EP 6
数十の銃口が、一斉に俺の眉間や心臓に突きつけられている。
引き金に添えられた指が、わずかに力むのが見えた。
「撃つなよ、銃口がブレてるぜ。……それとも、自衛隊法には『無抵抗の民間人を即座にハチの巣にしていい』なんて項目が追加されたのか?」
静まり返った異世界の森に、俺の流暢な日本語が響き渡る。
その瞬間、迷彩服を着た自衛隊員たちの間に、明確な動揺が走った。
未知のモンスターや原住民を警戒していた最前線で、自分たちと同じ言語を話す、丸の内を歩いているようなダークスーツの男が現れたのだ。無理もない。
「……ッ。総員、ホールド。引き金から指を外せ」
部下たちを低い声で制し、部隊の中央から一人の男が進み出てきた。
年齢は俺と同じ二十代半ば。
鋭い眼光と、迷彩服の上からでも分かる鍛え抜かれた肉体。
手にした20式小銃の銃口は下げているが、その歩法には一切の隙がない。
いつでも俺の喉笛を掻き切れる、実戦を潜り抜けてきた『修羅』の歩き方だ。
「……まさか、こんなわけの分からない世界で、日本人の民間人と出くわすとはな。転移者か?」
「ご名答。俺の名前は力武義正。かつては日本の商社で、鉄鋼やら資源やらを転がしていた。今は背後にある『ポポロ村』の財務顧問を務めている」
俺はゆっくりと手を下ろし、スーツの胸ポケットから名刺入れを取り出した。
相手の部下たちが再び銃を構えようとするが、男が手でそれを制す。
俺は一枚の名刺を取り出し、指先で弾いて男の足元へと飛ばした。
男は視線を落とし、名刺に印字された文字を確認すると、鼻で笑った。
「陸上自衛隊、レンジャー部隊隊長。坂上信長1等陸尉だ」
信長。なるほど、名前負けしていない猛将の面構えだ。
「で、元商社マンの財務顧問サマが、何の用だ? 俺たちは未知の領域を確保し、橋頭堡を築く任務を帯びている。民間人なら、大人しく保護されてろ」
「そいつは無理な相談だ。あんたらにとっては未知の領域だろうが、ここはすでに出来上がった『他人のシノギ』のど真ん中なんだよ」
俺はネクタイを少し緩め、信長を真っ向から見据えた。
「いいか、よく聞け。俺の背後にあるポポロ村は、ルナミス帝国、獣人王国、アバロン魔皇国という三大国の境界線に位置する絶対中立特区だ。おまけに、村の畑にはドンガン地下帝国製のオーバースペックな魔導地雷と自爆ドローンが腐るほど埋まってる」
俺の言葉に、信長の眉がピクリと動いた。
「あんたたちがここから一歩でも踏み込めば、防衛システムが作動して自衛隊員に死傷者が出る。それだけじゃない。この特区が攻撃されたとなれば、均衡が崩れ、異世界の三大国がこぞって地球の軍隊に牙を剥く。……世界大戦の引き金を引きたいなら、前に進め」
森の中に、重苦しい沈黙が落ちた。
自衛隊員たちが、信長の顔を伺う。
「……脅しのつもりか?」
信長の声のトーンが一段下がり、その顔に獰猛な武のオーラが張り付いた。
標準語だった口調に、じわりと広島弁の訛りが混じる。
「民間人が、知ったような口を利くなや。俺ら自衛隊はな、国民に地獄を見せんために、泥水すすって地獄に浸かっとるんじゃ。必要とあらば、どんな地雷原だろうが進む。それが俺たちの仕事だ」
熱い男だ。
兵士としては満点だろう。
だが、盤面を動かす人間としては、いささか視野が狭い。
ガリッ。
俺は口の中に残っていたコーヒー飴を、奥歯で噛み砕いた。
「立派な覚悟だ。だがな、坂上隊長。俺は商人だ。地獄に浸かるんじゃねぇ。交渉と契約で、地獄そのものを『貸借対照表』から消し去るのが俺の仕事だ」
俺はスーツの内ポケットから、羊皮紙と万年筆を取り出した。
「商談をしよう。あんたたちはこの境界線から一歩も踏み込まない。村への不可侵を約束するなら、俺たちは防衛システムを起動させない。……それだけじゃない」
俺は不敵に笑い、信長の後ろにいる疲労困憊の隊員たちを一瞥した。
「あんたたち、さっきから不味そうな携帯食料を齧ってるな。そんな無味乾燥なレーションじゃ、戦意も湧かねぇだろ。契約に合意するなら、村から極上のおでんと、温かい米と塩むすびを部隊全員分、無償で差し入れしてやる。……悪くない取引だろ?」
「……メシで、自衛隊を買収するつもりか?」
「『地域住民との良好な関係構築』と言ってくれ」
信長はしばらく俺の顔を睨みつけていたが、やがてフッと毒気を抜かれたように笑った。
「……いいだろう。本隊の指示を仰ぐまでの間、一時的な停戦と不可侵に同意する。美味いメシが食えるなら、部下たちも文句は言わねぇだろうからな」
信長が歩み寄り、俺が差し出した羊皮紙の覚書にサインを書き入れる。
その瞬間。
羊皮紙から、薄暗い赤黒い光が立ち昇った。
「な……ッ!?」
信長が息を呑み、本能的に後方に飛び退こうとした。
だが、彼の体は目に見えない鎖に縛られたかのように、ズンッと重い圧力を受ける。
俺のユニークスキル【義契取引】のパスが繋がった証だ。
「おい、何を……ッ!」
「安心しろ、ただの『絶対遵守の保険』だ」
俺は羊皮紙を折り畳み、ポケットにしまった。
「お互い、これで裏切りはできなくなった。不可侵を破れば、あんたの部隊は一歩も動けなくなる。……さて、商談成立だ。これで俺たちも、あんたたちも、無駄な血を流さずに済む」
信長は自身の体に残る、因果律を縛るような薄ら寒い感覚に戦慄しながらも、俺という男の底知れなさを正確に悟ったようだった。
「……バケモノが。ただの商社マンが聞いて呆れるぜ」
信長は舌打ちをしながらも、胸ポケットから煙草の箱を取り出した。
『メビウス 10ミリ』のソフトパック。
彼は一本を自分の口に咥え、俺に向かって箱を差し出した。
「吸うか?」
「……メビウスか。懐かしいな。一本もらうぜ」
俺は煙草を受け取り、信長が差し出した金色のオイルライターの火で火を点けた。
紫煙を深く吸い込み、異世界の空に向かって吐き出す。
敵対していたはずの俺たちが、紫煙を共有する。戦場における、奇妙な連帯感だった。
とりあえず、最前線の武力衝突は回避できた。
このまま時間を稼ぎ、日本の政府高官と直接交渉のパイプを繋げば――。
俺の算盤が、最適解を弾き出したその時だった。
「――隊長! 本隊より緊急入電です! ですがこれ、出雲艦隊(親父さん)からの回線じゃありません……防衛省の特命ライン、おそらく内閣府からです!」
通信兵が血相を変えて、信長に無線機を差し出した。
信長の顔が険しくなる。彼は素早く無線を受け取り、耳に当てた。
『――坂上1尉。状況は確認した。相手が日本人だろうが、特区だろうが関係ない』
漏れ聞こえてくるのは、安全な後方にいるであろう、傲慢な背広組(官僚)の声だった。
『若林幹事長からの特命だ。その村には、すべての傷や病を癒やすという『ウサギの女』がいるはずだ。いかなる犠牲を払っても、その女を確保し、日本政府の管理下に置け』
信長の顔が、怒りで夜叉のように歪んだ。
標準語だった彼の口調が、激しい怒りによって完全に親父譲りの『広島弁』へと変わる。
「……寝言は寝て言えや、背広組。こっちは相手と不可侵の交渉をまとめたばっかりじゃ。民間人の村を荒らすような真似、親父(総司令官)が許可するわけ――」
『出雲艦隊の坂上総司令官には、事後報告とする。すでに内調(内閣情報調査室)の特務部隊を、村の背後から侵入させている。君たちはそのまま、正面で囮として待機したまえ』
「なんだと……ッ!? てめぇら、親父の頭越しに勝手な真似を――」
ブツッ、と無線の通信が一方的に切断された。
俺は、咥えていたメビウスを地面に落とし、革靴で踏み躙った。
「……義正」
信長が、絞り出すような声で俺を呼ぶ。
その拳は、ギリギリと音を立てるほど強く握りしめられていた。
「悪い。親父の管轄外で、上が暴走しやがった。……俺は、あんたとの契約がある。ここから一歩も動けねぇ」
「謝る必要はねぇよ。あんたは契約を守った。……むしろ、現場の意向を無視して暴走するような腐った組織に、同情するぜ」
俺は首の骨をボキボキと鳴らし、ポポロ村の方向へ振り返った。
温厚で、誰にでも優しく微笑む、あのウサギの顔が脳裏に浮かぶ。
内調の特務部隊。若林の息の掛かった、政府の汚れ仕事のプロたちか。
俺の女を、盤面も無視して力ずくで奪おうとする輩。
「……リバロン」
俺が低く呟くと、森の影から、殺意を限界まで圧縮した人狼族の執事が音もなく姿を現した。
「お呼びでしょうか、義正様」
「村にネズミが入り込んだらしい。日本の『特務部隊』サマだそうだ。……歓迎してやれ」
「御意。……執事として、村長のお茶の時間を邪魔する害獣は、一匹残らず駆除いたしましょう」
リバロンの目が、暗闇の中で赤く輝いた。
さあ、本当の『防衛戦』の始まりだ。
地球の強欲な政治家どもに、異世界の地獄の深さを、きっちりと請求書に載せて見せてやる。




