第60話:至高のブラッシングと、光堕ちする聖獣
私は消滅したガゼルのいた上空には一切目もくれず、そのまま回廊の奥へと歩みを進めた。
(本来、ダンジョンに侵入した者は敵として排除されるのが常ですが……ここは私の『応接リビング』です。戦闘体制をとる必要など初めからありません)
そこには、突如として展開された快適空間――室温二十二度、湿度は完璧に管理され、微かなラベンダーの香りが漂う空間――にすっかり毒気を抜かれ、ポカンと口を開けている『天界龍』の姿があった。
本来なら侵入者に牙をむくはずのダンジョン最深部の主も、あまりに心地よい空間の居心地に身を委ね、戦闘意思などどこかへ消え去っているようだ。
「天界龍さん。いつもこのような強い吹き荒れる寒風や飛び散る不純物の中で生活していて、さぞかし毛並みもお肌も荒れていたことでしょう」
私は戦闘の気配など微塵も見せず、アイテムボックスから愛用の特製『超極細天然毛ブラシ』を取り出した。
(対象:天界龍の皮膚表面。ここを私の『お手入れルーム』と認定する)
「さあ、綺麗にブラッシングしてあげますね。……あ、ただその大きさだと少し届きにくいですね」
全長五十メートルもある圧倒的な巨躯を見上げ、私が少し困ったように呟いた、その瞬間だった。
『シュゥゥゥン……ッ!』
天界龍は私の手にある極上ブラシと、この世のものとは思えない快適空間の誘惑に耐えかねたのか、神聖な光を放ちながら自らのスキルでぐんぐんと体を縮め始めたのだ。
ほんの数秒前まで天空を圧していた聖獣は、あっという間に大型犬ほどの愛らしい「お手入れ最適化サイズ」へと姿を変え、私の目の前にちょこんと座り直した。
「ま、まさか……あの天界龍が、自分で小さくなっちゃいましたよ……!?」
アリスが呆然と目を見開き、信じられないものを見る目で声を漏らす。
「おや、ご配慮ありがとうございます。では、遠慮なくお手入れと参りましょう」
私は小さくなった聖獣を目の前に座らせ、優しくブラシを構えた。
――【スキル:部屋で快適に過ごす(ブラッシング&自動リフレッシュ)】
『ファァァァ……ッ……』
スキルが発動した瞬間、天界龍の全身から長年の荒風で溜まっていた細かな汚れや乾燥による痒みが、一瞬にして完璧に消去された。極上のブラッシング効果と春の陽気のような快適空間の心地よさに、小さくなった聖獣は「きゅぅぅん……」と気持ちよさそうな甘い声を漏らし、うっとりと目を細めて私に身を委ねた。
「あの誇り高き聖獣が、まるで猫みたいにゴロゴロと甘えてるなんて……」
アリスは圧倒されながらも、どこか感心したような複雑な表情でつぶやいている。
「よし、最高のリラックス状態です。……失礼して、綿毛を少しだけ分けていただきますね」
一切の抵抗もなく、むしろ「もっと梳かしてくれ」と言わんばかりの天界龍から、私は最高品質の『天界龍の綿毛』を、素材を傷つけることなく大量に収穫することに成功した。
さらに、ブラッシングの快感にすっかり骨抜きにされた天界龍は、トコトコと私の足元まで歩いてくると、すっかり懐いた様子で私の服の裾を口で優しく引っ張り始めた。
「……ん? どうしたのですか?」
『(きゅ~ん:私をあなたの要塞の「庭園守護獣兼ふかふかクッション」として連れて行ってください)』
「アレク様、まさか天界龍……アレク様の快適さにすっかり惹かれて、自らついて行く気なのでは……?」
「えっ……でも、我が家の離れには大きすぎますし……」
「アレク様! このサイズになれるなら、普段は小型化させて『要塞の庭園エリア』に配置すれば完璧です!」とガルムが目を輝かせる。
こうして、私たちは目標であった「究極のマットレス素材」を手に入れただけでなく、伝説の天界龍まで「庭用の動く高級ふかふかクッション」としてゲットしてしまったのだった。
「ふぅ……これで寝具の基礎は整いました。次は要塞の壁材――『極上防音・調湿の魔導原石』を求めて、地下大迷宮へ向かいましょう」
「はい、アレク様! 伝説の天界龍すら一瞬で従わせるアレク様の圧倒的なお力と快適空間……まさに神業でございますわ! アレク様の創り出す至高のマイホームのためなら、このアリス、世界の果てまでもお供いたします!」
アリスはうっとりと瞳を輝かせ、胸の前で手を組みながら熱烈な眼差しで深く頷いたのだった。
理想のマイホーム完成に向け、私のマイペースな(しかし妥協のない)素材集めの旅は、まだまだ続いていく。




