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死と誇りと


 喜島城は高時に下った。


 宝山公を失い統制の崩れたところに踏み込んできた高時に、抗える程の気概はなかったようだ。

 援軍を発していた各地の軍も、伊藤宝山の訃報を聞き及び、各領地に引き返してし、龍堂軍に恭順を示してしまった。宝山の数人の息子は一戦交えるつもりで構えているが、その数は今高時が率いている兵にも劣っていた。

 遠からず美濃も支配下に収めることであろう。


 その高時が神原城に帰城した。

 秋の弱い陽射しの中で城内は祝賀に沸き立ち、宴の用意がなされている。

 皆があちらこちらで酒を開けて下手くそな歌をがなる男もいる。高時も上機嫌で皆に声を掛けていた。


「此度の戦の戦功第一は何と言っても姶良朔夜と垂水の志岐だ」

 朗々と良く通る声で告げた高時の言葉に、全員が納得して頷く。しかし朔夜はニコリともしないでただ黙って座っている。

 一方の志岐はいつものように大きな笑顔で愛想をふりまいている。対照的な二人だが、それを見つめる皆の視線は好意的なもので、誰もが今回、命を賭けた逆転劇の立役者に敬意を持って見ていた。



 その夜、弘龍と友姫の部屋に高時が朔夜と義信を引き連れて現れて、そして機嫌の良いままに告げた。

「友姫、そなたは美濃に残るがよい。宝山公の三男、伸龍のぶたつ殿が身柄を引き受けてくれるそうだ。そして弘龍殿、そなたは美濃を治める上で重要な人質として我が駿河に残っていただこう」

 弘龍がさも可笑しそうにクスクスと笑った。

「何か、おかしいことでも?」

 眉を寄せた高時が弘龍を見下ろすように睨む。その目をチラと見て、またクスクスと笑う。

「いや、父宝山の亡き後の私などに果たして人質としての価値などあるのかどうか。しかもまた駿河の城に私を留め置くなど、高時殿は人がよろしい。いや、私に珠姫をお譲り下さる所存でありましょうかな?」

「なにっ?」

「何も私は珠姫を諦めたわけではありませぬ。珠姫も私を慕ってくださっています。高時殿よりも、この私をね」

 傲岸不遜に笑う弘龍に、高時の顔に朱が走る。友姫が兄上様、と窘めるが、それも聞いていないのか、相変わらずクスクスと笑う。


「弘龍殿は……ここで殺して欲しいとお望みのようだな」

 脇差しを抜き放ちながら高時がゆらりと立ち上がる。それでも弘龍は気にも留めず高時に背を向けて笑っていた。それが高時を逆撫でする。

「それが賢明でございましょう。愚者でなければ、初めからそうするのではありませぬか?」

 さらに煽るように不敵に告げる。

 目に怒りを溜めて奥歯を噛み締める高時の手には自然と力が入る。

 穏便に済ませてやろうと思う高時の情けを踏みにじる言葉に、高時は思わず衝動のままに刃を振りあげた。


 友姫が小さく悲鳴を上げて目を覆う。

 ビュウ、と脇差しがうなりを上げて振り下ろされる。

 弘龍の首に届く直前、刃が弾かれ甲高い金属音が響いた。

 その場の皆が言葉をなくしてその場に凍り付く。


 朔夜だった。


 高時の刃を弾いたのは朔夜の脇差しだ。

 膝を着き、跳ね上げた姿勢のままで静寂の落ちる部屋の空気を揺るがす。


「……斬るな。感情にまかせて斬ってはいけない」


 告げる朔夜の声は夜の静寂に落ちていく。

  高時も弘龍も、ただ黙って朔夜を見つめている。脇差しを腰に収めた音に、ようやく高時が思い出したように息を吸い込んだ。


「……俺に、やいばを向けた沙汰は……後ほど下そう……」

 切れ切れに告げると、不愉快そうに足音高く部屋を後にした。


 慌てて義信が高時の後を追って部屋から出て行ってしまうと、静寂がまた部屋を支配する。

 息を一つ吐いた朔夜が立ち上がると、友姫がすがるような涙声で朔夜を引き留めた。

「あの……兄を、兄上様を……助けてくださり有り難うございました。本当に……何と言って良いのか……」

「私は……私は助けなど欲してはいなかった! 余計なことを!」

 友姫の言葉を遮って弘龍が叫びを上げ、ぎりりと朔夜を睨み付けた。だが睨まれた朔夜は落ち着いた目で弘龍を静かに見下ろしてから、静かに告げた。

「分かっている」

「なに?」

「お前が死のうと思って高時にわざとあのような言を吐いたのはわかっている」

「で……では、何故止めた! 私は負け戦で囚われの身と成り果ててまで生きていくなど真っ平御免だ。いらぬことを致すな!」

 睨みつけながら喚く弘龍の言葉にも朔夜は一歩も引かない。

「甘えるな! 死にたければ己で勝手に死ねばいい。俺はお前を助けたのではない。高時を助けたのだ。激高に任せて振るった刃を、きっとあいつは後々悔いるだろう。俺はそんな思いをさせたくなかっただけだ」

 言い放つ凜とした声が弘龍を黙らせる。友姫も涙を溜めた目を見開いて朔夜を見つめている。

「それに、お前は高時の亡くなった兄に良く似ている。お前を殺したならば、きっと高時は後悔する」

「高時殿の……兄上に?」


 噂には聞いていた。

 家督争いで実の兄を自害に追い込んだと。

 その兄を殺したことを後悔しているのだろうか。あの一際強い存在感を放つ龍堂高時が? 


「そうだ。則之もお前と同じように誇り高い男だった。誇りの為に己の命を絶ってしまった。だが俺は思う。死は逃げなのではないかと。誇りを大事にしたいならば、生きて生きて生き抜いて、己の為すべき事を全うして誇れるものを自分で築き上げる、それの方がよっぽど尊い作業ではないのかと」

「誇りを……築き上げる……」

 呆然とする弘龍に背を向けて、部屋の襖を開けた朔夜が背中越しに

「まあ、俺には元々守るものなど何も無かったからそう思うだけだ。お前にはお前の誇りの示し方があるのだろう。死ぬも死なぬも勝手にすればいい」

 そう告げると、後ろ手に襖を閉めて行ってしまった。


「兄上様……」

 心配そうに覗き込む友姫の未だ幼い顔が、不意に愛おしく感じた。

 今の今まで自分の事しか考えてはいなかったが、目から鱗が落ちた気分だ。

 勝手に死ねばいいと言い放ちながら、朔夜の言葉は「死ぬな」と伝えて来ていた。生きろと。

 父を殺され自分は捕らわれ、こんな屈辱を受けながら生きているのは恥でしかない。だが生きているからこそ、この幼い妹を愛おしいと感じることができる。


 本当の誇りとは何なのだろうか。

 嫡男として捕虜となることは、生まれながらに与えられたものに対する屈辱であるが、果たして自分自身が誇りにするべき事はなんなのだろうか。それを、まだ生きて築き上げろと、そう言うのだろうか。己自身が為したことではまだ誇れるほどのものも持たないのだろうか。


(死ぬことは容易い。ならば今しばらく、生きて考えてみる)


 頬を張り飛ばされた気分だ。ようやく目が覚めたのかもしれない。父の駒ではなく、伊藤弘龍自身で何かを為してみろと。


 まだ少年の繊細さを存分に残す朔夜の背中を見送った姿勢のまま、伊藤弘龍はしばらく動けなかった。


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