閑話:アリス・フォスターの観測手記
【対象名】 アレク(Fランク探索者)
【観察日時】 本日 昼下がり
【観察場所】 商業区・裏通りの路地裏(安喫茶前)
【観測者】 アリス・フォスター(元・最高峰アカデミー首席/現・アレク様専属観測者)
私としたことが、失態であった。
今朝、ギルドロビーにてアレク様の「専属清掃員(概念的従事者)」としての権利を要求した際、予期せぬ外部からの介入によって、私の肉体は軽度の衝撃を受けた。
即座に最高級ポーションで肉体を完治させ、戦線に復帰したものの……不覚。アレク様とギルド長による「高次元の概念対話」を直に傍聴する機会を逸してしまった。
だが、私の観察眼を甘く見てもらっては困る。
ギルドから歩み出てきたアレク様の歩幅、軸のブレ、呼吸音。すべてが「完全に通常運転」であった。
……お分かりいただけるだろうか?
あの狸で知られるギルド長と直接対峙し、どのような政治的駆け引きや圧力を受けたとしてもおかしくない状況下において、アレク様の脈拍は【毎分58回】を完璧に維持していたのだ。
恐怖も、緊張も、功名心すらもない。
ただ「静寂」と「低コスト」だけを追求するその姿……まさに孤高の絶対者。
私は姿を覆い、気配を殺して路地裏の物陰からアレク様を追跡した。
アレク様が選ばれたのは、商業区の片隅に佇む、客の途絶えた安喫茶。
出されたのは、作り置きのぬるいブレンドコーヒー。
一見すれば、貧しいFランク探索者が惰性で時間を潰しているようにしか見えないだろう。……そう、「凡人」の目には。
しかし、私の観測眼は誤魔化せない。
アレク様が丸テーブルに腰を下ろした瞬間、周囲の空間における「微振動」が完全に停止した。室温、湿度、空気中のホコリの対流速度……そのすべてが、アレク様の意図によって完璧にアジャスト(微調整)されていたのだ。
あれはただのテラス席ではない。
アレク様の超高濃度な精神波によって一時的に切り取られた『神聖なる私室領域』なのだ!
そして、事件は起きた。
『――ピキッ』
路地裏の空間が歪み、現実世界を侵食する凶悪な『ダンジョンアウトブレイク』が発生。
現れたのは、A級以上の脅威度を誇る異形の魔人『深淵の執行者』。
街の人間たちが悲鳴を上げて逃げ惑い、殺気が渦巻く極限状態。
だが、アレク様の表情には微小な変化すら生じなかった。
ただ静かに、紙カップをソーサーに置き、冷ややかな視線を魔人へと向けられただけ。
あのお言葉が、今も私の脳裏で雷鳴のように響いている。
「……人の『部屋』に、靴のまま上がり込むな」
……絶句した。
なんという……なんという圧倒的な権能……!
通常、高階層のボスや魔人といった脅威に対し、人間側は莫大な魔力と物理破壊力をもって「力押し」で対抗するしかない。
しかし、アレク様は違った。
自らが設定した『部屋』という概念空間に対し、不法侵入してきた魔人を物理的脅威ではなく、ただの『害虫・ゴミ』として認識(害獣駆除モード)されたのだ!
世界の法則そのものが、アレク様の「部屋を汚されたくない」という絶対的な意志に屈服した瞬間だった。
『グ、ガガッ……!? なんだこの圧は……ッ!? 潰れ――ぎゃぁぁぁぁぁっ!!』
魔人は反撃の余地すら与えられず、目に見えない空間の圧縮によって、文字通り「掃除機のホコリ」のごとく一瞬でチリへと消し去られた。
わずか、二秒。
世界の存亡を賭けたレベルの災厄が、アレク様にとっては「ぬるいコーヒーにホコリが入るのを防ぐための日常清掃」に過ぎなかったのだ。
……素晴らしい。あまりにも神聖。あまりにも美しい……っ!
過呼吸になりそうなほどの興奮で手元をガタガタと震わせながら、私はメモ帳に猛然とペンを走らせた。紙が破れようとも関係ない。この歴史的瞬間を、一文字たりとも漏らすわけにはいかないのだ。
ふと、アレク様がチラリと私の潜む物陰に視線を向けられた気がした。
あえて追及せず、溜め息と共にコーヒーを啜るその圧倒的な余裕。
すべてを見抜きながらも「ゴミでなければ放置する」という冷徹なまでの合理的無関心。
(……ああ、アレク様……! どこまで私を魅了すれば気が済むのですか……!)
私は確信した。
アレク様こそが、この歪んだ世界の法則を裏から調律する「真の支配者」であると。
観察手記の末尾に、私は震える字でこう書き殴った。
【結論】
アレク様の『部屋』を犯す者は、神であれ魔であれゴミとして掃除される。
私は永遠に、その最前列の観測者(専属清掃員)であり続ける所存である。




