01-09 その奥に秘めたるは
剣を中段に構えるのは、どこからの攻撃も受け止め、仕掛けやすくするためだと、剣を習ったものならば誰もが一度は耳にする基礎中の基礎だ。
上段は力を込めやすく大きな攻撃を与えることが出来るが、その分隙も出来やすい。かと言って、下段は達人レベルに到達しなければ、攻めも守りも反応速度が遅くなる。
アリサたちの前に立ちはだかる三人は、細やかな違いがあれど、よく似た雰囲気を持ち、剣の構えまでそっくりだった。
真ん中にルアム、右手にユディ、左手にルーディア。
型だけならば、文句なく三人共綺麗だ。特に、ルアムとユディはその型に慣れが見える。長い時間しっかりと鍛錬を行っているのだろう。口ではワアワアはしたない事ばかり言ってはいるが、流石伯爵家の子息と言ったところか。
対してアリサたちは、手元に武器なし。
特にアリサは拳を握るどころか、ただその場に立ち尽くすだけで全く動こうとはしない。
――――アリサは正直言って剣が苦手だった。
料理包丁以外で物を切った経験のなかったアリサが、こちらの世界で剣を師から習い、何よりイヤだと思ったのが、柄から伝わるターゲットの肉の感触だった。
勿論、返り血や剣そのもののイメージもあまりよくはなかったが、刃が肉を裂き、骨を貫く感触は、生々しく相手の受けたダメージがどれほどのものかを己に伝える。
それが戦場では大層役に立つらしいが、アリサ個人の意見としては、出来れば感じたくないと思う。
いっそ、銃ならまだ感触を感じない分良いのかもしれないが、この世界には魔法があるせいか、機械の飛び道具や爆弾などの類の進化や開発が殆ど止まっていた。
アリサは、魔法を使えたら、もっと自分が冷酷になれたら、どれだけ楽だっただろうと何度思ったか分からない。
だが、使えない力に希望を待ち続けても奇跡は起きない。どれだけ嫌がっても迫りくる脅威は己の力で振り払わなければならない。
例えそれが、自分の手で相手を傷つけることになってもだ。
でなければ、自分自身や周りのものまで傷つけてしまう。だからアリサは鍛えた。忌まわしい自分の、亜人の力を。
傷つけられないように、傷つかないように、再び日本に、家族の元に帰る為に、生きて、生きて、生き延びてみせると。
周りの者達が息を飲んで見守る中、それは唐突に始まった。
合図はなかった。気配すらも。
静かに佇むアリサが僅かに足を開いたかと思うと、彼女の体は突然像を歪めて、一瞬のうちに姿が見えなくなった。
「なっ!」
「消えた!」
「あいつ、どこに!」
驚きに目を見開いたクディダランの三人だが、直ぐにそれはアリサの背後に佇むリックの転移魔法だと気がつく。
平民の一般的な家の中三階までが移動範囲なら当然、彼等が立つフィールドはリックのテリトリー内だ。
しかしながら、周囲は見晴らしも良く、余計なものは置いていないこの場所で、リックはアリサをどこに転移したのか。
元々、転移魔法は他の魔法に比べて戦闘で使われることはない。
使い手が希少であることもそうだが、人を運んだり、物を移す魔法は、戦いの真っ只中よりも、その少し外側の人々の生活や救助、避難など別の面での生活に根付く部分や緊急度の高い部分で使われることが多い。
攻撃は出来ないが、利便性は高い。戦闘には向きではないが、希少価値がある。表向きはそんな評価だ。表向きは。
「あいつ、どこにいった」
ユディは苦々しく呟くと柄を握る手に力を込めた。
神経を研ぎすませて目を凝らし、アリサの気配を探る彼が一つまばたきをした時だ。
――――眼前に、黒の物体が現れた。
二つの小さな黒のオニキスの存在に、ユディがハッと息を飲んだ瞬間。先ほどまで何もなかった空間が捩れて、光の靄の中から人の腕が延びてくる。
腕は真っ直ぐ、目にも止まらぬ素早さでユディの腹部へと深く拳を叩きつけた。
「ぐはぁあ!」
鈍痛に腹を抱えると、思わずユディの足が崩れ落ちる。ユディの体が前のめりに倒れ込んでくると、アリサは彼の懐から抜け出し足をグッと踏み出した。
「ユディ!」
「ユディ兄様!」
僅か数秒遅れてルアムとルーディアは、ユディがやられたことに気がついた。しかし、数秒遅れの反応は、アリサの前では命取りになる。
ユディの体の影から飛び出したアリサは、驚きに目を見開くルーディアの背後へ素早く回り込み、彼の項に手刀を叩き込む。
その目にも止まらぬ早さを、目撃出来た者はいただろうか。
声なく崩れ落ちるルーディアから、アリサは次のターゲットへと視線を向ける。
ルアムの視線は辛うじて、アリサのいる方向へと向いているが、体の向きは未だに正面を向いたまま。
駆け寄るアリサに、僅かながら反応をしたルアムの剣が少しだけアリサのいる方向に定められるが、それは向けられているだけであり攻撃の手を出せる気配はなかった。
アリサはルアムの手に、腕を伸ばす。
剣を掴むルアムの両手を片手でガッチリと握り締め、タックルまがいの勢いで、アリサはルアムの体に体当たりし、彼の片足を内股側から自身の足で払う。
「うぁあ!」
バランスを崩したルアムはそのまま後ろに倒れていき、流れのままにアリサも彼と共に倒れ込む。
――――ドサッ。
人の崩れる音に周りのギャラリーが息を飲んだ。
腹を抱えてうずくまるユディ。完全に気を失い横たわるルーディア。そして、アリサに馬乗りされ、完全に身動きの取れないルアム。
誰が勝者かなんて、誰の目にも明らかだった。しかし、試合はそのまま簡単には終わらない。
「くそっ、このっ!」
「あんまり暴れないでください。倒れても後頭部をぶつけなかったのは優秀ですが、本来なら貴方はバランスを崩した時点で負けです」
「どこがだ! 俺はまだ戦える!」
細身で、女のアリサの拘束など、自分の力であれば直ぐに解けるに決まっている。二人とは違い直接的なダメージを受けていないルアムは、諦め悪く身動ぎ叫んだ。
幸い審判の静止の声も聞こえない。試合を続行していても構わない筈。しかし、いくら身動ぎしようにも、ルアムがアリサの下から逃れることは出来なかった。
力で、彼がアリサに敵うはずがないのだ。
「くそ、なんで、なんで、取れない。くそ、くそっ。放せ!」
足は動く、けれどもルアムが動かせるのはそこだけだった。
アリサがご丁寧に馬乗りしている腹部から上は、彼女の両足に挟まれ動かせず、両腕は片手で地面に縫い付けられていた。
――――おかしい。
自分よりも年下の、背の低い女の拘束が解けない何て。
有り得ないとルアムが諦めきれずにいると、頭上から小さく、冷たい声が響いた。
「負けを認めますか?」
「まだ俺は、負けてない!」
「なら、ひと思いに戦えない状態にして上げましょうか?」
フッとアリサの口先に笑みが宿る。
体の芯から凍えるような凍てつく声に、ルアムの声が思わず震えた。
「な、なに、を……」
次の瞬間。ルアムの脇腹を挟むアリサの足がギュッと狭まり、彼の腹を思い切り締め上げた。同時にアリサの片手で掴まれていた両手も締め付けられ、強い痛みが走る。
「ぐぅぁあああああ!!!」
あまりの力の強さに、ルアムは声を上げた。
腕と腹が圧迫されて、息が苦しくなる。目の前はチラチラと点滅する嫌な光が瞬き、ルアムの全身は震え、力を失った手から剣が零れ落ちる。
その剣をアリサは空いている手で素早く掴むと、締め付けていた手足の拘束力を抜き、ルアムの両手の捕縛を解いてしまう。
くるりと手にした剣の持ち方を変えて、アリサはその切っ先をルアムの顔の横に突き立てる。
「はっ、あっ、あっ……」
「三回」
「はっ、はっ……」
「三回。今ので貴方は死にました」
短く乱れた呼吸を繰り返すルアムに、アリサはいつもと変わらぬ口調で語りかけた。
「私には目的があります。あまり周りでキャンキャン騒がれるのは、正直迷惑です」
「もく、てき?」
「まあ、貴方には関係ないですが……」
スルッとアリサの手が剣から離れる。
支えのなくなった剣はその場に倒れるかと思いきや、地面に深く突き刺さり、ビクともしない。
アリサの両手がルアムの首を包み込む。
「うっ、お、い……」
まだ続けるのかと、甘い考えを顔に浮かべるルアムに、先に喧嘩を売ったのはそちらだと、アリサは冷酷に囁いた。
彼女自身の影で暗く落ちる表情、瞳、口先。
どこを見ているのか分からない。黒のオニキスがルアムに感じたことのない恐怖を植え付けた。
「それに貴方も、伯爵家の、貴族として平民の上に立つ人間ならば、もっと視野を広くして、周りを見てください。役に立たない人間なんていません。むしろ、そんな風に見える人間ほど、優秀かもしれませんよ」
くっと力が僅かに入れば、ルアムの息は出入り口を塞がれ、息が詰まる。
ルアムの柔らかい首筋に、アリサの短く切りそろえられた爪が僅かに食い込み、ルアムは声が出せなくなる。
黒い髪の毛が己の頬を擽る。黒い瞳の奥には、無様な顔を晒す自分の顔が映る。
「あぁ、そうそう。こんな風にうっかり事で貴族は昔、人をよく殺めていたらしいですね」
何が楽しいのか、どこか弾むような口調でルアムの耳を掠めるアリサの唇。
ゾクリと恐怖の旋律が、再びルアムの体に駆け巡っていく。
――――こいつ。
「そこまで!」
ヘギールの制止の声が上がり、アリサはルアムの首からパッと手を放した。
「ごほっ、ごほっ。はっ、あっ、はあっ……」
解放され、途端に咽るルアムから素早く離れて、アリサはゆっくりと立ち上がった。
止まっていた時が動き出したように、騒めきが周辺を包む。
「アリサが、勝った!」
「アリサ、リック凄いな! お前たち勝っちゃったよ!」
わっと歓喜に弾けたのは、リックとレオンハートの声。
その後から、試合を見学していた先輩達の興奮気味な声が広がった。
「あいつ。大口叩くだけはあるな」
アリサの実力の鱗片を見たヘギールは、彼女の力を規格外だと位置付けた。
剣は下手糞、魔法も使えない。だけど、それを補うだけの身体能力、判断力がアリサにはある。無鉄砲なのはわざとなのか、経験が少ないせいなのかはまだ分からないが、あの太々しいまでに立つ弁も、おそらくは彼女なりの武器になる。
恐ろしく、とんでもないじゃじゃ馬であるのは明白だが、自分達の、ガイガンの求めているものを持っている少女の存在に、ヘギールは内心笑いが止まらなかった。
――――おいおい、今年のガイガンは相当引きが強いんじゃねえの?
その引きが仕組まれたものとは知らず、新たな戦力に歓喜の声を上げるヘギール。
その喜びがまた別の思いに変わるとも知らず、一先ずの彼の当面の目標は、新人であり問題児である六人をどうにかすることに定まった。
「リック、レオンハート。手伝って下さい」
「えっ?」
「どうした?」
「あの二人、運んで上げたいので」
アリサに声をかけられて、やや浮かれ気味だった二人は、慌ててユディとルーディアの元へと駆け出した。
ユディは意識もあり動けそうではあるが、完全に気絶しているルーディアは、流石に宿舎に運んで上げなければなるまい。
「……お前、俺たちを本気で殺そうとしたのか?」
自らの力で上体を起こしたルアムは、目の前に立つアリサを睨みながら問いかけた。
「……殺そうとした。と言ったらどうしますか?」
「なっ!」
振り向いた瞬間、先と同じように色のない瞳を向けたアリサにルアムは一瞬身構えるが、アリサは直ぐにクスリと笑みを浮かべた。
その笑みがあまりにも先程のものとは異なり、ルアムはまた別の意味で硬直する。
「……嘘です。そんなことをしたらここにいる皆さんに迷惑がかかるじゃないですか。第一、私にメリットがありません」
あの力加減で全く敵意がなかったと口先では言うが、ルアムにはアリサの真意がまるで分からなかった。
赤い痕の残る首筋を撫でながら、ルアムは再び口を開く。
「お前、女だろ。何で軍に入った」
「目的の為と言いませんでしたか? それ以上は、仲良くもない貴方に話す必要はないと思います」
「何だと、お前女のくせに生意気だぞ!」
「年上風を吹かせてみたかと思えば、今度は女性非難ですか? その女に押し倒されてましたけど……」
「なっ!」
今更ながらに女に組み敷かれたと自覚してか、真っ赤に頬を染めたルアムは、羞恥を誤魔化す為に更に吠えた。
それを見た周りの人間は、何だ何だと再び二人に視線を集める。
「それで、貴方の質問に答えて何かメリットになりますか? あるならお答えしますが……」
太々しく物言うアリサに、ルアムは悔しさを噛み締めて彼女を睨み付けた。
――――敗者には勝者に質問する権利すら、ないという事か。この女。
「私のことはどうでもいいんです。それよりも、貴方方はリックに対して言うべきことがあります」
地面に突き刺さった剣を抜き、アリサはそれを手にルアムの目の前に立つ。
不穏な空気を察してか、先輩兵の誰かが声を上げようとした瞬間。アリサはゆっくりと手にした剣をルアムへと向けて押し込んだ。
――――カチン。
鞘に静かな音を立て剣が収まる。
ルアムの眼前にしゃがみ込み、アリサは彼の剣を鞘に納めて、静かに語った。
「貴方はまだ若い。偏見を持たず、もっと素直な心を持って下さい。我が国のエルダム皇太子殿下のように」
僅かに微笑み手を差し出すアリサに、ルアムは一瞬目を奪われて呆けた表情を浮かべた。
その気の抜けた顔が年相応の子供らしく見えて、アリサはついつい口元が緩む。
「貴方は、よく見ると結構可愛い顔をしてるんですね。笑った方が得だと思いますよ?」
つり目できつく見えるが、よくよく見ればルアムの顔は可愛らしい系統に分類するのだろう。日本人の丸みの強い可愛らしさとは別物だが、アリサから見た海外の少年的な可愛らしさをルアムからは感じる。
この世界の美意識と自分の美意識が同じかどうかは知らないが、アリサ個人としては可愛らしいと思った。
唐突なアリサの可愛い発言に、ルアムは一瞬何を言われたのかよく理解出来なかった。しかし、間をおいて頭の中でそれらの言葉が反復されると、彼はみるみるうちに先程よりも更に顔を赤らめて体を震わせた。
「さて、立てますか?」
手を差し出すアリサに言葉を投げつけたいのに肝心の言葉が出ず、ルアムは何度か口を開閉すると、意を決して立ち上がり自分より低い位置にあるアリサの顔めがけて怒鳴り散らした。
「二度とそれを口にするな!」
実は可愛らしさが滲む自分の顔立ちが、嫌いだったらしいルアムの地雷を踏んでしまい、アリサは珍しく余計なことを言ったと心の中で少しだけ反省した。
どうせ年を重ねればもっと顔立ちは男臭くなるのに、と楽観的に思うのは年の功というやつだろうか。
「アリサって時々変なこと言うよね」
「俺も、最近そんな気がしてた」
何でまた怒らせたのとレオンハートとリックに問われて、アリサがことの経緯を説明した後、二人が宣った言葉だ。
心外だとやや不満に思いながらも、その話はすんなり水に流されて、その後は気絶したルーディアも目を覚まし、クディダラン三人からは正式にリックへの謝罪が行われた。
「よしよし、お前たち、これからはもう少し仲良くしろよ」
最後だけはいい感じに締めようと、笑みを浮かべたヘギールに賛同した者はいなかった。
この状況で直ぐに仲良くなれたら、その人はコミュニケーションの天才だろう。
あいにく、新人六人の中にそんな天才は存在しないので、仲良くなるのは当分時間がかかるだろうと、六人全員が同じことを思った。
ただ、その認識の変化こそが、歩み寄りの一歩だったのだと、六人が気付くのはまだずっと先の話。
続きは明日になる予定です。
一日に2話以上は難しいですね。日に何度も更新されている方々は凄いと思います。




