をあげたユウハは礼を述べて店を出た。
とりあえず店主に言われたとおり、街の北を目指してみることにしたが、はたしてマレギールがいるのだろうか。ユウハは不安に思いながら買ったばかりの赤とうをかじる。
「‥‥甘いな、」
口いっぱいに果実の甘さと幸福感が広がる。意外にも、その店の赤とうはユウハが今まで口にした中で、最も熟れて甘い上質なものであった。
* * *
リオーハベルの街は南から北へ直線的に進むことはできない、中央にそびえる王の居城が行く手を塞いでいるからだ。だからユウハは入都してきた南門から都市の西側を迂回するかたちで進み、北側まで到着したのだった。
途中に通過した西の街は南以上に商業が盛況しており、『第1商業道路』にある店はほとんどが個人の出店ではなく、その土地に店舗を構える大型の商業団体によって経営されていた。道幅も広く歩きやすいことこの上ない整備の行き届いた通路であった。
だからこそ北側へ到達した瞬間はユウハも目を疑った。あれほど栄えた町並みは見る影もなくなり(住宅が集合しすぎて日陰は多いが)、逆に生気をかけらも感じない陰鬱な空気が、数百と並ぶ住宅の間に所々ある薄暗い路地を常に漂っていた。何年も整備されていない荒れた道路を行く人は疑心と絶望によって身も心もひん曲がっている。そう、腰もひどく曲がっていた。
「なるほどな、これは誰も来ようと思いはしない。それに、これだけ住宅が密集しているのであれば、人ひとりを探すのはかなり苦労するだろう。まったく、ちゃんとこの場所にいてくれよ」
街が伸びた建物の影に飲み込まれ始める。一日は夕暮れ時に差し掛かろうとしていた。
準備していた資金は昼間に受けた傷の診療で宿ひとつ取ることもできないくらいに減り、日暮れまでにマレギールに出会えなければユウハは冬の寒空の下で野宿することになるだろう。いくら魔術師と言えど体温が下がり過ぎれば死に至る。
「魔術で火でも起こせればよかったんだがな、つくづく役立たずだ。」
ユウハは街をゆく(なるべく親切そうな人相の)人々に手あたり次第尋ねまわったが、不可思議なことにマレギールを知る者は1人として現れなかった。意外と市民には知られていないという可能性も考え、そこらの兵士にも声をかけたが、国に仕える衛兵ですらその存在を否定し、逆にユウハを怪しむ様子を見せた。
そして完全に日が没した街でユウハは体を振るわせて、少しでも風を凌ぐことのできる場所を探していた。商業通りであれば、店も多く酒場などで暖を取ることができただろうが、現在ユウハがいる街の北は民家の明かりすら点々とするほどで営業している店などどこにも見当たらなかった。
「これはマズイな、寒さで体が動かなくなってきた。‥‥よし、一旦西側に戻ろう。」
そう考え、来た道を戻ろうと後ろを振り返ったユウハは思わず足を止めた。
「み、道が分からない。あれ、‥‥この家はさっきも見た気がするぞ?」
出会う人に片っ端から話しかけていたためか、気付けばユウハは住宅街の中心部へと入り込んでいた。民家は同様式の物がいくつも横に並んでいるため、目印となる物などない。それだけでなく民家は空を覆うように縦にも高く、唯一の目印となっていた王城すら確認できなかった。
住宅の合間を縫って吹き込む冷風がユウハを襲う。
とにかく足を止めると末端から体が冷えてくるため、目的がなくとも歩き続けなければならない。それが余計にユウハを迷わすことになるのだった。
夜が訪れてもユウハは薄明りの灯る路地を彷徨い続けていた。
どこに行っても同じ建物ばかりで、何度道を引き返したのだろう。同じ道も数えきれないほど通った気がする。息は荒く、白い息を吐いているが、汗も出ない肌は青白く、体は芯まで冷え震えが止まらない。すでに凍え死ぬまでの時間制限が設けられているのだ。
「ハァ、もうだめだ、動けない。」
散々歩き回ってユウハは民家にもたれてその場に座り込んでしまった。体がさらに冷たくなるも抵抗する力は残っておらず、次第に瞼を持ち上げることすらできなくなってゆくのだった。
‥‥‥‥‥?
ふと、閉じようとした視界の奥に小さな光が見えた。光は橙色で点滅しながら揺ら揺らと不規則に飛んでいる。一瞬その光を死ぬ前に見える幻覚のようなものだと考えたが、幻術の類に詳しいユウハはそれが別のものであることに気付いた。
歩く力などもう一滴も残っていないと思っていたが、光の正体を見た瞬間にユウハの身体は飛び上がるように起き、光を目指して走り出した。すると光は、ユウハと近すぎずそれでいて見失わないような距離を保ったまま、路地の中へと逃げだしたのだった。
暫らく後を追うと、入り組んだ路地を抜けた先で光は何の変哲ない民家の中へと入っていった。その民家はボロボロで入口から暗く人のいる気配が全くしないのだが、よく見ると一番上である3階にだけ小さく明かりが灯っていた。
ユウハは怪しさも何も考えずに夢中で光を追って民家へと侵入し、埃をかぶった木の階段を駆け上がるのだった。
3階には薄い扉があり、その扉を開けるとその向こうには部屋が広がっていた。部屋の中央には木製の机と椅子がそれぞれ2つずつ向かい合うように並んでおり、机の上には火の灯った簡素な燭台が、そして、その向こうに8年前と何ひとつ変わらない魔術師の姿があった。
「‥‥マレギール、ようやく見つけた。」
「‥‥ユウハなのか?ああ、ずいぶんと久しぶりだな。‥‥でも、どうして君はここに来たんだ?地方の町で暮らしていたじゃないか。」
その声を耳で捉え脳内で過去のものと整合したとき、ユウハの身体は息を吹き返し、ようやく達成感に身体を包まれた。
「そうだ、貴方も住んでいたあの小さな町で静かに暮らそうとしていたんだ。でも、町には居られなくなって、‥‥ここに来れたのは、その光球を追いかけていたら偶然辿り着いたんだ。そいつはお前の使い魔なんだろ?」
「‥‥そうか、この子についてきたのか。」
「なぁ、僕は貴方が王宮で仕事をしてると聞いてた。だが、そんな事実はどこにもないし、それどころか貴方の名前を知っている人すら1人もいなかった。いったいどうなっているんだ?」
会話の続け様にユウハは自分がマレギールを見つけるためにどれほど労力を費やしたか強く訴えようとした。
しかし、マレギールはそのことについて何も言わず、ただ机の上にある火の灯った燭台をひとつ手に取るのだった。そして、蝋燭の先の炎に自分の右手人差し指をかざし、指を横へ振る。すると蝋燭の炎は強く燃え上がり、指の示す方向へと火先を伸ばし始めるのだった。
「この子は『灯精霊』という種族で、名前はフィトという。彼には僕を心から必要としている人を見つけてこの場所へ連れてくるように頼んでいたけど、まさか君が来るとは思わなかった。そしてここに来たということは、君は私を必要としているのだろう?‥‥最初の質問にまだ答えを貰えてないぞ、どうして君はここに来たんだい?」
「‥‥何を、」
「時間がないんだ。答えてくれ、」
マレギールは押し問答をするつもりはないといった様子で、ユウハを蝋燭から流れる炎で囲み注連縄のように周囲との隔絶を図った。ユウハが答え方を誤れば、取り囲む炎がすぐにでも捕らえて部屋の外へと投げ捨てられるように、二度と出会わぬように、
「‥‥わかった、僕の目的を正直に話そう。」
先程まで凍り付いたように冷たかった肌から汗が滴る。どうやらマレギールに敵意はなく、ただ警戒しているようだ。
覚悟を決めたように汗を拭いユウハは気持ちを抑えて深呼吸をひとつすると、真剣な表情でマレギールの前に立った。
両者とも口を噤んだまま互いの目を見つめ合う。
沈黙の空間に窓を揺らして隙間風だけが侵入してくる。
そして、揺れる窓の擦り音が止んだとき、ついに思い切ったようでユウハがその固く重たい口を開けた。
「‥‥マレギール、偉大な魔術師であり僕の最も親しい友でもある貴方に頼む。どうか、僕を元の人間の身体に戻してくれ、魔術師であることを辞めさせてくれないか。」
それはユウハの小さく開いた口から零れるようにして出た願いだった。
それが、ユウハが故郷を飛び出してまで叶えようとする一番の望み。そして、その望みを叶える為に師であり友人でもあるマレギールを探し、思いを打ち明け、恥を忍んで頭を下げたのだった。




