第34話 難民
人影は逃げなかった。
向こうもこちらを見ていた。
崩れたコンテナの隙間。
錆びた鉄骨の陰。
数人。
武器を持っている。
マスタングがゆっくり手を上げた。
「イーグルズだ」
沈黙。
やがて向こうから声が返る。
「だったら証拠を見せろ」
「相変わらず堅ぇな」
マスタングは鼻で笑った。
「サニーって女、覚えてるか」
少し間。
「……ああ」
「去年、青券二枚貸してやった」
「で、返したか?」
「返すタマなら貸してねえよ」
向こうで誰かが吹き出した。
張り詰めていた空気がわずかに緩む。
「通れ」
人影の一人が顎で合図した。
案内された先は高層ビルだった。
崩壊前は証券会社だったらしい。
低層階は完全に浸水している。
住人たちは二十階より上で暮らしていた。
エレベーターは当然動かない。
階段を上る。
十五階。
二十階。
二十三階。
途中でロイドが息を切らした。
「なんだこの罰ゲーム……」
「毎日だ」
案内人は振り返りもせず言う。
「そのうち脚が慣れる」
「脚より先に心が折れる」
ようやく居住区へ着く。
想像していたより整っていた。
簡易農園。
雨水タンク。
漁網。
太陽光パネル。
工具置き場。
そして子供たち。
五十人ほどの共同体だった。
会議室だった場所へ通される。
部屋の奥にいた老人がマスタングを見る。
「まだくたばってなかったか」
「そっちこそな」
「しぶとさだけが取り柄でね」
二人は握手もしない。
だが初対面ではなかった。
カイは少し驚く。
「知り合いだったのか」
「腐れ縁だ」
マスタングが答えた。
「こいつら、前は別の場所にいた」
老人が鼻を鳴らす。
「いた、じゃない。追い出されたようなもんだ」
「移った理由は?」
モーゼスが聞く。
「あそこはもう住む場所じゃない」
老人は窓の外へ目を向けた。
「盗賊がうろつく」
「顔を隠した連中も増えた」
「レイジャーまで寄ってくる」
「だから金融街へ逃げた。それだけだ」
窓の向こうには沈んだ金融街。
かつて世界の金が集まった場所。
今は難民の住処だった。
「それで?」
老人が視線を戻す。
「何を漁りに来た」
「サルベージだ」
マスタングが答えた。
「ついでに金属探知機の試運転」
老人は喉の奥で笑った。
「十年遅ぇ」
「やっぱそうか」
「旨い物はとっくに骨までしゃぶられてる」
カイは周囲を見る。
壁には工具。
配管。
古い船外機。
明らかにサルベージ品だ。
「誰が持っていった?」
モーゼスが尋ねる。
「俺たち」
「軍警」
「企業」
老人は指を折る。
「あとガチャ組どもだな」
ロイドが顔を上げる。
「ガチャ?」
老人の顔が露骨にしかめられる。
「救いようのない阿呆どもだ」
部屋の空気が少し重くなる。
「まだ生き残ってるのか」
マスタングが低く言う。
「むしろ増えてる」
老人は窓の外を顎で示した。
遠く。
別の高層ビルが見える。
窓は板で塞がれ。
屋上には見張り台らしき影。
「あそこだ」
「何がいる」
「ガチャ組」
老人は吐き捨てる。
「澱を浴びてユーフォリアになろうって連中だ」
ロイドが言葉を失う。
「正気かよ……」
ガチャとは文明崩壊前の外国語らしい。
「正気なら最初からやらん」
老人は肩をすくめた。
「あいつらは夢を買ってる」
「ユーフォリアになれば痛みも恐怖も鈍る。力もつく」
「外れたら?」
カイが聞く。
「レイジャー」
老人は即答した。
「理性を捨てて終わりだ」
「フェイダーになる奴もいる」
「当たりならユーフォリア」
「大外れならレイジャー」
「フェイダーはその中間だな」
ロイドが顔をしかめた。
「全然割に合わない」
「まともな頭ならそう考える」
老人は苦笑した。
「だが一人でも当たりを見ちまうと駄目だ」
「それに――」
老人は少し声を落とした。
「とびきりの大当たりもあるって話だ」
「セドヴードゥーか」
マスタングが先に言った。
部屋が静かになった。
「本当にいるのか?」
コックローチが聞いた。
「さあな」
老人は首を振る。
「俺は見たことがない」
「だが噂だけは昔から消えん」
「レイジャーに囲まれても噛まれない奴」
「フェイダーを使い走りにする奴」
「ユーフォリアを集める奴」
「澱そのものを手懐ける奴」
老人は窓の外を見る。
「あいつら三種類は妙なところで争わん」
「レイジャーも」
「フェイダーも」
「ユーフォリアもだ」
「だからもしセドヴードゥーなんてものが実在するなら――」
一度言葉を切る。
「もう人間の側にはいないんだろうよ」
カイは窓の外のビルを見た。
夕日に照らされた隔離棟。
そこには、自ら怪物になろうとしている連中が暮らしている。
「そうだ」
老人がふと思い出したように言う。
「最近、妙な客も来てる」
マスタングの目が細くなる。
「顔を隠した連中か」
「ああ」
老人は頷く。
「十人ほど」
「金融街の奥をうろついてる」
「何を探してる」
モーゼスが聞く。
「知らん」
老人は首を振った。
「だがな」
一度言葉を切る。
「連中、何かを見つけた顔をしてた」
部屋が静かになった。
マスタングは窓の向こうの超高層ビル群を見つめていた。
その表情を見て、カイは初めて思う。
この男は本気で何かを探しに来たのかもしれない、と。




