EP 7
商売において最も厄介なのは、現場の状況を無視して強引なトップダウンを仕掛けてくる無能な上層部(背広組)だ。
森の境界線で立ち尽くす坂上信長の悔しそうな顔を背に、俺はポポロ村への帰路を急いでいた。
信長や、その親父である出雲艦隊の総司令官――坂上真一は、間違いなく一流の『現場』だ。彼らは無駄な血を流すことを良しとしない。
だが、安全な東京・霞が関のデスクから指示を出している連中は違う。
異世界を、都合よく搾取できる未開のジャングルか何かと勘違いしている。
圧倒的な暴力と権力で脅せば、すべてが思い通りに動くと思い込んでいるのだ。
「……ナメられたもんだな」
スーツのポケットからコーヒー飴を取り出し、口に放り込む。
ガリッ。
甘苦い味が口内に広がる。
この世界の『地獄』を知らない背広組どもに、極上の請求書を突きつけてやる。
俺の頭の中で、冷徹な算盤が高速で弾かれ始めていた。
*
その頃、ポポロ村の村長宅の裏庭。
「フクロウさん、もう怪我は痛くない? うんうん、よかったぁ」
キャルルは、森で羽を怪我していた鳥に月光薬の薄め液を塗り、優しく撫でていた。
村の防衛システムの内側とはいえ、相変わらず危機感というものが欠落している。
その平和な光景の背後、木々の影から、音もなく四つの黒い人影が忍び寄っていた。
日本の内閣情報調査室――通称『内調』が放った、非公認の特務部隊だ。
彼らは最新鋭の暗視ゴーグルと、消音器付きのサブマシンガンを構え、一切の足音を立てずにキャルルとの距離を詰めていく。
標的は、無防備なウサギの少女。
麻酔弾を撃ち込み、袋に詰めて回収するだけの簡単な任務のはずだった。
「――おや。アポなしの訪問とは、いささかマナーに欠けますね」
不意に、彼らの背後から極めて流暢な日本語が響いた。
「なッ……!?」
特務部隊のリーダーが振り向いた先。
そこには、純白の手袋と完璧に仕立てられた執事服を身に纏った人狼族の男――リバロンが、銀のトレイにティーカップを乗せて静かに立っていた。
「標的の護衛か! やれ!」
リーダーの短い号令とともに、三つの銃口が一斉にリバロンに向けられ、くぐもった発砲音が連続して鳴り響いた。
パパパパパッ!!
現代兵器の銃弾の雨。
だが、リバロンは表情一つ変えず、トレイを持たないもう片方の手で、自らの背広の裾をふわりと翻した。
カンッ! キィンッ!
「……は?」
特務部隊の男たちが、信じられないものを見たように目を剥く。
薄い布切れであるはずの背広が、放たれた銃弾をすべて弾き返したのだ。
リバロンの爆発的な闘気を纏わせた絶対防御、『オーラ・シールド』である。
「暴力は最終手段であり、真の戦いは日常にある。……クラウゼヴィッツの『戦争論』における私の解釈です。お客様方は、いささか短絡的すぎますね」
リバロンは優雅にトレイを切り株の上に置くと、懐から一枚の真新しい名刺を取り出した。
「ポポロ村宰相、リバロンと申します」
シュッ!
指先で軽く弾かれた名刺が、時速三百キロを超える斬撃となって宙を飛ぶ。
「ぐあああっ!?」
名刺は、隊員の一人が構えていたサブマシンガンの銃身を豆腐のように両断し、そのまま防弾のタクティカルベストごと男の胸を深く切り裂いた。
「バケモノか……ッ! 散開しろ! 距離を取って――」
リーダーが叫んだ瞬間、リバロンはすでに彼らの懐に潜り込んでいた。
人狼族の『縮地』とも呼べる神速の歩法。
リバロンは首元のネクタイをスッと引き抜き、そこに膨大な闘気を流し込む。
柔らかいシルクのネクタイが、鋼鉄の直刀へと変貌した。
「マキャヴェリは言いました。目的のためには冷徹な処断が必要である、と」
閃刃。
ネクタイの刃が鞭のようにしなり、残る三人の膝の腱と、銃を持つ手首を正確に、かつ致命的に打ち砕いた。
「ぎぃあっ……!!」
「あ、あぁ……ッ」
わずか十秒。
日本の国家最高機密である特務部隊は、異世界の『執事』ただ一人によって、為す術もなく完全に無力化され、地面に転がっていた。
「……おや、お客様がお見えだったのね」
背後の騒ぎに気づいたキャルルが、パチパチと目を瞬かせながら振り返る。
「ええ。ですが、道を間違えられたようなので、すでにお引き取り願うところです。村長はどうぞ、そのまま鳥たちの相手をしてあげてください」
「そっか。気をつけて帰ってねー!」
キャルルは地面で呻く黒ずくめの男たちに向かって無邪気に手を振ると、再び鳥の世話に戻っていった。
*
俺が村長宅の裏庭に到着した時、事態はすでに『清算済み』だった。
「お疲れ、リバロン」
「義正様。ネズミの駆除、完了しております」
リバロンは血のついた名刺をハンカチで拭き取りながら、恭しく一礼した。
地面には、四人の特務部隊員が手足を砕かれ、脂汗を流しながら転がっている。
俺はリーダー格の男の胸倉を掴み、乱暴に仰向けにひっくり返した。
そのタクティカルベストのポケットから、点滅している特殊な通信端末を抜き取る。
ご丁寧に、本国の霞が関――あるいは若林幹事長の直通ラインと繋がったままになっているらしい。
俺は端末の通話ボタンを押し、冷たい声で語りかけた。
「聞こえてるか、東京の背広組さんよ」
通信の向こう側で、息を呑む気配がした。
「……誰だ、貴様は。我が国の特務部隊に何をした」
低く、威圧的な声。若林本人か、その側近かはどうでもいい。
「俺は力武義正。この村の財務顧問だ。……あんたらの差し向けた買収(M&A)部隊だがな、ずいぶんとマナーが悪かったんで、うちの執事が丁重にお断りさせてもらった」
俺は地面で呻くリーダーの頭を、革靴の踵で軽く踏み躙りながら続ける。
「現場の指揮官の頭越しに、コソ泥みたいな真似をしてまで手に入れたかったんだろうが……相手が悪かったな。俺たちは、不当な敵対的買収には徹底的に抗戦するぜ」
『……たかが民間人が、日本国を相手にケンカを売る気か? 貴様の国籍が日本であるなら、国家反逆罪で――』
「寝言は寝て言え」
俺は、相手の言葉を冷たく遮った。
「こっちには、あんたらの部隊が民間人の村を不当に襲撃したという『確たる証拠(捕虜)』がある。これを国際社会……それこそ、オンライン会議に出ていたアメリカやロシア、中国にリークしたらどうなると思う?」
通信の向こうで、ギリッと歯ぎしりする音が聞こえた。
日本の独走、それも失敗という大失態は、他国にとって最高の外交カードになる。
「俺は商人だ。平和的な解決を望んでる。……これから俺の言う『条件』を呑むなら、この捕虜の命と情報は秘匿してやる」
俺は口の中で、コーヒー飴の最後の欠片を噛み砕いた。
「さあ、商談の続きを始めようか。お前らの大好きな『政治』と『経済』のルールで、根こそぎ搾り取ってやる」
地球の軍事力には、異世界の武力と防衛線で。
地球の政治力には、俺の『算盤』と『契約』で。
ここから先は、俺のターンだ。




