閑話:ある探索者たちのトラウマ
「助けてくれぇぇぇぇっ!!」
俺たち『銀翼の剣』は、死にもの狂いでルミナス平原を疾走していた。
本来なら安全なFランク地域であるはずの場所に、なぜか平原の生態系の頂点たる危険度Bの暴走獣『バイソン・ブラッド』が出現したのだ。
「ひぃぃっ! なんでFランク地域にBランクの魔獣がいるんだよ!?」
「だめだ、追いつかれる! 殺されるぞ!!」
地鳴りのような足音が背後から迫り、命の灯火が消えかけたその時、視界に飛び込んできたのは――平原の真ん中に日よけタープを張り、優雅に冷茶をすする薄汚れた革鎧の少年だった。
「おい、そこの二人! 早く逃げ――」
巻き込むまいと叫びながらその「敷地」へ飛び込み、直後に追撃してきたバイソンが境界線を踏み越えた、その瞬間だった。
『ガ……ッ!?』
猛スピードで突進していた巨大バイソンが、ピタリと宙で硬直した。
次の瞬間、耳を疑うような『シュウゥゥゥ……』という音が響く。まるで目に見えない巨大な粘着ローラーで雑に擦られたかのように、サラサラと光の粒子になって消滅したのだ。
「「「…………は?」」」
残されたのは、寸分の乱れもなく綺麗に整えられた緑の芝生だけ。
あまりの不条理と、理由のわからない絶対的な恐怖に脳の処理が追いつかず、俺たちは短い悲鳴を上げて勢いよく土下座した。
「「「申し訳ありませんでしたぁぁぁっ!!」」」
死にたくない一心で何度も地面に頭を擦り付けた後、俺たちはその場から動くこともできず、膝を揃えた姿勢(正座)のままガタガタと震え続けた。
風に乗って、タープの方から少年の冷徹な声が聞こえてくる。
『放っておきなさい。声をかけるのもエネルギーの無駄です』
(話しかける価値すら許されない……! だが、こうして恭順の意を示し続ければ、かろうじて見逃してもらえるのか……!?)
俺たちは顔面蒼白になり、さらに深く頭を下げた。滝のような汗が吹き出し、手が震えて止まらない。
少年が手元の本を一枚めくるたびに、背筋に激痛のような緊張が走る。
『あのお方が本を読み終えた瞬間、用済みとなった俺たちもゴミとして消掃されるのではないか』――そんな恐怖で生きた心地がしなかった。
だが、本当の悪夢はそこからだった。
地底から響く猛烈な重低音。
平原の奥から押し寄せてきたのは、地平線を埋め尽くす五百を超えるアーマード・オークの大軍勢――王都の騎士団が出動するレベルの大災害『スタンピード』だった。
「ヒィィィッ! 踏み潰される、全滅だぁぁっ!!」
パニックを起こした俺たちは、恐怖のあまり正座のまま地べたを這い回った。群れの中央にはA級変異種『ジェネラル・オーク』の姿もある。あと数分で、この平原ごと俺たちもあの少年も踏みつぶされて塵になる。
そう絶望した、まさにその時だった。
五百の軍勢が目前に迫る中、少年は面倒くさそうに息を吐くと、ポケットから小さな枠組みを取り出し、手慣れた手つきでタープの四隅にパチンと薄い網布を張り始めた。
(死ぬ……マジで踏み潰されて死ぬ……っ! なんでこんな土壇場で、そんな布切れ一枚張ってんだよ……!!)
俺たちの叫びは、次の瞬間、永遠に喉の奥へ押し戻された。
『シュウゥゥゥゥゥゥゥゥ……ッ!!』
突進してきた五百の魔物の濁流が、あのタープの手前ラインに触れた瞬間。
五百の重装甲の巨躯も、巨大なA級変異種すらも。
まるで巨大な粘着ローラーで撫でつけられたホコリのように、足元から一瞬で光の粒子となって削り取られ、空中に消え去ったのだ。
地響きがピタリと止み、平原にはどこまでも青く澄み切った大空だけが残されていた。
「「「………………え?」」」
目の前で起きた出来事のスケールと、それを引き起こした少年の「ただの害虫駆除」とでも言いたげなあまりの脱力感。
その途方もない落差に、俺たちは言葉すら失い、膝から崩れ落ちたまま呆然と固まった。
「よし。午後四時五十分。……そろそろギルドへ向かえば、窓口が混み合う前の五時に到着しますね」
少年は懐中時計を確認すると、手際よくタープと網を畳み、背後で腰を抜かしている俺たちを完全な風景の一部として一瞥もすることなく、静かに王都の方角へ歩き去っていった。
「……なあ。俺たち、生き……てるよな……?」
残された俺たちは、ガタガタと震える手で自分の顔を確かめた。
あの少年が一体何を使ったのか、どんな魔法やスキルなのか、俺たちには何一つ分からなかった。ただ理解できたのは、関わったら最後、理由も分からず存在ごと消されるという理不尽な恐怖だけだ。
俺たちは命があったことに涙を流しながら感謝し、二度とあの気味の悪い平原には近づかないと心に深く誓ったのだった。




