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第28話 エステバン・ルイス



 海はまだ青かった。


 夜風は暖かく、


 波は穏やかだった。


 巨大なクルーザーの甲板では音楽が流れている。


 シャンパン。


 高級スーツ。


 宝石。


 笑い声。


 HELIOS ATLANTIC創立記念パーティ。


 マイアミ湾には無数の灯りが浮かんでいた。


 観覧車。


 高層ビル。


 ホテル群。


 後にネオマイアミとなる街だった。


「エステバン!」


 誰かが呼ぶ。


 振り返ると取引先の男がグラスを掲げていた。


「景気はどうだ?」


「忙しいですよ」


 エステバンは笑顔を作る。


「それは結構だ」


 男は肩を叩く。


「これから十年は安泰だ」


「物流は伸びる」


「エネルギーも伸びる」


「HELIOSの時代だ」


 男は笑う。


 周囲も笑う。


 だがエステバンは笑えなかった。


 港湾管理部。


 上層部直属。


 その立場は、普通の社員には見えない数字を見せる。


 輸送量。


 難民流入。


 海面上昇。


 保険会社の内部予測。


 暴動発生件数。


 沿岸部放棄計画。


 どれも悪化していた。


 しかも年々。


 誰もが成長を語る。


 だが裏では、皆が逃げ道を探している。


 そんな数字だった。


 エステバンは海を見る。


 遠くで雷が光った。


 最近こういう嵐も増えている。


 ニュースでは異常気象と言う。


 だが社内資料では違う。


 恒常化。


 そう書かれていた。


「暗い顔してるな」


 声がした。


 上司だった。


 副部長のグラント。


 六十代。


 白髪。


 高価な腕時計。


 いつも余裕のある男だった。


「少し疲れてまして」


「真面目すぎるんだ」


 グラントは笑う。


「今夜くらい楽しめ」


 そう言いながらも、その目は笑っていなかった。


「少し来い」


 二人は甲板の喧騒から離れる。


 関係者専用区画。


 音楽が遠くなる。


 グラントは周囲を確認してから口を開いた。


「例の案件だ」


 エステバンは眉をひそめる。


「湿地の件ですか」


 グラントの表情が変わる。


「その名前を口にするな」


「失礼」


「最近余計な質問が増えている」


 グラントは低く言った。


「研究施設のことだ」


「輸送記録に不自然な部分があります」


「見なかったことにしろ」


「ですが――」


「見なかったことにしろ」


 同じ言葉だった。


 エステバンは黙る。


 ここ数ヶ月。


 奇妙な案件が増えていた。


 通常記録に残らない輸送。


 武装警備。


 政府職員。


 企業役員。


 そして大量の研究機材。


 行き先はいつも同じだった。


 湿地。


 マイアミ郊外の研究施設。


「明日、現地確認だ」


 グラントが言った。


「私が?」


「お前しか信用できん」


 その言葉に違和感を覚える。


 信用。


 本当にそうだろうか。


 単に都合が良いだけではないのか。


 グラントは再び笑顔を作った。


「仕事だ」


「終われば昇進も考えてやる」


 音楽が聞こえる。


 笑い声も。


 だがエステバンには遠く感じた。


 海の向こうで再び雷が光る。


 誰も気にしていない。


 誰も見ていない。


 だがエステバンだけは、


 何かが始まろうとしている気がしていた。

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