第30話 トレイシー・ブレイク
彼女はトレイシー・ブレイクという名前で、近くで銀行員をしているらしい。クールビューティと言えば聞こえはいいのだろうが、冷めているというか、不思議な雰囲気を放つ女性だ。
「どうぞ。上がって」
「お邪魔します…」
僕は小さな歩幅でトレイシーさんが住む家に上がらせてもらった。いや、家ではなくお屋敷とかの言葉の方が相応しいだろうか。郊外にあるとはいえ、敷地が広く大きい門と庭付きでヴィクトリアン風の歴史を感じさせる家だ。
中は薄暗い部屋だが小綺麗に整えられていた。彼女の趣味であろう旧暦19世紀のアンティーク調家具で統一されて置かれており、薔薇が描かれたステンドグラスのランプが部屋をオレンジ色に照らしている。お気に入りのレコードが棚にズラーと並べられ、その手前の小さなテーブルには使い古された蓄音機が置かれていた。初めてきたはずなのに懐かしいからか、この空間にいるだけで僕の疲れも相まってウトウトと眠くなってくる。
だが、妙に生活感のない家だ。何故ならキッチン周りにまな板や皿や食べ物が置かれておらず、使われていない印象だったからだ。リビングにもソファとテレビが1台だけ。これくらいの年齢の女性ならファッションやお洒落にも興味があるだろうが服はほとんどない様子だったし、玄関からして靴が1足しか置かれていなかった。
「お腹空いたでしょう?近くに人気のレストランがあるの。でも、その前にあなたには聞いておかなきゃいけない事があるんだけど、どうやってここまで来たのか教えてくれる?」
「それは…」
「言えない?」
僕はコクリと小さく頷いた。
「そっか。言いづらいよね。…じゃあ、特別に私の秘密を話してあげる。あのね、ワタシ実は…。―――アンドロイドなの」
「え?」
「ほら、ワタシの腕」
彼女が腕を出すと関節部分がパカっと開き、びっくらこいた。骨組みとなる太い関節にコードが複雑に絡み合っている。その絡み合ったコードと機械に精巧だとか空白の期間の賜物だとかそういう感想は抱かず、単純に気持ち悪くてグロデスクだと思った。
「機械…」
トレイシーさんは僕に腕を見せるとすぐに元に戻した。きっと彼女は僕が心の中に抱いた感想を察したんだと思った。やはり、レイの言っていた空白の期間の技術。接合部分が仰天するほど肌に馴染んで違和感などこれっぽちもない。
「あのさ、―――ミナト君って業使いだよね」
「え?」
彼女は芝公園でのレイと同じ平衡感覚が失われそうな瞳で僕に語りかけてくる。おかしくなった瞳に僕の瞳が引き込まれてゆく。会って間もないのにどうしてその事を知っているんだろうか。もしかして、あいつも敵で、こいつも敵なのか。
「ど、どうしてそれを…」
「ここへ来るまでにずっと親指をカチカチ押していてどうしたんだろうって思ったの。ここら辺の人じゃないのに子供1人でお金も持ってないって普通に考えておかしいじゃない。それにここ涼しいのに半袖半ズボンって格好。東歴502年には瞬間移動ができる業使いだって確認されているの。ここまで瞬間移動して来てしまったけど、力をコントロールできなくて帰れないんでしょ?幼ければ尚更よくある話よ」
「あんた、随分と詳しいんだな…」
君をずっと覗いていたと言われても不思議ではないほど一言一句間違えなく僕の境遇と合致する。もはや合いすぎていて気持ち悪い領域にまで達している。
「まあね。探し物のついでで。業使いやアンドロイドに関する情報は詳しい方だと思ってるの。何があったのか、話してくれるかしら。ワタシに…」
僕は、トレイシーさんに声を震わせながら業の話から花之木の事件の事まで全部話した。そう、全部だ。僕が能力者だってことも話したし、花之木の事件の話もした。僕が言葉に詰まって涙を流すとタンスの中から布切れを持ってきて渡してくれた。
僕が全てを打ち明けると、トレイシーさんは窓から静かなブダペストの夜景を見つめ口を開いた。
「それは…大変だったわね。でも、自分を責めるのはダメ。それに、東京の人達に電話した方がいいんじゃない?心配しているはず」
「それは…。嫌です」
両手をズボンの裾をギュッと掴むと重い口調でそう答えた。
「どうして?」
「…だって、僕の事、ダメだ、ダメだって否定するばかりなんです。だから、大嫌いなんです」
「そうだったの…。それじゃあ、ワタシが向こうの人に電話を掛けて経緯を話しておく。…心配するでしょうし、子供がいなくなったとなれば向こうの警察が既に捜索しているかも」
「―――――――いやっ!」
それは、僕が負けたみたいで嫌だった。
「いや、やっぱり僕が掛けます」
僕自身やってる事と言ってる事が矛盾してて、自分でもどうしたいのか分からない。心配されたいのか、ただ誰かと気持ちを共有したいのか、それとも…。
その気持ちを知りたいとは思わなかった。
「八王子警察署…第1課…」
056-04…、数字の書かれた丸ボタンを順番に指で押してゆく。
―――――――プルルル…プルルルルル…
ずっとこのコールが鳴っててほしい。受話器を手にすると震えている振動が耳に伝わり、喉は乾く。向こう側からガチャッという音と共にあのおばさんの声が聞こえてくるのが怖くて仕方なかった。
「はい、こちら八王子警察…」
やっぱりか。僕は、速攻で名乗る。
「ミナトです」
「――――貴様!どれだけ心配したと思っている!?」
雑音混じりの怒号が受話器越しに響いてきた。どこまでいっても「心配」だとか「あなたの為を想って」とかエゴの塊のような言葉しか吐けない女だ。他人、ましてや血の繋がってない第三者を一番大切にしている人間なんかいるわけないんだから、どうせ僕に何かあった時自分の地位が危うくなるのを心配しているだけだ。
あの後、別のブロックまで飛ばされてしまったとか、その後訳あってトレイシーさんというアンドロイドの家に泊まらせてもらっているとか、最低限の事情は僕の口から説明した。
「とりあえず事情は分かった。明日の夕方に出る東京行きの飛行機のチケットを取っとくから、それで戻ってこい。それと、貴様の家には貴様の友人の母親のフリでもして家に泊まっていると連絡しておく。それと…」
「うん。とりあえず、大丈夫だから。じゃあね」
また説教されるんじゃないかと察した僕は、震えた声で話を強制終了し受話器投げるように置いた。あれはダメだこれはダメだって他人の小言ばっかり食っていると脳みそが委縮しておかしくなってくる。
―――――――プープープー…
「須藤…。あいつ、電話を勝手に切りやがって…」
「係長、悔いているんですか?ミナトをこの道に引きずり込んでしまったことを…。だからミナトを専属能力者にさせまいとあんな…」
ミナトを探すために残業をしていたニキータは何かを考えこむように沈黙を貫いた後、横にいたレイに語り出した。
「まぁな。専属能力者になったところで今回のように悲惨な事件があるばかりだ。子供にはあまりにも荷が重すぎる。もし私があの時あいつを専属能力者にすることを渋っていれば…。考えが甘かった。考えてもどうしよもない事がずっと頭の中で回っている。大馬鹿野郎だ…」
「…いいえ。係長の選択は間違っていません。俺が、間違わせません」
力強くかつ洗練された声を発したレイの姿はニキータの瞳にどんな英雄伝説の戦士よりもたくましく、そして勇ましく映った。




