第9話:テラス席の不法侵入者
ギルドでの不快な騒動と、ギルド長の重度な勘違い劇をなんとか受け流し、俺はギルドを脱出した。
ようやく訪れた静寂。
俺は街の裏通りにある、客の少ない安喫茶のテラス席――というか、歩道に申し訳程度に置かれた錆びかけた丸テーブルの席に腰を下ろしていた。
頼んだのは、この店で一番安い、作り置きのぬるいブレンドコーヒーだ。
「ふぅ……一時はどうなることかと思ったが、これで平穏な F ランク生活が送れるな」
一口啜る。苦味ばかりが目立ち、お世辞にも美味いとは言えないが、この安っぽさと無関心な店の空気感が実に落ち着く。
Fランク探索者の義務なんて、月に数回、街の周辺で薬草採集か小型スライムの討伐をする程度だ。リスクも低く、自分のペースで【部屋で快適に過ごす】の概念拡張の実験を続けられる。
「安くて静か。完璧な省エネロードマップだ」
俺が紙カップをテーブルに置いた、その時だった。
『――ピキッ』
空間に、ガラスが割れるような不気味な亀裂が入った。
テラス席の目の前。路地裏の空中の一点が歪み、どす黒い歪んだ空間の裂け目がひらりと開く。
「な……なんだ!?」
「ひぃぃっ!? ダンジョンホールだぞ!」
街の通行人たちが悲鳴をあげて逃げ惑う。悲鳴と怒号が響き渡り、歩道の安テーブルが揺れた。
裂け目から這い出てきたのは、全身から赤黒い蒸気を噴き出し、殺気を撒き散らす異形の魔人だった。ダンジョンのルールを無視し、現実世界へ直接侵入してくる『ダンジョンアウトブレイク』の尖兵――『深淵の執行者』だ。
『ハハハハ! 愚かな人間どもめ! この街を深淵の贄とな――』
魔人が凶悪な高笑いを上げ、周囲に破壊の波動を撒き散らそうとした、まさにその瞬間。
俺はカップをソーサー(というかただの紙皿)に静かに戻し、冷ややかな視線を魔人に向けた。
(……おい。せっかくのぬるいコーヒーにホコリが入るだろ)
そこは、俺が快適にコーヒーを楽しむために、周囲の環境をあらかじめアジャスト(微調整)していた『俺の部屋(屋外一時拡張領域)』だった。室温22度、湿度50%、そして不法侵入者の排斥機能を弱めに常時展開していた領域だ。
「……人の『部屋』に、靴のまま上がり込むな」
【スキル:部屋で快適に過ごす(害獣駆除モード)】
瞬間。
『――――ガッ!?』
魔人の高笑いが凍りついた。
彼の全身を包んでいた凶悪な深淵の魔力が、スキルの『害獣除け・不法侵入者自動排除』の判定を受け、目に見えない強烈な「空間の圧迫」によって一瞬で圧縮されていく。
『グ、ガガッ……!? なんだこの圧は……ッ!? 潰れ――ぎゃぁぁぁぁぁっ!!』
悲鳴を残し、A級以上の脅威であるはずの魔人は、まるで巨大な掃除機に吸い込まれる一粒のホコリのように、一瞬でチリとなって消滅した。
空間の裂け目も、ベランダの網戸を閉めるような感覚で綺麗さっぱり『自動清掃』されて塞がっていく。
わずか、二秒。
街を恐怖に陥れるはずだった災害は、誰にも気づかれることなく「掃除」されたのだった。
「ふぅ……。」
俺はコーヒーを一口啜り、溜め息をついた。
「ただでさえぬるいコーヒーが、完全に冷めるかと思った」
周囲の人々は「え? 今何かいたか?」「気のせいか?」と首をかしげている。
物陰からその光景を見ていたアリスが、過呼吸を起こしそうな勢いでガタガタとペンを震わせながらメモを取っていたが……まあ、見なかったことにしよう。
無駄な争いはしない。
だが、俺の「快適な時間」を邪魔するゴミは、容赦なく排除する。
それが、世界で最も快適な探索者を目指す俺の、譲れないルールなのだから。




