狩人
靄が揺れた。
境界が薄い膜のように震えていた。
アルダシールはアリヤの手を強く握った。
「行く」
二人は同時に踏み込んだ。
靄が裂け、
空気が反転し、
世界が一度だけ沈んだ。
次の瞬間──
光が差した。
風が吹いた。
だが、その光は救いではなかった。
地面が波打ち、
遠くの街並みが揺れて見えた。
長安の外縁は、
もう知っている場所ではなかった。
畑は荒れ、
道は裂け、
家々の影が異様に長い。
人の気配がない。
アリヤが息を呑んだ。
「……ここ……
“外”じゃない……
世界が……
影の主に……
書き換えられてる……」
アルダシールが周囲を見渡した瞬間──
地面が破裂した。
土煙の中から、
黒い“脚”が飛び出した。
影影ではない。
影の根でもない。
もっと速い。
もっと鋭い。
“殺すための形”。
アリヤが叫んだ。
「離れて!!
あれは……
“影の狩人”……!」
影の狩人は、
地面に触れた瞬間、形を変えた。
四足の獣。
人の腕。
鳥の翼。
アリヤの影に似た輪郭。
形を固定しない。
“殺すための最適な形”を探している。
アルダシールはアリヤを抱え、
丘の斜面を駆け下りた。
影の狩人が跳んだ。
空気が裂けた。
アルダシールは身をひねり、
影の爪を避けた。
だが──
影の狩人は地面に着地した瞬間、
“音もなく”背後に回り込んだ。
速い。
アルダシールは反射的にアリヤを抱き寄せた。
影の爪が、
彼の背中をかすめた。
布が裂け、
血が滲んだ。
アリヤが震えた。
「……狙いが……
私じゃない……
あなた……
影の主が……
あなたを……
“障害”と判断した……」
影の狩人が再び跳んだ。
アルダシールはアリヤを地面に伏せさせ、
自分の身体を盾にした。
影の爪が迫る。
その瞬間──
アリヤの胸の奥で“光”が弾けた。
銀色の光。
銀華の光。
アリヤの影が、
地面からふわりと浮いた。
影の狩人が一瞬だけ怯んだ。
アルダシールはその隙を逃さなかった。
地面に落ちていた石を掴み、
影の狩人の“脚”に叩きつけた。
石は砕けた。
影の脚は揺らがなかった。
だが──
影の狩人はアルダシールに視線を向けた。
アリヤではなく、
アルダシールを“殺す”ために。
アルダシールは息を吐いた。
「来い」
影の狩人が跳んだ。
アルダシールは地面を蹴り、
影の狩人の懐に飛び込んだ。
影の腕が伸びる。
爪が光る。
空気が裂ける。
アルダシールは腕を掴み、
全身の力で地面に叩きつけた。
影の狩人の形が一瞬だけ崩れた。
アリヤが叫んだ。
「アルダシール!!」
影の狩人が形を変えた。
今度は“槍”のような形。
アルダシールの胸を貫こうと、
一直線に突き出された。
その瞬間──
アリヤが手を伸ばした。
銀色の光が走った。
影の狩人の動きが止まった。
ほんの一瞬。
だが、その一瞬で十分だった。
アルダシールは影の槍を掴み、
力任せに折った。
影が悲鳴のように揺れた。
アリヤが息を吐いた。
「……今の……
銀華……
全部じゃない……
ほんの……
“欠片”……」
影の狩人は形を崩し、
靄の向こうへ退いた。
追ってこない。
アリヤが震える声で言った。
「……境界を……
越えられない……
ここは……
まだ……
影の主の“外”……」
アルダシールはアリヤを抱きしめた。
「行く場所を決める。
もう逃げるだけじゃない。
生きるために、
お前を守るために──
俺たちは“向かう”。」
アリヤの瞳の奥で、
銀華の光が静かに揺れた。




