第14話:撤収拒否の美学と、過剰なる広域清掃
穏やかな時間を引き裂いたのは、突如として地底から響き渡った重低音だった。
ズズズズズ……ッ!
小さな折りたたみテーブルの上のグラスの中で、冷えた麦茶の小波が激しく揺れる。
木々に羽を休めていた鳥たちが、悲鳴のような鳴き声を上げて一斉に空へ舞い上がった。
「ん……?」
私は文庫本から目を離し、水平線へ視線を向けた。
平原の奥、黒々とした森の境界線から、大地を削り取るような巨大な土煙が上がっている。
地平線を埋め尽くしているのは、全身を無骨な黒鉄で固めた二足歩行の巨躯――『アーマード・オーク』の群勢だ。その数、ゆうに数百。
「『スタンピード』……!? バカな、こんな外縁の平原で!?」
正座していた三人組の一人が絶叫を上げ、ガタガタと全身を震わせた。
「おい、早く逃げろ! 街の防衛隊が出動するレベルの大災害だぞ!!」
ズシン、ズシン、と足音が重なり合い、平原全体がまるで巨大な鼓のように振動する。
地響きとともに押し寄せる圧倒的な肉と鉄の濁流は、一国の騎士団すら一呑みに押しつぶすほどの圧迫感を放っていた。
アリスも顔を蒼白にし、懐から筒状の魔導遠眼鏡を取り出すと、素早く群れの中央へレンズを向けた。
「……群れの中心に、通常種の倍以上の体躯を持つ個体がいます。A級変異種『ジェネラル・オーク』……! あの突進速度では、あと三分でこの平原を呑み込み、そのまま街の東門へ衝突します!」
「ヒィィィッ! 踏み潰される、全滅だぁぁっ!!」
パニックを起こした三人組は、恐怖のあまり立ち上がることすらできず、正座したまま無様に地べたを這い回っている。
アリスも腰の小さな杖に手をかけ、引きつった声で私を振り返った。
「アレク様、退避の準備を! タープを畳んで直ちに撤退しましょう! いくらアレク様でも、これほど広大な平原全体をご自身の『部屋』として定義し直すのは、構造上コストがかかりすぎます!」
確かに、アリスの言いたいことは理解できる。
【部屋で快適に過ごす】という私の領域定義は、本来「四方を壁に囲まれた空間」において最も効率よく機能する。
先ほどのように、半径百メートル程度を「一時的な庭園」としてなぞるのが最も省エネルギーな運用であり、平原全体に概念を押し広げようとすれば、相応の集中力と手間を要求されるのは事実だ。
だが――
私は手に持っていたグラスの冷茶を、喉の奥へ静かに流し込んだ。
カチャン、と氷が心地よい音を立ててグラスの底に落ちる。
「アリスさん」
「は、はいっ!?」
「今から逃げるとなると、このタープの支柱を抜き、ふかふかクッションの空気を抜いて折りたたみ、リュックに詰め直さなければなりません」
「え……?」
「せっかく設営した快適な空間を、わずか三分のために撤去し、重い荷物を背負って汗をかきながら走る。……そんな不合理で非効率な労働を、私が受け入れるとお思いですか」
「り、理由が……『設営品の撤収と移動が面倒だから』でございますかーーーっ!?」
アリスの絶叫が、濁流のような地響きを突き抜けて平原へこだました。




