閑話:アリスの論文・第三章と、さらなる深まる狂信
――大湿原の湿魔王ジメル討伐という一連の事態から数日。
私は相変わらず、実家の離れにある自室で最高のインドア生活を堪能していた。
【快適化】の力で常に室温二十二度、湿度四十五%に保たれた絶対の聖域。
ふかふかのソファに身を沈めた私の膝の上には、小型犬サイズに縮んだ天界龍ルルが、満足そうに「きゅ〜ん……」と喉を鳴らして丸くなっている。
さらに、先日回収した『ドライ・ルビー』を組み込んで増築した「全自動超除湿サンルーム」から送られてくる完璧に調律された乾いた風が、要塞全体……そしてこの自室を心地よく撫でていく。
「ふぅ……やはりサンルームの増築が完了したおかげで、空気のキレが一段と良くなりましたね」
アリスさんが専用の保温茶器で淹れてくれた最高級紅茶を口に含み、文庫本のページを静かに一頁めくる。
大魔王軍の最高幹部だろうと伝説の至宝だろうと関係ない。我がマイホームの快適性を向上させるための完璧な増築が完了した。ただそれだけのことだ。
だが――私が平和なモフモフインドアライフを満喫しているまさにその瞬間、王立魔法アカデミーでは、またしてもとんでもない「大騒動」が巻き起こっていた。
同時刻。王立魔法アカデミー、大講堂。
前回を遥かに凌ぐ熱気と酸欠状態に包まれた壇上に、アレク様の「専属掃除係(自称)」アリス・フォスターが立っていた。
彼女は黒板に描かれた要塞の全貌と『ドライ・ルビー』を組み込んだ複雑怪奇な魔術陣を指示棒で激しく叩き、怪しい情熱の光を宿した瞳で大演説を打っていた。
「皆さま、静粛に!! 本日はアレク様がまたしても世界を救い……いえ、世界の不快な湿気とカビの概念を根底から『お掃除』し、ついに人類の至宝たる『神々の楽園』を完成せしめた偉大なる奇跡についてご報告いたします!」
アリスは手に持った分厚い新作論文――『アレク様における神域要塞の完成と、概念増幅触媒(勇者における聖剣)としての環境物理拡張に関する考察』を高く掲げた。
「まず第一の奇跡! アレク様が増築を重ねて完成されたあの要塞についてです! 既存の建築学など足元にも及ばないあの構造物……あれこそは人間界に現臨した『神々の楽園』であり、至高なる神造物! そして何より――勇者にとっての『聖剣』の如く、アレク様の【快適化】スキルを最大限に引き出し世界へ放射するための……至高なる神導兵装(触媒)なのです!!」
「「「な、なんだってぇぇぇぇっ!?」」」
「要塞の完成によってアレク様の領域演算は極限へと到達! 大湿原へ侵攻してきた大魔王軍最高幹部『湿魔王ジメル』とその十万の大軍勢に対し、アレク様は一切の攻撃魔術など使わず……なんと『要塞のサンルームを増築し、最高級紅茶を楽しまれた』……ただそれだけであります!」
「「「ば……バカな……っ!?」」」
「敵の放つ不浄なカビや邪悪な湿気オーラを『要塞を汚す最悪の汚れ』と判定し、既存の魔術理論ごと綺麗サッパリ自動清掃! 至高の要塞という『聖剣』を得たアレク様の前に、最高幹部ジメルは一瞬にして『要塞の空気循環・清掃係』へと浄化せしめられたのです!!」
「人間が数百年かけても浄化しきれない大湿原の邪悪な魔力を、要塞の換気システムだけで無自覚に無力化したというのか……!?」
「さらに!」アリスは黒板の赤く輝く宝珠の絵をバン! と叩いた。「その過酷な除湿負荷と要塞の完全起動を相殺するため、アレク様は『極上の最高級紅茶』をお口に含み、平然と世界の平穏を取り戻されたのです!!」
「「「あ、紅茶一杯で要塞を完成させ、概念改変の負荷を相殺しただと……っ!!?(絶句)」」」
重鎮たる教授たちが、感動と恐怖のあまり滝のような汗を流しながらガタガタと震え上がった。
「これぞ、既存の魔導理論を神の領域で凌駕し、至高の要塞を以て世界を『快適な神域』へと変貌させる究極の真理! 我らはこのアレク様の『至高のお手入れ』を称えねばなりません!」
「「「アレク様ぁぁぁぁぁっ!!!」」」
感極まったエリート魔導士たちが次々とひざまずき、大講堂に割れんばかりの信仰の歓声が響き渡った。
「……ん? なんだか急に、部屋の湿度が0.3%ほど下がったような気がしますね」
私は不意に首を傾げ、サンルームから流れてくる乾いた風にちらりと視線を向けた。
「まぁ、要塞の快適化が数値通り完璧に機能している証拠です。素晴らしいことですね」
ルルが幸せそうに「きゅ~ん」と鳴くのを聞きながら、私は静かに文庫本の次のページをめくるのだった。




