EP 3
「待てよ、そこのお役人さん」
俺の声に、広場に集まっていたルナミス帝国の兵士たちが一斉に振り返った。
その中心で、下卑た笑いを浮かべていた徴税官が、苛立たしげに眉をひそめる。
「なんだ貴様は。すっこんでろ、余所者が」
俺は役人の威圧などそよ風ほどにも感じず、ゆっくりと歩み出た。
怯えて身を縮めていたキャルルの前に立ち塞がり、その小さな背中を庇う。
「義正、くん……だめだよ、私が我慢すれば……」
「黙ってろ。お前はすぐ自分を安売りしようとする。商売の基本が全くなってない」
俺はキャルルを軽く小突くと、再び役人へと向き直った。
顔には、前世の商社マン時代に鏡の前で何万回も練習した、完璧な営業スマイルを張り付けている。
「失礼しました。私は力武義正。この村の、しがない財務顧問を務めさせていただいている者です」
「財務顧問だと? ふん、ちょうどいい。だったらお前が払え。今年の税が足りないんだよ!」
役人は軍刀の柄に手をかけ、露骨に武力で脅しをかけてきた。
「払えないなら、このウサギ女か、村の若い娘たちを慰み者として連れて行く。帝国に逆らうってことは、そういうことだ。分かっているな?」
兵士たちが下劣な笑い声を上げ、槍の穂先を俺たちに向ける。
キャルルが俺の背中の服をギュッと握りしめるのが分かった。
あいつの性格だ。自分が犠牲になれば村が助かるなら、本当に付いていってしまうだろう。
だからこそ、俺の出番だ。
「ええ、ええ。よく分かっておりますとも」
俺は胸ポケットから、折り畳んだ羊皮紙の書類と万年筆を取り出した。
「足りない分の金貨は、こちらで耳揃えてご用意いたしましょう。ですが、税を納める以上、互いの合意と『契約』が必要です」
「……契約だと?」
「簡単な手続きですよ」
俺は羊皮紙を広げ、役人の目の前に突きつけた。
「私が金貨を用意する代わりに、貴方には今後一切の『不当な取り立て』を行わないと約束していただきたい。もし違約した場合、相応のペナルティを受ける――という、ごくごく一般的な同意書です」
役人は俺の言葉を聞き、腹を抱えて笑い出した。
「はははっ! 不当な取り立てだと? 俺がルールだ! この俺が帝国そのものなんだよ! いいだろう、そんな紙切れにサインしてやる。だが、期日までに金が用意できなければ、村ごと焼き払ってやるからな!」
役人は万年筆をひったくり、羊皮紙のサイン欄に乱暴に自分の名前を書き殴った。
インクが染み込み、契約の文字が完成する。
その瞬間。
俺の口元から、営業スマイルが完全に消え失せた。
「――義契、成立」
俺が低く呟いた途端、羊皮紙から薄暗い赤黒い光が立ち昇った。
それは目に見えない鎖となって、役人の体をグルグルと縛り上げるように絡みつく。
「な、なんだこれはっ!? 体が、動か……ッ!?」
役人が悲鳴を上げた。
彼の手から万年筆が滑り落ち、地面に転がる。
軍刀に手をかけるどころか、瞬き一つ、指一本すら動かせない完全な硬直状態。
俺のユニークスキル【義契取引】。
俺と交わした契約は絶対であり、違反した者にはその契約の重さに応じた強烈な罰則が強制的に課される。
いかなる魔法も、ステータスも関係ない。因果律そのものを縛る、最凶のチートスキルだ。
「おいおい、どうしたんですかお役人さん。急に黙り込んで」
俺は動けなくなった役人の顔を覗き込み、冷たく笑った。
「き、貴様ぁ……俺に、何をした……ッ! 帝国に逆らって、ただで済むと……!」
「逆らっているのはそっちだろ?」
俺は、背後に控えていたリバロンに合図を送った。
完璧な執事服に身を包んだ人狼族の男は、恭しく一礼し、分厚いファイルを取り出して読み上げ始めた。
「帝国暦118年。徴税官殿は、ポポロ村を含む辺境三村から規定の三倍の税を不当に徴収。そのうち八割を個人の裏口座に横領し、帝都の歓楽街にて散財。さらに、不正の隠蔽のために複数の愛人に口止め料を支払っている記録がございます。……控えめに申し上げても、死罪ですね」
リバロンの言葉に、役人の顔から一瞬で血の気が引いた。
兵士たちも、予想外の事態とリバロンから放たれる圧倒的な殺気に気圧され、一歩後ずさる。
「さて、契約書には明記してありましたよね? 『不当な取り立て』を行った場合、相応のペナルティを受ける、と」
俺は役人の胸ぐらを掴み、その耳元で低く囁いた。
「てめぇの横領の証拠は、すでにルナミス帝国の内務省にリーク済みだ。この村から不当に奪い取ろうとした罪、きっちり体で払ってもらうぜ」
俺の言葉と同時に、さらにもう一人、広場に新たな影が現れた。
黄金色に輝く毛並みを持つ、猫耳族の男だ。
「まいど! ゴルド商会のニャングルでっせ!」
ニャングルは手にした算盤をチャキチャキと弾きながら、いやらしい笑みを浮かべて役人に近づいていく。
「ほな、これまでの不当な税の過払い金と、うちの村長に対する精神的苦痛の慰謝料……耳揃えて返してもらいまっせ。もちろん、あんさんの全財産と、その身ぐるみ全部剥いでも足りまへんけどなァ!」
「ヒッ……!!」
役人の喉の奥から、情けない悲鳴が漏れた。
俺は役人の胸ぐらから手を離し、ゴミを払うようにスーツの袖を叩いた。
「契約違反のペナルティだ。お前は今日から一ヶ月間、指一本動かすことはできない。その状態で、帝国の監査官の厳しい取り調べをたっぷり受けてこい」
俺が顎をしゃくると、兵士たちは完全に戦意を喪失し、石像のように固まった役人を慌てて担ぎ上げ、逃げるように村から去っていった。
砂埃を上げて消えていく彼らの背中を見送りながら、俺は大きく息を吐き出した。
ポケットからコーヒー飴を取り出し、口に放り込む。
ガリッ。
甘苦い味が、仕事終わりの脳に心地よく染み渡る。
「よ、義正くん……すごい……」
背後から、キャルルが信じられないものを見るような目で俺を見上げていた。
「別にすごくねぇよ。あんな三流の役人、脅して契約書にサインさせるなんて、商売の基本中の基本だ」
俺は振り返り、キャルルの頭の上に生えた長いウサギの耳を、ポンポンと軽く叩いた。
彼女は驚いたように目を丸くした後、嬉しそうにはにかんで、俺の手のひらにすり寄ってくる。
(……やれやれ)
俺は苦笑しつつ、村の広場を見渡した。
リバロンが静かに一礼し、ニャングルが算盤を片手にサムズアップを送ってくる。
俺の算盤は、すでに狂ってしまった。
利益度外視の、無償の愛。そんな不良債権を抱え込んでしまったのだから。
だが、悪くない。
いや、むしろ最高だ。
「いいか、よく聞け」
俺は、ポポロ村の空を見上げながら、自分自身に誓うように呟いた。
「この村は、今日から俺の盤面だ」
ルナミス帝国だろうが、獣人王国だろうが、関係ない。
キャルルの無償の愛と、こののどかな日常は、俺の『算盤』と『契約』が絶対に守り抜く。
その決意を嘲笑うかのように、空の彼方から、巨大な魔導飛行船の低いエンジン音が響き始めていた。
それは、やがて地球という超大国をも巻き込む、壮絶な経済と防衛の戦争の、ほんの小さな始まりの合図だった。
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