第17話:定刻の報告と、過剰なる神話化
午後四時五十九分。
王都の中央ギルド支部ロビーは、不穏な報せによって異様な緊張感と怒号に包まれていた。
いつもなら一日の依頼を終えた探索者たちで賑わうはずの時間帯。しかし、奥の執務室から転げるように飛び出してきた職員の悲鳴によって、館内の空気は一瞬で氷点下まで凍りついた。
「ぎ、ギルド長! 探知班より緊急報告です! ルミナス平原にて大規模な魔物の大暴走が発生! その数、推定五百を超える軍勢です!」
連絡係のスカウトが血相を変え、息を切らして中央カウンターへ駆け込んでくる。彼が抱えていた羊皮紙の記録シートには、魔力探知陣が弾き出した異常な赤点群がびっしりと印字されていた。
ロビーにいた探索者たちが一斉にざわめき、顔から血の気が引いていく。五百の軍勢による大暴走など、直撃すれば王都の防壁すら容易に破られかねない未大の惨事だ。
「何っ!? スタンピードだと!? 直ちに館内にいるA級探索者隊を総動員しろ! 都市防衛隊へも至急、出動要請の伝心を――」
「い、いえ! 既に消滅いたしました!」
「……は?」
ギルド長が間抜けな声を上げる。額に浮き出た大量の汗を拭うことすら忘れ、スカウトの肩を掴んで身を乗り出した。
「消滅……? 一体何を言っているんだ。五百の魔物がそう簡単に消えてたまるか!」
「本当です! ほんの数秒前まで探知盤の針を振り切っていた五百の巨大魔力反応が……まるで最初から存在しなかったかのように、一瞬で、完全に『消失』いたしました! 魔法の広域殲滅痕すら観測されず、原因は一切不明です!」
「な……なんだと……!?」
ギルド長は開いた口が塞がらないまま、呆然と立ち尽くした。
軍隊を動員してなお数日間の血戦を覚悟すべき事態が、わずか数瞬の間に、原因不明のまま収収束したのだ。館内全体が不気味な静寂に支配される。
そして次の瞬間、ハッと我に返ったギルド長が、正面の重厚な入口の方を振り返った。
『ガララ……』
静まり返る館内に、木製の扉が開く乾いた音だけが響く。
壁に掛けられた巨大な大時計の針が、寸分の狂いもなく午後五時ちょうどを指し示した瞬間だった。
西日の差し込む入口から入ってきたのは、薄汚れた革鎧を着た一人の少年。
周りの緊迫感など一切気にしていない様子で、私はいつも通りの静かな足取りで受付窓口へ向かった。
「失礼します。Fランク依頼『ヒールハーブの採集』の完了報告です」
私が淡々とカウンターへ進み出ると、後ろからはアリスが、なぜか誇らしげに胸を張って付いてきていた。
ギルド長は呆然と私を見つめ、次いで私の後ろでドヤ顔を浮かべるアリスへ視線を滑らせる。ルミナス平原で起きた不可解な現象と、私の帰還。そして同行していたアリスの妙な達成感。
それらを交互に見比べた瞬間、ギルド長の顔からサーッと血の気が引いていった。
リュックから手際よく麻袋を取り出し、木製のカウンターの上へ静かに提出する。袋の口を開けると、指定された十株のハーブが傷一つない完璧な状態で収められていた。
ギルド長は、完全に血の気の引いた顔で私を凝視し、ガタガタと震える指先を向けながら掠れた声で呟いた。
「……アレク・ヴァルハイト。君は……君という男は……! 王都を壊滅させかねない大災害を陰から一人で鎮圧しながら、何事もなかったかのように、一秒の狂いもなく定時に報告に現れるというのか……! なんという……なんという恐ろしい男だ……!」
(……いや、ただの定時退社なのだが)
窓口が混み合う午後五時ジャストに滑り込み、最短の待ち時間で処理を終わらせる。それ以上の意図など微塵もない。
しかし、ギルド長の震える声を聞いた周囲の探索者たちがゴクリと生唾を飲み込み、ざっと尋常ではないどよめきが広がっていった。畏怖と尊敬の混ざり合った視線が、針のように一斉に私へ集中する。
またしても重度の勘違いがギルド中に伝染していくのを感じながら、私は提示された買い取り金の銅貨を手早く受け取り、静かにギルドを後にした。
「ふぅ……今日も無事に定時で終えられたな」
重い扉を閉めると、西の空を朱色に染める美しい夕暮れの風が頬を撫でた。
隣ではアリスが過剰な感動で目を爛々と輝かせ、猛烈な速度で手帳にペンを走らせ続けている。
(まあ、いいか。無駄な労力も使わずに済んだし)
沈みゆく太陽に向かって、私は足取り軽やかに歩き出す。私の頭の中はすでに、明日迎える待望の「完全オフ(休日)」の過ごし方のことでいっぱいだった。




