第36話:王都を覆う魔王軍と、快適な休日を求めるFランク
中央ギルド支部の広大なロビーは、まるで戦場さながらの狂乱とパニックに包まれていた。
「出動だ! 走れ! 動ける探索者は全員、直ちに北の第一防衛線へ向かえ!」
「王立騎士団の先鋒隊が壊滅寸前だ! 魔王軍四天王の一角、『隠密のガルバ』率いる十万の魔獣軍団が押し寄せてきているぞ!!」
ギルド長が血走った目で卓を力任せに叩きつけ、全身から滝のような汗を吹き出しながら怒号を飛ばしている。受話用の魔導具からは途切れ途切れに騎士たちの悲鳴や怒号が漏れ聞こえ、ロビーに集まっていた探索者たちの顔を瞬く間に蒼白に染めていた。
ロビー中央の天井近くに吊り下げられた巨大な魔導スクリーンには、王都の北側に広がる大平原の映像がリアルタイムで映し出されている。
地平線の彼方から押し寄せるのは、大地を埋め尽くす途方案もない数の魔獣の群れだ。進軍するその数、およそ十万。
元来、ガルバは魔王直属の最強隠密部隊を率いる暗殺者であり、陰からターゲットを確実に仕留める冷酷な策士として恐れられていた。
その彼が手出しをせず、自ら一度魔王のもとへ引き返して十万という破格の大軍勢を用意したという事実こそが、相手を「何が何でも確実に圧殺する」という徹底した冷酷さと警戒心を物語っていた。
スクリーンに映し出されたガルバは、冷徹な眼光で王都を見下ろしながら静かに語りかけている。
『……あのおぞましいFランクのガキを闇に葬るべく、私自身が極秘裏に潜入調査を行った。しかし……そこで得た結論は、あまりに異常だった。奴の領域(スキル発動範囲)の内側において、攻撃の成否すら判定させない絶対的な不条理が存在すると』
ガルバの声には、アレクの能力を冷静に観察・分析したからこその、ぞっとするような警戒感が滲み出ていた。
『個の武力による暗殺はリスクが高すぎる……ゆえに私は直接の手出しを避け、一度退いて魔王様に報告したのだ。奴を葬るには、領域ごと力で押し潰す【数の暴力】しかないと。ゆえに引き連れた、この十万の軍勢。逃げ場などない……あのガキを八つ裂きにし、我が拠点(S級ダンジョン)を荒らした不始末の落とし前をつけてもらう』
冷たく言い放たれた映像が途切れると同時に、ロビーはさらなる混乱の渦へと叩き落された。
「調査だけで暗殺不可と判断されたFランク……!?」
「一体どこのどいつなんだ……!? 頼むから勝手に出ていってくれ!!」
あちこちで巻き起こる悲鳴と困惑の声。
(あー……)
私はそっと帽子を深めにかぶり直し、そのまま何事もなかったかのように出口へと足を進めた。
(私だな。間違いなく私だ)
どうやら先日、省エネで快適な生活を送るための素材集めとしてS級ダンジョンへ行き、コアの魔石や高品質な素材を『お掃除』して持ち帰ったことが、魔王軍の逆鱗に触れてしまったらしい。
せっかくの休日の平穏を害されるだけでも不快極まりないというのに、十万もの大軍を率いて押し寄せ、私の「快適な日常」を脅かそうなどと、あまりに身勝手で迷惑な話だ。
ギルドの重厚な扉を押し開けて外へ出ると、王都のメインストリートもすでに大騒ぎになっていた。防空壕や地下シェルターへ逃げ惑う市民の悲鳴が遠くから聞こえ、街全体が混乱のどん底に陥っている。
「アレク様」
パニックに陥る群衆の波をすんなりと受け流しながら、アリスが真剣な面持ちで私を見た。
「十万の軍勢です。王都の外壁まで迫られれば、騒音で『カフェでの読書環境』が悪化してしまいます」
「ええ。騒音は最大の敵です」
私は静かに頷いた。
これからお気に入りの静かなカフェへ向かい、ゆったりと読書を楽しむつもりだったのだ。それというのに、外で十万ものモンスターが雄叫びを上げ、地響きを響かせていては落ち着いてページをめくることすらできない。読書環境の保持は、私の生活における最優先事項である。
「サクッと『害虫駆除』を終わらせて、静かなカフェに行きましょう」
「はい! アレク様のお邪魔になる害虫どもを残さず一掃してまいりましょう!」
武器を握りしめて青ざめた顔で北門へ駆け出していく騎士や探索者たちの背中を追いかけるように、私たちはマイペースに、優雅な足取りで王都の北門を目指した。




