EP 8
「……貴様、自分が誰を相手に口を利いているのか分かっているのか?」
通信端末の向こう側から響くのは、怒りで震える初老の男の声だった。
凄まじい威圧感と、特権階級特有の傲慢さが声色に滲み出ている。
おそらく、この特務部隊に強引な命令を下した張本人。日本の与党幹事長、若林幸隆だろう。
「相手が誰だろうと関係ない。俺は『ポポロ村』の財務顧問として、正当なビジネスの話をしているだけだ」
俺は倒れ伏す特務部隊員の頭を踏みつけたまま、冷たく言い放った。
「まずは現状の確認だ。お前らの不法侵入部隊は、うちの執事が全員無力化した。こいつらの身柄と、日本の国家最高機密である装備一式は、現在俺たちの手の中にある」
『……ッ!』
「これがお前ら以外の……例えばアメリカのフォークナー司令官や、ロシアのオルロフ大使の耳に入ったらどうなるか。異世界での主導権を握るどころか、国際社会から完全に孤立するぜ。……あんたの政治生命も、そこでおしまいだ」
通信の向こうで、ギリッと歯を食いしばる音が聞こえた。
政治家にとって、スキャンダルと失脚は何よりも恐ろしい。俺は相手の最も痛い腹を、的確に蹴り上げている。
『……要求は何だ』
数秒の沈黙の後、若林が低く唸るように言った。
妥協の言葉を引き出した瞬間、俺の脳内で高速の算盤が弾かれる。
「第一に、ポポロ村の絶対中立と不可侵の確約。今後、自衛隊だろうが特務機関だろうが、この村に武力による干渉を一切行わないこと。第二に、今回の『不法侵入』に対する迷惑料と、うちの村長を怯えさせた精神的苦痛に対する『慰謝料』の支払いだ」
『……民間人風情が、国家に賠償金を要求する気か?』
「俺は商人だ。受けた損害は一円の単位まできっちり請求書に載せる主義でね。……ああ、支払いは日本円でも金塊でもいいぞ。後で口座を教えてやる」
若林は深い溜息をついた。
それは屈服ではなく、後で確実に俺を社会的に抹殺するための、一時的な時間稼ぎの溜息だ。政治家なら当然の判断だろう。
この場は要求を呑んだフリをして捕虜を解放させ、後から大義名分を作って村ごと爆撃する。そんな算段が透けて見える。
『……よかろう。その条件、日本国政府の代表として、この若林幸隆が正式に合意する。ただちに部隊を解放し――』
「商談成立だ。あんたが『合意した』。その言葉、確かに録音させてもらったぜ」
俺は不敵に笑い、端末に向かって宣告した。
「――義契、成立」
『……は?』
通信越しであっても、相手が明確な意思を持って『合意』した以上、俺のユニークスキルは発動する。
口約束レベルの契約なら、ペナルティは『一週間の完全硬直』といったところか。だが、分刻みで動く国のトップにとって、一週間指一本動かせなくなる呪いは、政治的な死を意味する。
「いいか、若林幹事長。これは魔法契約だ。もしあんたが不可侵の約束を破り、再びこの村に牙を剥いた瞬間……あんたの体は石のように固まり、一週間のあいだ公の場に出ることすらできなくなる」
『な、何を馬鹿な……!? 非科学的な妄言を――』
「妄言かどうか、試してみるか? そっちが少しでも敵対行動を起こした瞬間、あんたは国会議事堂のど真ん中で石像に変わるぜ」
俺の言葉に、通信機越しに荒い息遣いが聞こえた。
【義契取引】のパスが繋がったことで、若林自身も自分の体に巻き付いた『目に見えない呪縛』を本能で感じ取ったのだろう。
俺は通信端末を無造作に地面へ放り投げ、革靴の踵で容赦なく踏み砕いた。
バキィッ!と電子部品が砕け散る。
これで、日本の強欲なトップとの最初の『交渉』は終わった。
俺はスーツのポケットからコーヒー飴を取り出し、口に放り込む。
ガリッ。
甘苦い味が、仕事終わりの脳に心地よく染み渡る。
「……見事な手腕です、義正様。これでしばらくは、日本の背広組も身動きが取れないでしょう」
リバロンが恭しく一礼する。
「ああ。だが、あくまで時間稼ぎだ。口約束の契約じゃ、いつかは抜け穴を探してくる」
俺は砕けた通信機を見下ろしながら、小さく息を吐いた。
キャルルの無償の愛を守るためには、一時的な脅しではなく、地球の国々を完全に組み伏せるだけの確固たる『経済的・軍事的な基盤』が必要だ。
だが、今はこれでいい。
俺の算盤が、この村に平穏な時間を取り戻したのだから。
*
*
*
【東京・霞が関 内閣府庁舎】
「……ッ、が、ああああっ……!?」
執務室の高級レザーチェアに深く腰掛けていた若林幸隆は、自身の喉を掻きむしりながら、咥えていた最高級のコイーバ(葉巻)を床に取り落とした。
通信が途絶えた直後。
彼の体を、鉛のような異常な重圧が襲ったのだ。
(なんだ、この感覚は……!? 息が、腕が、重い……ッ!)
「お怪我はありませんか、若林幹事長」
苦悶する若林の背後から、静かな声が響いた。
扉を開けて入ってきたのは、アースカラーの落ち着いたスーツに身を包んだ若い女性。
内閣府政策統括官付、内閣政務官補佐官――日野輝夜だった。
「……輝夜、くんか。なんでもない。少し、貧血を起こしただけだ」
若林は脂汗を拭い、無理矢理に威厳を保って見せた。
だが、輝夜の鋭く、それでいて深い湖のような瞳は、すべてを見透かしているようだった。
「強引な特務部隊の派遣、失敗に終わったようですね」
輝夜は床に落ちた葉巻を拾い上げ、灰皿に置きながら静かに言った。
「武力と脅しで従わせる。それは『地獄』を知らない者のやり方です。……向こうの世界にも、私たちと同じように、懸命に生きている人たちがいる。彼らを暴力で屈服させようとすれば、必ずそれ以上の暴力と反発を招く」
「黙りたまえ! これは国益の問題だ!」
若林が机を叩いて声を荒らげるが、輝夜は全く動じない。
「ええ、国益です。だからこそ、私が参ります」
輝夜は静かに、だが備前焼のように高温で焼き締められた確固たる意志を持って、若林を見据えた。
「武力で奪うのではなく、対話で結ぶ。……暗闇で迷う彼らの足元を照らすため、私が直接、あの特区の『村長』と『財務顧問』にお会いしてきます」
その瞳には、一切の妥協がなかった。
力と策謀で異世界を蹂躙しようとする強欲な政治家たちとは違う。
本気で国と、人々の未来を想う『静かなる革命家』の光。
異世界の大地で冷徹な算盤を弾く悪徳商社マンの前に、地球から、最も厄介で、最も純粋な『光』が歩み寄ろうとしていた。
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