第44話:裏で暗躍する重度のブラコン兄と、静かすぎる日常の理由
十万の魔王軍が何事もなかったかのように消滅し、アリスの暴走論文によって王立アカデミーに『アレク様教』なる組織が結成されてから、さらに数日が経過した。
私はといえば、いつも通り実家の離れで平和なインドア生活を満喫していた。
「……ふむ。平和だなあ」
ふかふかのクッションに深く身を沈め、絶妙な温度に淹れられた温かい紅茶を静かに一口啜る。
実を言うと、少しばかり覚悟はしていたのだ。
十万の軍勢を一瞬で散らしてしまったのだから、王宮の偉い連中が黙っているはずがない。「近衛騎士団長になれ」だの「魔王討伐の勇者として前線へ赴け」だの、面倒くさくて暑苦しいスカウトや呼び出しが殺到するのではないかと、本気で危惧していた。
だが、驚くことに王宮からの干渉は一切ない。離れの扉を叩く面倒な客すら一人として現れないのだ。
そればかりか、実家へ届くはずの煩わしい税金の免除手続きや、離れの周囲一帯を音の侵入を固く禁じる「静音指定地域」へと認定する告示など、なぜか私にとって都合の良い公的手続きだけが、恐ろしいほどの爆速で次々と処理されていた。
「ははあ、なるほど。国の偉い人も『私は静かに部屋で過ごしたいのだ』という意図を、察して配慮してくれているのかな。権力者にも話がわかる上層部がいて助かったよ」
私がクッションの角度を微調整しながら、呑気に感心していたその裏で――。
国家の根幹を根底から揺るがすレベルの「苛烈な裏工作」が行われていることなど、私は知る由もなかったのである。
王都の最深部――王立行政監察局、局長室。
重厚なオーク材のデスクに向かい、整った顔立ちに鋭い知性を宿した青年が、山のように積まれた書類へ高速で羽ペンを走らせていた。
ヴァルハイト伯爵家長男――レオン・ヴァルハイト。
かつて王立魔法アカデミーを歴代最年少かつ全科目首席で卒業し、弱冠二十二歳にして王国の行政・情報統制の頂点に君臨する、当代屈指の天才魔導官である。そして同時に、弟であるアレクを異常なほどに愛する重度のブラコンであった。
「き、局長っ! 国防省から『パラソル一基で十万の敵を消滅させた人物の強制徴用令状』が提出されました!」
「それから第一騎士団からも『即時、彼を最高司令官並びに騎士団長として迎え入れたい』との親書が……!」
青ざめた顔で悲鳴のような報告を上げる部下たちに対し、レオンは書類から一切視線を上げぬまま、冷徹な眼光を走らせた。
「却下だ。国防省の徴用令状は『用紙品質不良およびインク汚損』で書類不備として即時破棄しろ。騎士団の親書は『管轄外の不法要求』として突っぱねろ」
「ええっ!? し、しかし相手はあの国防大臣と第一騎士団長ですよ!? このまま突き返せば行政監察局の立場が――」
「黙れ」
短い一言とともに、レオンの身から放たれた恐ろしいまでの威圧感に、部屋中の空気が一瞬で凍りついた。羽ペンを止めたレオンが静かに眼鏡のつるを持ち上げる。
「アレクの意向はただ一つ……『静かに部屋で過ごすこと』だ。あいつの平穏な引きこもり生活を脅かそうとする者は、たとえ国王だろうとこの私が国家権力をフル活用して社会的に抹殺する。……分かったら、直ちに処分してこい」
「ひっ……! すぐさま処理してまいりますっ!!」
冷酷なまでの決意と、狂信的な情熱を宿した瞳に見つめられ、部下たちは脱兎のごとく部屋を飛び出していった。
残されたレオンは、弟の住む離れの「静音指定地域」申請書に完璧な手際で承認印を捺しながら、満足げに口元をほころばせるのだった。




