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無言の哀悼


 朔の夜に月はない。


 暗い道を駆けるが、手綱を握る手に迷いはない。馬もその手を信頼しているのか迷わずに思い切り駆けると風が耳元で唸る。


「そろそろ騒ぎになる頃じゃねえのか」

「そうだな。宝山の首が取られていると分かった時には大騒ぎだな」

「ははは、まさかこんな大胆不敵な策を本気でやっちまうとはな。有り得ないって」

 愉快そうに志岐が笑う。だから、と小さい声で

「朔の夜は堪らない。朔はお前に味方をするんだぜ、朔夜」

 そうかもしれないな、と朔夜は小さく応えた。



 秀海和尚と出会ったのも朔の夜だった。


 月のない真っ暗な夜に伊豆山中を不用心に歩く二人連れの和尚の前に立ちはだかった子供。それが朔夜だった。

 金目の物を置いていけと、腰の脇差しを向けて迫る朔夜に、和尚は懐から握り飯を差し出した。

 ひどく腹の空いていた朔夜はそれを奪い取ると、用心深く後ずさりをした。が、和尚に腕を掴まれてしまったのだ。

「人の物を奪って得た飯はうまいか? 腹を満たすだけの飯はうまいか?」

 強い力で捕らわれた腕が痛かった。そして大人の男の手が怖かった。

 逃げようともがく朔夜をさらに力強く引き寄せて、顔を覗き込んだ。

「人の為に働いて得た飯は極上だぞ。そんなうまい飯を食べてみたいと思わぬか? 人は腹を満たすだけでは心は満たされぬ。わしの寺に来い。心底うまい飯を食わせてやる」

 余計なお節介だと逃げようとする朔夜を、半ば引き摺るように宿泊予定の山中の寺に連れて行った。

 結局、朔夜はそのまま和尚に従い禅林寺に行き高時と出会ったのだ。


 なぜ和尚が盗賊で浮浪児の朔夜を拾ったのかは分からないが、あの時の出会いが朔夜の全てを変えた。

 仕事を与えられ、餓えることはなくなり、人との交わりを知る。


 ――餓えた子供は、いつしか分を越えて求めすぎていたのだ。 


 馬の上で朔夜は星だけが光る空を仰ぎ見た。

 ひときわ明るく輝く星に、小さく眉根を寄せた。


**


 早朝の神原城内かんばらじょうないは騒然としていた。

「姶良殿のご帰還だー!」

 門衛の叫ぶような大声に、朔夜を待ち受けてまんじりともしなかった姶良隊がまず駆けだしてきた。すぐに朔夜と志岐を取り囲み、馬を進めることも出来ぬ有様の歓待ぶりだ。

 皆、朔夜のことを心底惚れ込んでいる若者ばかりだから、おうおうと声を上げながら尋常ならざるほどの喜びに沸く。

 すぐに野間義信が駆け出て、朔夜と志岐を労いながら高時の元へと案内する。


 部屋では高時がすでに上座に座り待ち受けていた。

「土産だ」

 部屋に入るなり、立ったままで高時の前に革袋をごとりと下ろす。そこに宝山公の首が収められているのだ。

「二人とも、よくやった。大儀である」

 対面する位置に座るとすぐに高時が労う。

 高時自身、朔夜の帰還は無理だとは考えてもいなかったのだろか、平然とした態度で軽く頷き、すぐに義信が革袋を開いて高時へと見せた。

 ギュッと眉根を寄せてから朔夜へと目を向ける。

「ご苦労だったな。今日はゆっくり休め」

「この首をどう扱う?」

 問いかけた朔夜に、高時はいつもと変わらぬ不敵な笑みを見せる。

「交渉する。今頃喜島城内は騒然としているはずだ。だからこの機会に俺自身が乗り込んで降伏をさせてくる。本当によくやったな。感謝するぞ」

 出立の用意をすぐに義信に言いつける。兵の半分を連れて行くようにと指示を飛ばすと、慌ただしく準備に入る。朔夜と志岐は城で待機だ。


**


 高時が出発した日の夜、伊藤宝山の嫡男弘龍と宝山の娘で高時の妻の友姫が神原城に到着した。

 二人は今や敵方だ。そのまま城内の一室に閉じこめられた。

 高時が戻って来るまでは沙汰待ちとなる身だが、弘龍は秀麗な面差しに似合わぬ胆の太さで、囚われの身であっても平気な顔で酒などを所望し、それを未だ幼い友姫がとがめていた。


「酒を所望したと聞いた」

 二人を押し込めている部屋に姿を現したのは朔夜だった。

「ああ、姶良殿。酒をお持ち下されたのかな」

「兄上様!」

 ごろりと横になったままで皮肉な笑みを浮かべる弘龍を友姫がいさめる。朔夜は気にした風もなく、手にした酒を弘龍の前に置いた。

「酒だ。飲めばいい」

 少し目を見開いたが、すぐに歪んだ笑みを口元に浮かべて起き上がり、置かれた杯を手に取った。そして喉の奥で小さく笑って尋ねた。

「ここで死ねと?」

「毒など入っていない。普通の酒だ」

「なぜ……?」

 てっきり自分を始末しに来たのだと思っていた弘龍は驚いて杯を下ろし、朔夜に目を向けた。成り行きを黙って友姫も見ている。


 高時に取り入るために、気に入りだったこの姶良朔夜を遠ざけようと色々と言葉を尽くした。そのうちに二人の間はぎくしゃくとし始めたのを知っている。それを企んだ自分をこの目の前に座る少年が殺そうとしても不思議はないと、弘龍自身思っていたのだ。

 ところが、朔夜は予想外の行動に出た。


 捕虜である二人に向けて頭を下げたのだった。


「戦の習いではあるが俺は宝山の首を取った。敵将ではあるがそなた達には親である。詫びはしない。だが頭だけは下げさせてくれ」

 部屋に沈黙が落ちる。二人とも言葉はない。

 戦で敵の大将を討ち取るのは手柄であり、当然栄誉なことである。それを敵方の身内に頭を下げる者など見たこともない。それが戦である。


 顔を上げた朔夜の目は鋭く澄んで輝いていた。

 瞳の奥に潜むのは野生の光だが、それはどこまでも孤高で強い意志の光を宿す。

 誰が何と言おうと、どんな習わしがあろうと、自分の心に忠実に真っ直ぐ目を逸らさずに生きる姿が映っていた。

 これは、たとえ百人が百人とも、千人が千人とも、間違っているぞと非難しようが、己の中にある感情を、恐れずに声に出せる強さだ。


 戦で奪った命を『敵、味方』ではなく、一人の人間の命として、二人に頭を下げたのだ。


 友姫が静かに涙を流す。微かなすすり泣きに、弘龍も我知らず涙が零れた。

 策略、謀略、画策。そんな風にしか人を見ていなかった。

 人を、ただそこに存在する人として見ている朔夜の心が、強く弘龍を感動させた。

 何も言わずに立ち上がると、朔夜は静かに部屋を後にする。

 残された酒器にそっと手を伸ばすと弘龍は瞑目した。


 ――美しい……魂の美しい男だ。なんて強く己の存在を主張するのだ。ああ、完敗だ。


 宝山の嫡男として生まれ、恵まれた容姿を持ち、頭脳も明晰めいせきならば人を懐柔するのも得意としていた。誰にも負けぬ気概を持ち、この戦乱の中で勝ち上がるのを確信していた。

 その弘龍が、笑みを浮かべて首を振る。


 完敗だ、あの幼き男には完敗だ、と清々しく負けを認めた。


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