第41話:魔王の戦慄と、消去された十万の軍勢
人間界の狂乱から遠く離れた、暗黒大陸の最深部。
不気味な紫色の雲が垂れ込め、禍々しい魔気が渦巻く『魔王城』の玉座の間は、かつてない凄惨な静寂と恐怖に包れていた。
「な……なに……? もう一度……もう一度言ってみろ……!」
深紅の玉座に深く腰掛けた魔王は、その圧倒的な威厳すら忘れたように目を見開き、顔を蒼白に引きつらせていた。
「は、はいっ……! 王都侵攻に向かった十万の魔獣大軍団、ならびに四天王が一角『狂乱のガルバ』様が……たった一人の人間によって……全滅いたしました……!」
報告に訪れた魔王軍の幹部たちは、床に頭を擦り付け、ガタガタと全身を激しく震わせている。
あまりの報告内容に、玉座の脇に控える側近たちすら息を飲み、言葉を失っていた。
「バカな……! ガルバは我が軍の中でも屈指の暗殺者だぞ!? 十万の軍勢を率いた王都侵攻計画が……一体どんな大軍勢や古代兵器に阻まれたというのだ!?」
「それが……! 現場に潜入させていた使い魔の『映像魔導具』に残された記録によりますと……」
幹部の一人が震える手で水晶球を差し出し、そこに記録された恐ろしい光景を投影する。
そこに映し出されていたのは、凄まじい大軍勢を前にして、平原の真ん中に一筆の小さなパラソルを立て、何事もないかのように小さなテーブルで紅茶を嗜む一人の少年の姿だった。
「ターゲットのFランクの少年は……ただ平原でお茶を飲んでいただけで……攻撃の意志すら見せておりませんでした……!」
「お茶を……飲んでいただけだと……!?」
魔王の叫びにも似た声が、広大な玉座の間に虚しく響き渡る。
「ガルバ様も十万の軍勢も、いざ仕掛けようとしたその瞬間です。少年が優雅にお茶を飲み干し、静かに佇んだ次の瞬間……四天王ガルバ様も、十万の魔獣も、一瞬にして光の塵となり消滅いたしました……!」
水晶球の中の光景が白く輝く。
画面の向こうで何が起きたのかすら認識できない速度で、大軍勢もろとも綺麗さっぱり消去されていく。
「ば、バカな……! バカなバカなバカなッ!!」
魔王は頭を抱え、荒い息を吐きながら叫んだ。
「それは戦闘すら起きていないではないか……! 術を使う暇も、間合いに入る隙すら与えられていない! ただ……ただ『その少年が存在する空間』において、我らの存在そのものが庭の害虫やゴミのごとく否定され……『お掃除』されたのだ……!!」
魔王のその言葉に、玉座の間に並ぶ幹部たちの間に、底なしの絶望と恐怖が広がっていく。
彼らが何百年かけて築き上げてきた絶対的な暴力が、ただの「日常の雑音」として処理されたという不条理。
「ま、魔王様……! どうすれば……! もしあの男が本気を出して、この魔王城まで『お掃除』しにやって来たら……我らは……!」
幹部の一人が涙目になりながら許しを請うように問いかける。
魔王はしばらくの間、血が滲むほど固く拳を握りしめていたが、やがて力なく肩を落とし、絞り出すような重々しい声で告げた。
「……撤退だ」
「魔王様……!?」
「全軍に命じる! 王都への侵攻計画は即刻、全面中止せよ! そして……あの少年の半径五十キロメートル以内には……口が裂けても絶対に近寄るな!!」
世界を絶望の淵に叩き落とすはずだった魔王軍の野望は、一人の少年の「圧倒的にお気楽なお茶会」によって、完全な敗北と脱力、そして消し去れぬトラウマを叩き込まれて潰えたのだった。




