第32話:怒れる伯爵と、完璧すぎる自室
ガルダスは激昂した面持ちで、怒りに肩を揺らしていた。
「ギルドから貴様宛てに『納品を控えろ』などという前代未聞の通達が届いたぞ! 貴様、一体どんなズルをしてギルドに迷惑をかけたのだ!!」
「はぁ。まあ、お手紙はもらいました」
「シラを切るな! 無能のハズレスキルしか持たん貴様に、そんな真似ができるはずがない! ヴァルハイト家の名を悪用して怪しい闇の魔導具でも使ったか、詐術でギルドを混乱させたのだろう! 名門の面汚しめが!!」
父の血管が浮き出た額。
怒鳴り散らすたびに撒き散らされる唾。
そして、離れの狭い室内へと容赦なく充満していく、刺々しい殺気と重苦しい威圧感。
……実に不快だ。
私はシーツの感触を確かめながら、ベッドからゆっくりと体を起こした。
そして、激怒のあまり全身を震わせている父の姿を、冷ややかに観察した。
長年の当主としての公務と重圧、過酷な領地経営、そしてかつて「期待外れの末子」として切り捨てた私への無意識の苛立ちとストレス。
父の身体からは、恐ろしいほどの疲労と、ガチガチに凝り固まった筋肉の痛々しい悲鳴が放たれていた。
特に首筋から肩、そして腰にかけての歪みは重症というレベルを超えている。血流は滞り、神経を圧迫し、慢性的な激痛を日常的に抱えているのが、私の【自動清掃】の洞察力(ノイズ感知)を通すと一目でわかった。
(なるほど……。これほどまでに理性を欠いて怒鳴り込んできたのは、自身の身体の不調――重度の肩こりや慢性腰痛による神経過敏も大きな原因というわけか)
だが、理由がどうあれ、今のこの状況は私の平穏にとって致命的だ。
怒鳴り散らす父親の大音量。
老朽化で軋む屋敷の本館から伝わってくる不快な微振動。
そして、私の完璧な室内空間の湿度と温度を土足で荒らす、父親の荒く熱っぽい息遣い。
すべてが、私の待ち望んでいた「快適な休日」を著しく害している。
これ以上の騒音と悪環境を放置すれば、私の平穏な生活権が完全に侵害され、せっかくの二度寝も台無しになってしまう。
私にとって、自分の「領域」を汚されることほど耐えがたい屈辱はない。
「……溜め息をつくのもエネルギーの無駄ですね」
私は静かに息を吐き出すと、意識をぐっと奥深くへと沈め、集中させた。
これまでは、面倒なトラブルを避けるために、スキルの干渉領域をこの離れの自室というちっぽけな四角い部屋の中だけに留めていた。
だが、邪魔が入るというのなら、邪魔が入らない規模まで「私の部屋」の概念を押し広げてしまえばいいだけの話だ。
私は意識の糸を伸ばし、この部屋の壁をすり抜け、廊下、離れの外壁、庭園、さらには軋みを上げる本館の巨躯にまで、一気に概念の網を網羅させていく。
(定義開始。対象:この離れを含むヴァルハイト家屋敷全域、および敷地境界線内すべて。ここを私の『実家の元自室(広域エリア)』と認定する)
私の思考が境界線を縛り直した、まさにその直後のことだった。
『ズゥン……』
空間の概念そのものが、わずかに揺らいだ。
空気中の魔力が不自然なほど静寂に浸食され、離れの古い木造建築が上げる微小な軋み音さえも、一変して心地よい重奏へと変換されていく。
【部屋で快適に過ごす(ランクF)】という、世間では無能と嘲笑されたスキルの絶対的な領域支配が、今やヴァルハイト伯爵家の敷地全体へと一瞬で波及し始めていた。




