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第33話 堕落者

「本日は、ご搭乗いただきまして誠にありがとうございました。この飛行機は成田空港へ着陸を―――」


 僕は1人だけ手ぶらの状態で飛行機を降り抜けると、空港のフロアで戸越のおっさんが手を振っているのが見えた。狸みたいな見た目だからか、遠くから見てもすぐに分かる。


「ミナト君久しぶりだね。疲れただろ?ニキータに今日仕事が休みだから迎えに行ってやってくれって言われてな。全くあいつ、人使い荒いよな〜。まぁさっさと乗りな、駐車場に車止めてあるから。家まで送ってくよ」


 なんだあのババアが呼んだのか。

 しかし、ここはお言葉に甘え、連休の終わりの人が溢れかえる人々を押しながらドシドシと歩いていった。小さい僕だと先へ先へとすぐに進むおっさんがどこにいるのか分からなくなり下だけを一生懸命小さい蝿を追うように見つめた。そうただ一つの手がかりは彼の軽い音が鳴る茶色い革靴だけだった。白い照明が反射し一見新品の様に見えるが、つま先付近にある一筋のシワに目を当てると渋みのある使い古された革靴だということが分かる。行き交う他の人間のスニーカーやパンプスとは違う物語をこいつは持っていることが伺えた。


 立体駐車場へ着くと、おっさんの黒くテカった高級車が一台端に止めてあった。「どうぞ」と言われ僕はタバコ臭い車内の後部座席に座った。おっさんはエンジンをかけ車を発進させた。


 色々思うところはある。だけど、ババアがおっさんに迎えに行けって言ったんだよな。


――――――――もしかしたら花之木の言っていた通り本当に僕の事を心配してくれているのかもしれない。


 そんな事を少し期待ありきで聞こうともしたが、やっぱりあいつの話題で話を広げたくもなかったからその言葉は心の奥底に閉まった。


 それにもう、専属能力者は辞めるんだ。聞いた所で何が変わる。あいつが僕の事を第一に考えてくれてる良い大人だったって考えを改めるのか。そしたら、何もかもスッキリ忘れて専属能力者続けるのか。花之木の事も忘れてのうのうと生きていくのか。どうして、花之木が死んで僕なんかが生きているんだ。


 そうだ、僕は心に一生十字架を背負って生きていかねばならないんだ。これからは笑ってはいけない。一人で生きていかなければいけない。誰とも話してはいけない。僕の残りの人生をその戒めのために使おう。


 だって、笑っている自分を想像すると烏滸がましいんだ。――その笑った顔が。


 僕とおっさんは終始無言だった。恐らく向こうは気を使ってくれたのだろうが、その気遣いも逆効果。外の天気も相まってただ車内がジメジメするだけだった。灰色の雲が街一面を覆い、ワイパーをかけても景色がすぐ霞んでしまうほどに大粒の雨が滝のように降り注いできた。


 高速の中で、右手に見えた豪華な華のように赤く照らされる東京記念タワーを見ても僕はなんの感情も湧いてこなかった。


 八王子インターを降りて20分ほど車を走らせると、薄暗い中、立ち並ぶ一軒家やアパートの玄関には温かい橙色に光る灯火がついていた。皆、誰かの帰りを待っているんだろう。この鬱々しい空気の中でも住家の明かりだけは温かみを感じた。


 すると、踏切がカンカンと鳴り車が停止した。母さんがまだ生きていた頃はこの路線に乗り、よく父さんと3人で東京の中心部や千葉まで遊びに行ってたのを思い出した。疲れた後は徐々に見覚えのある風景に移りゆく外を見て駅へ辿り着く頃には優しい表情の母さんの胸の中で眠っていた。


 目先の好奇心に煽られ冒険や非日常を求めていたのに、それがこんな地獄だったなんて知らなかった。戻れるものなら教室の隅で笑っていた何も知らなかった頃の僕に戻りたい。


 そんなノスタルジーに浸っていると、突然戸越のおっさんはそれまで閉じていた口を開いた。


「ミナト君、ニキータとはどうだい?」

「…よく分かんねぇ」


――――そんな話をする為に口を開いたのか。


 いけ好かない野郎だというのが正直な答えだが相手はあくまで彼女の父親だ。現在進行系で精神的に圧迫されている僕でもそう口答えするのは流石に躊躇った。


 それに、専属能力者を辞めたら彼女とは会わなくなるだろうからこれが正解だった。もうこのおっさんと会うこともないだろう。だから、そんな意味のない会話にエネルギーを使いたくなかった。


 すると、おっさんはこの空気を少しでも和ませようとしたのか車のラジオを付けた。普段合わせないような周波数を不器用な左手で弄くってて笑える。実に滑稽。


「―――ヘーイ!258ブロックは午後の6時を回りましたー。学校、仕事帰りの方はお疲れ様ー。これからの方達はいってらっしゃい。いやー、サイトー・テツヲがお送りするこのラジオ。今日で、記念すべき、100回目…だ!おめでたい!というわけで特別ゲストぅ…」


「あいつ結構キツイ言い方するだろうけど、君の事を間違った方向に行かせたくないんだよ」


 何が間違った方向へ行かせたくないだ。あんな口の聞き方しておいて、そんな言葉が通用すると思っているのか。


 だったらなんで人の頬にビンタしたんだとか、どうせ僕をストレスの捌け口にしているだけだとか色々考えると、急に腹の虫がおさまらなくなった。


「…ふざけんな!散々人のこと馬鹿にしといて…!」


「まぁまぁ、聞きなよ。もう10年以上前の話さ。あいつ今は所轄だけど昔は能力を見込まれて俺と同じ本部にいたんだ。周りの連中とはあんまり上手くいっていなかったらしいがそれでも這い上がろうと頑張っていた。だけど、ある日仲の良かった同僚が理由も分からず無差別に人を切りつけて暴走してな。そういえば、あの日もジメジメした気持ち悪い日だったな。応援が中々来なかったからあいつ1人で対処したんだ。世界最強と周りから熱い視線を向けられていたが、入省したばかりで経験値が全く無かった。本人は頑張ったつもりだろうが、結局同僚を自分の手で射殺した」


 僕は、おっさんの口から出た”射殺”という単語を聞くと怒りの感情が自然と消えていた。そして、おとなしく後部座席に深く腰を掛け沈黙した。専属能力者試験で、長官たちが言っていたあの事件とはこの事だったんだろうか。


「君だって疑問には思っていただろ。あいつは世界一の業使いなのにアンドロイドの事件なんか全く無いような所轄にいるなんてって。問題になったっていうのもあるが、その事件があって自ら所轄に移すよう申し出たんだ。ニキータは業以外に銃の腕も優秀だったが、その事件以降トラウマで握れなくなっちまってな。一時期は心身疲労で自宅に籠もるようになって、結構大変だったんだ」


 確かに、おっさんの言う通り世界一の能力者が情報局どころか本部が近くにあるにも関わらず地方に置かれるだなんてなにか事情があるのかもしれないと睨んでいたが、これは僕の想像以上だった。きっとそれが理由で僕を専属能力者の地位から陥れようとしているのかもしれない。花之木が言っていたように同じ道を歩んでほしくないってことだろうか。


 だから、その話を聞くとあいつを悪者扱いして言いがかろうという気持ちがどんどん無くなっていった。


「…だから、なんじゃないかな?」


「何が?」


 僕は苛つきながらそう訊いたが、ホントは答えがなんとなく分かっていた。


 その答えを直接言って欲しかったけど、おっさんはそのままだんまり。


「口に出さないだけで色々あるんだよ…。誰にだって…」


「じゃあ、どうして今も…?辛いんだったら辞めればよかったじゃないか、こんな仕事。やってても辛いって分かってるんだったら何で自分から突っ込んでいくのさ!」


「本人曰く、守りたいものがある。それだけは変わらないだと」


 戸越のおっさんがそう言うと、やっと電車がガタンゴトンガタンゴトンと前を通り過ぎた。この薄暗い中、明るく光る4両目の車両に昔、父と母と一緒に東京へ行った帰りに笑っていた幼い頃の幻影が見えたような気がした。


 そして僕は小さく「バッカじゃねえの」と呟いた。


※ ※


 それからしばらく車内はまた静寂に包まれた。車を走らせ僕の家に近づくごとに周りには見慣れた建物が多くなっていく。


 こんな雨の中特売セールで人がごった返している近所のスーパーに、どこにも明かりが点いていない梟ヶ丘小学校を通り過ぎる。暗い窓に映る自分の腑抜けた顔を見る事すらもう嫌だ。


「ここら辺でいいかい?」


 そう言うと、戸越のおっさんは僕の家の近くのコンビニに停車させた。フロントガラスに降り注ぐ雨がコンビニの光と混じって赤、黄、青、様々な色を醸し出していた。


 ドアを半分開けた瞬間に僕は覚悟を決めた。


「あのっ…。…今までありがとうございました」


 普段の僕だったらありえないほどに幽霊の様な薄い声で、「もう、専属能力者はやりません」と伝えた。言葉に出したらもう終わりだって分かっていた。時限爆弾を体内に入れられているわけじゃないんだから考える時間なんて今日や明日や1週間後、いくらでもあった。おっさんの話を聞いてから心に迷いが生まれどうしようか最後まで考えていた。


 でも、たったその一言で切りたい縁をプツンと切った。


 僕はね、平穏な生活を侵してまで危険に足を突っ込みたくないと思ってしまう最低な人間なんだよ。


 それでいい。それで。


「…そうかい。じゃあ、元気で」


 ドアをバタンと閉めた瞬間、心臓の鼓動は鳴りを潜め楽になった。


 そして雨に濡れる中、背を向けるように帰路を辿た。随分と歩いても雨とフロントガラスを擦る音はまだ鳴っていた。


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