第47話:あまりにも静かな朝
翌朝。
離れの寝室には、やわらかな黄金色の朝差しが静かに差し込んでいた。窓の外からは澄んだ鳥のさえずりが微かに聞こえ、風が揺らす木の葉のささやき以外、何の雑音も存在しない。まさに静寂そのものといった趣だ。
私はゆっくりとまぶたを開け、使い慣れたベッドの上で小さく体を伸ばした。
「ふぅ……よく眠れました」
体を起こし、大きく欠伸をひとつ。
自分が十年の歳月をかけて『快適空間』へと仕立て上げたこの部屋は、湿度も温度も、空気の澄み切り具合すらも完璧にコントロールされている。今朝の室温は二十二度、湿度四十五%。目覚めの心地よさは、そこらの高級貴族の寝室など足元にも及ばないだろう。
私が枕元で息を整えた瞬間――まるでこちらの意識が覚醒したタイミングを精密な時計のように完璧に計測していたかのように、コンコンと控えめなノック音がドアを叩いた。
「アレク様、失礼いたします」
静かにドアが開き、すっと入ってきたのはアリスさんだ。
黒を基調とした隙のない仕立てのメイド服に身を包み、足音ひとつ立てずに室内へと滑り込んでくる。その手には、焼きたての香ばしい小麦の香りを漂わせるパンと、淹れたての珈琲、そして自家製のジャムが載ったトレーが握られていた。
「おはようございます、アレク様。本日も王都は――『異常なほど静かで平和』でございます」
「おはようございます、アリスさん。いつもありがとうございます。……それにしても、本当に静かですね」
アリスさんが手際よくサイドテーブルへ朝食を並べていくのを眺めながら、私は素直な感想を口にした。
「なんだか最近、嫌な噂話も耳にしませんし、押しかけてくるような変なスカウトや怪しい訪問者もパタリと来なくなりました。以前ならギルドの勧誘や貴族の使者などがたまにチラついていた気がするのですが……本当に平和で助かります」
「はい! まったくもって、日頃のアレク様のご徳の賜物でございますね」
アリスさんはどこからどう見ても完璧で、清々しいまでに澄み渡ったメイドの笑みを浮かべてみせた。
昨夜、王都の最暗部にある地下会合場所で、レオン兄さんと冷酷極まる「裏の分担協定」を結び、他国のスパイ追放の手際を絶賛していた人物と同一人物だとは、到底信じられないほどの白々しくも完璧な演技力である。
私はアリスさんが丁寧に淹れてくれた珈琲に手を伸ばし、一口含んだ。
芳醇な苦みとやさしい香りが口いっぱいに広がり、身体の隅々まで温かい感覚が染み渡っていく。
(やはり、この離れでのんびり過ごす生活は最高ですね……)
ふと、窓の外に広がる雲ひとつない青空を見上げながら、私は離れて暮らす身内のことに思いを馳せた。
(……そういえば、レオン兄さんも王立アカデミーを歴代最年少かつ首席で卒業したと聞きましたし、今は王宮の重要な部署で毎日すごく忙しく働いているみたいですからね。ただでさえ責任重大な仕事で大変でしょうから、私が実家で変な騒ぎを起こして、兄さんの足を引っ張ったり迷惑をかけたりするわけにはいきません)
幼い頃から優秀で格好よかった兄、レオン。
あんなに凄い兄を持てたのだから、弟である私もせめて「手のかからないおとなしい弟」でいなければならない。
(よし、私も兄さんに余計な心配をかけないよう、この快適な離れでひっそりと目立たず、おとなしく過ごすことにしましょう)
己の置かれた状況に心底満足しながら、私は珈琲の入ったカップを傾け、心穏やかに微笑んだ。
――まさか。
実の兄が国家権力と行政権限をフル動員し、自分の静寂を害する「不都合な現実」を片っ端から物理的・社会的に消し去り続けているとも。
そして目の前にいる専属掃除係が、その裏工作を「現場の総責任者」として冷徹にサポートしているとも。
アレク・ヴァルハイトは、夢にも思っていなかったのであった。




