閑話:魔王の戦慄
幹部や高位魔族たちが指示を受けて次々と退出していき、広大な玉座の間には、完全な静寂が戻っていた。
ずしり、と。
大魔王配下が最高幹部が一角――魔王ガルシスは、重い身体を深紅の玉座に沈め、肘掛けに深く頬杖をついた。
「……ふっ」
静まり返った空間に、低く乾いた息が漏れる。
(……数百年。私は何を積み上げてきたのだ?)
ガルシスは、己の内に渦巻く膨大な魔力と、幾多の死線を潜り抜けて研ぎ澄ませてきた知識・軍略の数々に静かに思いを馳せる。
大魔王様よりこの暗黒大陸の差配を任された最高幹部として、いくつもの人間の王国を灰燼に帰し、数多の英雄を絶望の底に沈めてきた。どんなに強力な魔法も、どんなに秘匿された古代兵器であっても、それが「この世界の理」の延長線上にある限り、破る術は必ず存在した。
だが――あのFランクの少年は違った。
(ガルバの気配すら察知していなかった。……いや、殺意や気配といった『戦いの前提』そのものを必要としていないのだ)
暗殺の深淵を極めたガルバの密やかな接近。十万の魔獣が巻き上げた死の疾風。
それらすべてが、あの少年が優雅に小さな杯を口に運ぶという無意味な所作の背景としてすら認識されず、ただ部屋の埃を払うように無条件で消し去られた。
戦いにおける「勝利」でも「敗北」でもない。
自分たちが存在するための「世界のルール」そのものを上書きされたような、圧倒的な不条理。
(理を覆す力……あれは人間などという枠組みではない。……世界そのものの『自浄作用』か?)
そこまで思考を巡らせたガルシスは、深く息を吐いた。
大魔王様への報告をどうすべきか。
『我が軍は、野原で日傘を立てて佇んでいた少年の領域に触れただけで消滅しました』などと真面目に言えば、呆れられるか、あるいは狂気とみなされるだろう。
さらには、別の大陸を統べる他の最高幹部(魔王)たちの顔が浮かぶ。
武や暴力を誇るあいつらのことだ。この報告を聞けば「ガルシスも焼きが回った」「たかが人間の子供一人の脅威に怯えおって」と、嘲笑しながら兵を動かすに違いない。
「……笑いたければ笑うがいい。我が同胞たちよ」
ガルシスは目を閉じ、静かに腕を組んだ。
「その慢心こそが、お前たちを次の消滅へと導くのだからな」
どれほど笑われようと、どれほど侮蔑されようと構わない。
圧倒的な不条理を前にして、己のプライドを捨ててでも「絶対不可侵」を選択できたことこそが、最高幹部たる己の知恵。
(大魔王様をお守りするためにも……私はこの大陸で、あの絶対的な不条理と静かに共存する術を探る)
静まり返った玉座の間で、魔王ガルシスは暗闇を見つめたまま、静かな決意と戦慄をその胸に深く刻み込むのだった。




