第61話:音に悩むインドア派と、地下大迷宮への遠征
「……ダメだ、どうしても集中できない。外で小鳥が囀る音すら、今の私にはノイズに聞こえる」
我が家の離れに新たに誂えた特製ベッドの上で、私は深く溜め息をつきながら、お気に入りのハードカバーの本をバタリと閉じた。
天界龍のお手入れの際に採取した最高級の抜け毛を惜しみなく詰め込み、手触りと沈み込み具合を追求して仕立てた「極上低反発マットレス」。その全身を優しく包み込むような圧倒的な抱擁感と包容力は、間違いなく世界最高の寝心地を私に約束してくれるものだった。室温も湿度も、日常的に展開している私の【快適化】スキルによって一分の狂いもなく完璧に制御されている。
理想的な環境――外部の干渉を一切受け付けない、完璧なインドア空間の完成形。……のはずだった。
だが、どれほど肌に触れる素材や空調管理が完璧であろうとも、構造の隙間を縫って外部から侵入してくる無遠慮な「音」を完全にシャットアウトできなければ、真の静寂も、精神を深く沈めるような完璧な読書や睡眠も得られないのだということを、私は痛感させられていた。
木々の葉が擦れるかすかな物音、遠くを吹き抜ける風のうねり、どこかでのどかに囀る小鳥の声。普段の生活であれば気にも留めないような些細な生活音が、至高の読書空間と完全な静寂を追求する今の私にとっては、集中を著しく削ぐ不快な雑音でしかなかったのだ。外の微細な環境音まで完全に遮断してこそ、真のインドアライフと呼べる。
「やはりアリスさん、私は『防音』という要素の重要性をいささか軽視していました。理想のホームシアター付き要塞を完璧に完成させるには、外部のあらゆる振動や音波を百パーセント吸収し尽くす『極上防音・調湿の魔導原石』の確保が急務です」
私の真剣な呟きに、傍らでいつものように手帳を広げてペンを構えていたアリスが、ハッと息をのんで顔を上げた。
「サイレント・オパール……! 伝説の地下大迷宮『無音の奈落』の最深部にしか存在しないという、あの幻の鉱石ですね! 音波そのものを魔力に変換して完全に吸収・消滅させ、同時に空間の湿度すら一定に保ち続けるという奇跡の原石です……!」
「ええ。ですが、あそこは全階層が広大な迷路であり、不快な湿気と異臭、そして無数のカビに満ちていると聞きます。……考えるだけで気が滅入りますが、至高の静寂と完璧なマイホームのためです。参りましょう」
重い腰を上げた私の背後には、頼もしい(そして熱すぎる)仲間たちがすでに整列していた。
足元には、天界龍の抜け毛でピカピカに磨き上げられた特製スリッパを誇らしげに履き、背中に巨大な荷物袋をしっかりと背負った元暗殺者のガルム。そして私の肩の上には、我が家の「庭用ふかふかクッション兼移動手段」として愛らしく小型化した天界龍のルルが、モフモフの身体を丸めておとなしく収まっている。
「アレク様! 地下迷宮の荷物持ちならこのガルムにお任せください! あのジメジメしたカビ臭い洞窟も、アレク様の一歩で最高の散歩道に変えていただくそのお供……このガルム、全身全霊でお仕えいたします!」
胸を張り、目頭を熱くさせながら熱弁を振るうガルム。その瞳には、私の生み出す【快適空間】に対する強烈な絶対的信頼と、深い感動の光が満ちあふれていた。
「きゅ~ん!」と、ガルムの気合に応えるようにルルも愛らしく鳴声をあげる。
「ええ、ルルもよろしくお願いしますね。……長居したいような場所ではありませんし、迅速に目的の素材だけを採取して引き上げるとしましょう」
こうして私は、究極の防音壁紙の材料を手に入れるため、二度目となる遠征――恐るべき地下大迷宮『無音の奈落』への旅路へと出発したのだった。




