EP 9
「……おい。何やってんだ、お前」
俺が呆れ果てた声を出しても、その銀髪のウサギは手を止めようとしなかった。
ポポロ村、村長宅の裏庭。
つい先ほど、リバロンがネクタイの刃で手足を叩き切った内調の特務部隊員たち。
俺との通信が終わり、絶望と激痛で気絶していた彼らの傷口に、キャルルが淡い光を纏わせた手を当てていた。
「だって、すごく痛そうだったから……」
キャルルは上目遣いで俺を見上げながら、小さな手で丁寧に男たちの止血を行っている。
怪我をした小鳥を撫でるのと同じ、慈愛に満ちた手つきで。
「あのな。こいつらはお前を麻酔で眠らせて、拉致しようとした暗殺者だぞ? なんで被害者が加害者の治療をしてやってんだ。お前、本当に商売の基本ってものが分かってねぇな」
「うーん……でも、怪我をしてる人を放っておくのは、めっ! だよ?」
キャルルがふわりと微笑むと、男たちの折れた手足がみるみるうちに繋がり、呼吸が落ち着いていく。
……マジで、頭が痛くなってくる。
俺はスーツのポケットから新しいコーヒー飴を取り出し、口に放り込んだ。
ガリッ。
奥歯で飴を粉砕し、甘苦い味で脳内のストレスを強引に中和する。
自分が傷つけられようとしたのに、相手の痛みを優先する。
理不尽なまでの『無償の愛』。
だからこそ、俺の冷徹な算盤は狂わされたわけだが……これでは俺がいくら外敵を追い払っても、キリがない。
「リバロン、こいつらを縛り上げて倉庫に放り込んどけ。傷は塞がったが、精神的なショックで当分は起き上がれねぇだろう」
「御意に。……しかし義正様。先ほどの日本の背広組、おとなしく引き下がるとは思えませんが」
「ああ。遠からず、必ず次の手を打ってくる」
俺が眉間を揉みほぐしていると、村の境界線に張り巡らされた魔導センサーが微かな反応を示した。
リバロンが懐中時計を取り出し、スッと目を細める。
「……義正様。森の入り口に、新たな来訪者です」
「自衛隊の本隊が動いたか?」
「いえ。武装した部隊ではありません。……たった一人、丸腰の女性が歩いてこちらへ向かってきています」
俺は目を疑った。
未知の異世界、それもつい先ほど特殊部隊が壊滅したばかりの最前線に、丸腰の女が一人でやってくるだと?
「……面白ぇ。出迎えてやる」
*
森の境界線、鬱蒼とした木々の合間に、その女は立っていた。
アースカラーの落ち着いたスーツ。
胸元には、アンティーク調の控えめなブローチ。
霞が関の官僚にありがちな、鉄仮面のような冷たさはない。
むしろ、休日に古着屋や陶芸市を巡っているような、どこか穏やかで不思議な空気を纏っていた。
だが、俺の『商人としての目』は誤魔化せない。
その穏やかな立ち姿の奥には、備前焼のように高温で焼き締められた、決して折れない強靭な芯がある。
「あなたが、力武義正さんですね。お噂はかねがね」
女は俺の姿を認めると、深く、そして美しい所作で一礼した。
「内閣府 政策統括官付、日野輝夜と申します。この度は、我が国の非礼と蛮行により、ポポロ村の皆様に多大なご迷惑をおかけしたこと……心より、深くお詫び申し上げます」
輝夜は頭を下げたまま、一切の言い訳をしなかった。
俺は腕を組み、冷ややかな視線で彼女を見下ろす。
「……謝罪に来たってわけか。霞が関の役人が、随分と殊勝なこって。だが、言葉だけの謝罪なら円以下の価値もねぇぜ。俺は商人だ。実入りのない話なら帰ってもらう」
「ええ、分かっています。ですから、私は『対話』をしに参りました。脅しや暴力ではなく、真の国益のための商談を」
輝夜が顔を上げる。
その瞳は、底知れないほど深く、そして澄み切っていた。
「力武さん。若林幹事長の暴走は、私が止めます。その代わり、日本国とポポロ村との間で、正式な『国交』と『技術協力』のテーブルに着いていただきたいのです」
「はっ。綺麗事を並べるなよ。結局のところ、狙いはキャルルの治癒能力と、この特区の資源だろうが」
俺は一歩踏み出し、わざと威圧感を放ちながら彼女を見据えた。
並の役人なら、この眼光だけで足がすくむはずだ。
「いいか、日野輝夜さんよ。この村は俺の盤面だ。あのお人好しのウサギを、てめぇら大国のモルモットにする気は毛頭ねぇ。帰れ」
「……ええ。彼女の『無償の愛』は、決して搾取されてはならない光です」
輝夜の言葉に、俺は一瞬、眉をひそめた。
「暗闇の中で迷い、怯えて泣く人々を、優しく照らし続ける月。……キャルル村長は、そんな存在なのでしょう。だからこそ、あなたは冷徹な算盤を捨ててまで、彼女を守ろうとしている」
輝夜は夜空を見上げるように、静かに微笑んだ。
その表情には、計算や打算の欠片もない。ただ純粋な『祈り』のようなものが込められていた。
「人は、自分一人では輝けません。現代の冷たいシステム(暗闇)の中で、多くの人が本当の自分を忘れてしまっている。……私は、そんな彼らが、夜に月を見上げながら、皆で笑って酒を飲める世界を作りたいのです」
「……」
「力武さん。あなたの算盤は、彼女を守るための最強の盾です。……ですが、いつか必ず、大国の物量と悪意の前に軋みを上げる時が来る」
輝夜は再び俺に向き直り、静かに、だがはっきりと告げた。
「だからこそ、私と『共犯』になりませんか。……日本の強欲な政治家たちを内部から食い破り、ポポロ村の独立を地球の法律で完全に保証する。そのための『最強のカード』を、私があなたに提供します」
ガリッ。
俺は無意識のうちに、口の中のコーヒー飴を噛み砕いていた。
甘苦い味が弾ける。
こいつは、ただの理想主義者じゃない。
地獄のような政治の世界に身を置きながら、本気で『月明かりのような世界』を作ろうとしている、本物の怪物だ。
「……面白い。そのカードってやつの価値、俺の算盤で査定してやるよ」
異世界で最も悪徳な商社マンと、地球で最も純粋な官僚。
決して交わるはずのなかった二つの知性が、今、最強の『共犯関係』を結ぼうとしていた。
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