第36話 賭け
誰も最初からガチャをしたい訳じゃない。
少なくともケニーはそうだった。
五ヶ月前。
ネオマイアミの入市審査に落ちた。
理由は父親だった。
麻薬密売。
前科持ち。
本人は関係ない。
だが家族だった。
それだけだった。
だから金融街へ来た。
最初は一年だけのつもりだった。
金を貯めて。
船を買って。
ハバナへ行く。
そのはずだった。
五ヶ月経った。
何も変わらなかった。
今日も金融街。
明日も金融街。
来月も金融街。
たぶん来年も。
「本当にやるのか」
向かいに座る男が言った。
名前はマック。
元港湾労働者。
「今さらだろ」
別の男が笑う。
女が一人。
老人が一人。
そしてケニー。
五人。
全員が同じ理由でここにいる。
人生を変えたい。
それだけだ。
ガチャタワー。
崩壊前のHELIOS本社。
今では金融街で最も嫌われている建物の一つだった。
「昨日も帰れた」
女が言う。
「今からでも遅くない」
誰も答えない。
全員が同じことを考えていた。
今日やる。
やっぱりやめる。
明日やる。
やっぱりやめる。
その繰り返しだった。
「ユーフォリア見たことあるか?」
老人が聞いた。
「港で一人」
マックが答えた。
「どうだった」
「ずっと笑ってた」
「幸せそうだったな」
沈黙。
「企業の車にも乗ってた」
「軍警とも話してた」
「だから俺は思った」
マックは笑った。
「当たりだったんだろうなって」
実際は誰も知らない。
その男がどこへ行ったのか。
何をされたのか。
今も生きているのか。
だが金融街では噂だけが生き残る。
「レイジャーは嫌だ」
女が言った。
「フェイダーもな」
「だったら当たりを引くしかねえ」
マックが答える。
反論できる人生なら。
そもそもここにはいない。
老人がリュックから瓶を取り出した。
黒いガラス瓶。
中には粘り気のある液体が入っている。
「黒蜜か」
ケニーが呟く。
「ああ」
老人は頷いた。
「軍警研究所流れだ」
「本物なんだろうな」
女が聞く。
「売人はそう言ってた」
老人が答える。
誰も笑わなかった。
本物かどうか。
誰にも分からない。
だからガチャだった。
前に買った奴はフェイダーになった。
別のロットではユーフォリアが出たらしい。
レイジャーになった奴もいる。
全部噂だ。
全部本当かもしれない。
「乾杯でもするか」
マックが言った。
誰も笑わなかった。
五人は瓶を受け取る。
黒蜜。
石油にも見える。
腐った蜂蜜にも見える。
甘ったるい臭いの奥に。
何か別の臭いが混じっていた。
怖かった。
吐きそうだった。
帰りたかった。
だが。
誰も動かなかった。
「せーの」
女が言った。
そして。
全員が飲んだ。
黒蜜は異様に甘かった。
喉に張り付く。
胃の奥へ落ちていく。
数秒。
何も起きない。
「……何だ」
老人が言った。
「ハズレか」
その瞬間だった。
マックが喉を押さえた。
咳。
咳。
咳。
咳。
床に倒れる。
「おい!」
ケニーが近寄る。
マックが顔を上げた。
目が真っ赤だった。
涙ではない。
血だった。
「助け――」
言葉は最後まで続かなかった。
絶叫。
女も叫ぶ。
老人も叫ぶ。
全員だった。
骨が軋む。
肉が裂ける。
爪が伸びる。
理性が崩れる。
怒り。
怒り。
怒り。
それだけが残る。
数分後。
地下には五体のレイジャーがいた。
誰も当たりを引けなかった。
そして。
金融街全体が揺れた。
轟音。
崩落。
窓ガラスが割れる。
床が傾く。
遠くで悲鳴が響く。
レイジャー達は同時に顔を上げた。
人間だった頃には聞こえなかった音。
崩れゆく金融街の向こう。
無数の命の気配。
そして。
獲物の匂い。
五体はゆっくりと動き始めた。




