第59話:即席「リビング」の構築と、概念の拡張
「ガルムさん、アリスさん! 上質な敷物と、風を遮る防壁をお願いします!」
「アレク様、どうぞ!」
「はい、ただいまご用意いたします!」
私の呼びかけに応じ、二人が即座に動き出した。
ガルムはその恵まれた体躯を活かし、持ち運び用のアイテムボックスから超極厚のラグマットを手際よく引き出すと、荒々しい岩肌の上に隙間なく敷き詰めていく。続いてアリスが澄んだ詠唱とともに短杖を振るうと、敷物の周囲を囲むようにして、透き通る四枚の巨大な氷の壁が瞬く間に立ち上がった。
屋根こそ存在しないが、これで上下左右の境界が明確になり、足元の「床」と四方の「壁」が揃ったことになる。
(認識完了。対象:この区切られた氷の壁の内部。ここを私の『一時的な応接リビング』と認定する)
私の脳内で、空間の境界線がくっきりと書き換えられていく確かな手応えがあった。
私はポケットからアメ玉を一つ取り出して口に放り込み、腰のホルダーに差していた水筒から甘い紅茶をゴクリと一口流し込む。一気に脳へ糖分を充填し、頭痛の予兆をねじ伏せるためのルーティンだ。
(よし……出力、四〇パーセント)
頭の中で静かにスイッチを切り替えると、スキルが応えた。
『シュパァァァン……ッ!!』
どこからか爽快な駆動音のような効果音が響き渡り、氷の壁の内側の空気が一瞬で一変した。
外を吹き荒れていた極寒の暴風はピタリと止み、肌をなでる空気はまるで春の陽気のような「室温二十二度」。さらには「無風・空気清浄度百パーセント」の環境が瞬時に構築されたのだ。ガゼルが放っていた鋭い風の刃は、氷の防壁に触れた瞬間にただの心地よいそよ風へと変換され、柔らかく髪を揺らす程度にまで弱まる。
「……いやしかし、外の寒風が嘘みてえにポカポカで、ここは本当にあの魔獣うごめくダンジョンの最深部なのか……? へへっ、アレク様の快適な空間を保つことこそ、今の俺の全存在理由ですから!」
ガルムは厚手のラグマットを踏みしめながら、あまりの快適さに目を見張り、誇らしげに胸を張った。アリスもまた、氷の壁に触れながら「氷の魔導でここまで温かな空間が保たれるなんて……」と感嘆の吐息を漏らしている。
一方、上空で凄まじい風の魔力を操っていたガゼルは、完全に理解の及ばない現象を前に目を見開いていた。
「な……風圧が消えた!? 氷の壁一枚で我が極大魔法を相殺したというのか!?」
上空でガゼルが目を見開いて激昂しているが、私にとって彼の動揺など、リビングのレイアウトを考える上での雑音に過ぎない。
「よし、快適になりました。……では、部屋の『壁』の概念を、あの上空の鳥男ごと奥の天界龍まで押し広げます」
私は静かに息を吸い込み、頭の中で思考の領域を拡張していく。
この氷の壁は、単なる遮蔽物ではない。私の空間認識における「一時的な境界線」に過ぎないのだ。ならば、リビングの敷地を広げるのと同じ要領で、上空や回廊の奥まで含めた空間全体の認識範囲を拡大することは十分に可能である。
――【自動清掃(広域空気清浄&異物除去モード):実行】。
「な、なんだこれはぁぁぁっ!?」
上空で大風を巻き散らしていたガゼルは、拡張された「部屋」の快適空間に取り込まれた瞬間、目を見開いて金縛りに遭ったかのように硬直した。
彼が全身から放っていた凶悪な暴風と殺気は、拡張された我が空間の判定システムによって、即座に認識されたのだ。
――「応接リビングの快適性を著しく損なう、不快なゴミ・飛散物」として。
『シュウゥゥゥ……』
「我が魔術が……いや、体が……消え――!?」
ガゼルが纏っていた凶悪な風の魔力はもちろんのこと、彼自身までもが「空間に侵入した不快な異物」として判定システムに処理され、一切の痕跡を残さず一瞬で消滅した。
「よし、空気の乱れと異物の処理は終わりましたね」
私はガゼルが消し去られた上空には見向きもせず、回廊の奥に悠然と横たわる『天界龍』へとまっすぐ視線を向けた。




