第38話:大掃除と、ほのかなラベンダーの香り
『―――――――――ズウンッ!!』
アレクのパラソルを中心に、目に見えない「黄金の概念領域」が、北の平原十キロメートルにわたって一瞬で拡散した。
突進していた十万の魔獣軍団が、そして空中で静観していた四天王ガルバが、まるで時間の巻き戻しが止まったかのようにピタリと動きを止める。
「ぬ……!? なんだこの重圧感は……!? 大気……いや、世界の法則そのものが重く塗り替えられている……!?」
空中を浮遊していたガルバが恐怖に身を震わせ、戦場の中央を見下ろす。
その視界に映っていたのは、地響きも絶叫も届かない「平原の真ん中」でパラソルの下に揺られ、優雅に紅茶を飲み干す一人の少年の姿だった。
十万の軍勢。地平線を埋め尽くす殺気。天を突く怒号。
そのすべてが、アレクのスキルによって――
『テラス席の静寂を乱す、大量の不快な害虫および飛び交う不潔なホコリ』
として一括識別された。
「さて……『大掃除』の時間です」
私が静かに紅茶のカップをソーサーに置いた、その瞬間。
【自動清掃(広域・大規模害獣殺虫&空気浄化モード):実行】
『シュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……ッ!!!!』
それは、後方の王立騎士団が生涯決して忘れることのできない、空前絶後の光景だった。
突進していた十万の魔獣軍団が。
悲鳴をあげる隙すら、逃げ出す隙すら与えられず。
まるで巨大な太陽の光を浴びた残雪のように。
足元からサラサラと黄金の光の粒子となって、一瞬にして全滅・消滅していった。
「バ……バカなアァァァァッ!? わ、我が十万の軍勢が一瞬で消去されただと……!? どんな魔法だ、どんな不条理な権能なんだぁぁぁっ!?」
四天王ガルバの影のような身体すらも例外ではない。
分析家として絶望的な計算結果を叩き出した脳裏のなかで、彼の魔力が、存在そのものが「不快な害獣」として容赦なく綺麗サッパリ浄化されていく。
「な……何者なのだ貴様はぁぁぁぁっ!?」
消えゆくガルバが、天に向かって血を吐くように絶叫する。
私はパラソルの下から冷ややかに見上げ、静かに告げた。
「ただの、静かにカフェで過ごしたいFランク探索者です」
『パァン……!』
弾けるような音とともに、四天王ガルバは光の塵となって大気に溶けた。
十万の軍勢は、文字通りわずか三秒で全滅。
地響きと殺気に満ちていた北の平原に残されたのは、どこまでも澄み切った青空と、心地よい秋風、そして――空間全体を包み込む、ほのかなラベンダーの香りだけだった。
「ふぅ……空気の入れ替えと消臭も完了しましたね」
パラソルを畳みながら息を吐くと、ズキリと一瞬だけ頭の奥が重く痺れた。
事前に高濃度の糖分を補給していたおかげで倒れずに済んだものの、やはり初めて出す40%の負荷は凄まじく、急激に脳のエネルギーが消費された感覚がある。
「見事な手際です、アレク様。害虫の一匹すら残さず、完璧なお掃除となりました」
パチパチと拍手を送るアリスに、私は少しだけ額を押さえながら苦笑いを浮かべた。
「ありがとうアリスさん。お茶のおかげで酷い激痛は避けられましたが……やはり40%となると、まだ少し糖分が足りなかったようです」
するとアリスは即座に察し、ポケットから慣れた手つきで特製の濃厚黒糖キャンディを取り出すと、そっと差し出してきた。
「ご安心ください。アフターケア用に、さらに即効性の高い甘味をご用意しております」
「さすがアリスさん、本当に頼りになります」
キャンディを口に含むと、じんわりとした濃厚な甘みが広がって頭の痺れが和らいでいく。
後ろでは崩壊寸前だった王立騎士団の面々が、武器を構えたまま白目を剥いて固まっていたが、今の私にはそれどころではない。失われたエネルギー(糖分)の補給が最優先だ。
「さ、ゴミ掃除も終わりましたし、今度こそ静かなカフェで一番甘い特大パフェでも食べに行きましょうか」
私はパラソルとローチェアを手際よくリュックに仕舞うと、混乱の極みにある騎士たちを置いて、満足げに王都の街並みへと歩き出した。




